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歌詞読んでみた lyric.3 / エッセイ「それはどういうことか三十字以内にこたえなさい」

このテキストは、「歌詞読んでみた」と題し、その月に読んだ歌詞の中から数曲を抜粋し、その曲についてのコラム特に気になった歌詞にまつわるエッセイをまとめた連載である。

いま記事の全てを書き終えてこの書き出しを書いているのだが、3回目にして筆が乗ってきたのか、感想がすこし踏み込めるようになってきた。それ自体は良い事だが比例して文量があがってしまうと読み手が少々大変になってしまう。

筆者として内容は十分に取り揃えよう努めますが、そんなことは微塵も気に留めず、気になった部分だけ好きなようにつまんで読んでいただけたらとおもいます

それでは「歌詞読んでみた」を始めます。


22/7『曇り空の向こうは晴れている』 作詞:秋元康

今回も提供された曲から始めていきます。ついに「作詞:秋元康」です。

日向坂46の冠番組『日向坂で会いましょう』を感想を連載してる身として、この企画でいつかは秋元康の歌詞と向き合わなくてはいけない時が来るとは思ってました

この曲は「死にたさにへの優しさ」がメインテーマだとみました。死にたい君に死にたかった僕が経験者として気持ちに寄り添うことで寛解へと導くストーリーは、ある程度具体性を持つもののアイドルソングの性質やアプローチを考えるとわりとオーソドックスな部類に入る。街中やラジオでふつうに聞く分には特別違和感を覚えることもないとおもう。

だがしかし、わたしには低解像度で浅慮で無神経で不躾に感じた。それが数年前わたしには”死にたい”友人がいたからで、実際に辛さを抱えて生きてる人間を見たことがあるからだ。夕方になると気分がものすごく沈みこんで、よくある例えの通りぽっかり穴が開いたように”無”になる様子は今も忘れられない。起伏する感情などないまったくの”無”。”死にたい”とは”無”だとその時に思い知らされた。

いた、なんて意味深な書き方をしたが、今は元気になってゆとりのある生活と、東雲うみちゃんへスケベな視線を送っている

当時のあの友人を見てた実感として、所々に見られるディティールの甘さが目に余る。全体的に奥ゆかしくない

「あの頃の僕も今の君と同じだったんだ」
「だから、一年後、今度は君が僕のように絶望している人に伝えてほしい」
「希望っていうのは、人から人へと繋げていくものなんだ」

22/7『曇り空の向こうは晴れている』より

理解の浅さやディティールの甘さによって芯を食わない中途半端さのせいで、死にたい君の痛みより死にたかった僕の優しさが前に乗り出してしまっている。まるで優しくしたいから優しくしてるようで、その人やその傷を蔑ろにしてるきらいを感じてしまう

特に「だから、一年後、今度は君が僕のように絶望している人に伝えてほしい」という箇所、曲の最後にも「伝えて欲しい」ことを殊更強調してるけど、死にたい人に対して「伝える」という行為は個人的に避けるべき、やってはいけないことだとおもっている。意見を受け止める器が壊れてる弱りきった人に対して追い打ちをかけるような真似は、一層その人を追い込む結果を招きかねない。死にたかった僕はきっとまだ若いのかもしれないが、この歌詞にはこういった細々こまごまとした無神経が所々に散見される。

もし聞いた人にこの歌詞のような友人がいて、その人の為に何か助けになりたいと思ったとしても、わたしはこの曲を参考にすることはしないで欲しいと思ってしまった。「落ち込んでる」と「死にたい」には大きな隔たりがあることを理解してほしい。

上記に引用した箇所はこの歌詞の一番の強い感情のはずなのに、そこまでのプロセスが軽薄に見えてしまってたせいで説得力にかけている。言いたいことは分かるしメッセージも真っ当なんだけど、どうも僕の顕示欲が強く見えてしまって締まりがない。

これはメタ的考察だが、彼が大衆に向けて作詞をする時に意識されるのは最大公約数的な言葉なのだ。わたしが秋元康に対して作詞家ではなく作詞するビジネスマンという印象を感じるのはここの言葉選びによるからだろう。今回で言えば「時間は一方的に流れる」「あんなに辛く苦しく悲しかった出来事が些細な事に思えて来る」など、ありきたりでありふれた誰にでも心当たりがあって誰でもいい描写

言葉選びについては個人の好みが大きく関わるので是非はないが、聞き手の補完が前提とされる最大公約数な作詞では人間だから生じる機微を描き切れないし、ことこの歌詞においてはそこへの丁寧さや血潮が流れているべき。死にたいほど苦しんでる人をテーマに扱うならもう少し丁重に取り扱ってほしかった

King Gnu『The hole』 作詞:Daiki Tsuneta

奇しくも似たようなテーマの曲をオススメいただきました。King Gnuはサウンドこそヤンチャですけど歌詞はすごく繊細ですよね。

呆然自失に陥った愛するあなたを救うために僕は愛を守る選択をする。愛を守るとは、僕があなたを見捨てたくない気持ちを捨てない、ということ

その道は決して生ぬるいものではない。仕事から疲れて帰れば腕に赤い線を引いたあなたがいたり、絶望に恐怖して家から逃げ出したあなたを探した夜を過ごしたり。お願いだからもうしないでと約束をしても繰り返されてしてしまう賽の河原。先の”死にたかった”友人の彼氏、わたしの友人でもある彼から聞いた話だ。

ただ起きた出来事を聞いてたわたしは本来語る資格すら与えられない苦々しい苦しみ。この話を載せようかすごく悩んだ。だけどしようと思った。この歌詞を読んだ時、これはそんな彼が味わった苦しみだと思ったから、このテキストには欠かせないことだったと思ったから。

話が戻ってしまうが、先の22/7『曇り空の向こうは晴れている』に怒りを覚えたのはそんな友人のことがあり、易々と”「あの頃の僕も今の君と同じだったんだ」”だのと言ってのけれてしまったからだ

ぽっかりと空いたその穴を
僕に隠さないで見せておくれよ
傷には包帯を
好き勝手放題の
世界から遠ざかるように
僕が傷口になるよ

King Gnu『The hole』より

この歌詞の僕は人それぞれの事情が世界の理不尽や不条理が生み出しているのも、それは無くなることがないのも分かっているし、観念して受け入れてすらいる。だが愛する人をここまで追い込んだ世界を憎んでもいる。

そうした苦しみや葛藤を抱えながら心に穴が空いたあなたを守ろうと、ギリギリのところで懸命に愛を守ろうとしている。魔が差させばいつでもすべてが崩壊してしまう場所で、ひとり。ラスサビ前の「世界の片隅に灯るかすかな光を掻き集めて」の”掻き”の部分に死に物狂いの必死さを感じる。

タイトルにある「The hole」、腕に赤い線を引いてもまったく痛みを感じない輪郭を失ってしまったあなたのその穴に肉を、血を埋めようとしている。僕がその穴にあったはずの傷口になれば痛みが戻ってくる。次第に穴は塞がっていく。呆然自失からの回復できた証左が”痛み”なのがこの歌詞の生々しくて噓が無いところだなと思った。

最後に、この曲オススメされた時ライブ映像が最高だと一緒に教えていただきました。最高だったこのライブ映像を共有して、次に進みたい。

―――――

ハイカロリーぎみで来てしまったので、ここらですこしゆったりしようじゃないか。

THEラブ人間『ディズニーランドの喫煙所』 作詞:金田康平

ネットサーフィンしてたら見つけた。タイトルを見た瞬間、これは間違いないと思った。

トゥモローランドんとこ
スペースマウンテンとこ
自販でコーラ買って
ぷかぷか吸おうかタバコ
俺たちの休日がいい日になりますように
タール&ニコチンで乾杯

THEラブ人間『ディズニーランドの喫煙所』より

ディズニーランドに喫煙所があることは知っていたがタバコを吸わないので、アクセスや部屋の広さ(部屋なのかもわからない)や灰皿はどんな形状で何個置いてあるのかなどその詳細をわたしは知らない。

だがしかし、このシチュエーションが最高なことはわかる。みんなと違う行動をしている優越感や特別感学校休んだ日にテレビで『ガンコちゃん』や『笑っていいとも』見てる時の特別感に近い気がする

テーマパークとは縁遠いニコチン中毒者たちの秘密基地で、家族や友人や恋人たちで賑わう休日のテーマパークの喧騒をとおくに聞ききながら、禁断症状を解消するべく吸い込む一服は格別の味わいに違いない。タバコ吸いたくなってきた。

おいしくるメロンパン『色水』 作詞:ナカシマ

つづいてはオススメ曲。色水とは溶けたかき氷のこと。わたしが好きなブルーハワイ味が「空の味」として登場している。今「かき氷シロップは実はみんな同じ味」などとうるせえことを言った人は反省しながら読み進めましょう

色水になってく甘い甘いそれは
君と僕の手の温度で思い出を彩ってく

おいしくるメロンパン『色水』より

彩られた思い出とやらがうつむいた視線の先で徐々に溶けていったブルーハワイのかき氷なのがおもしろい。かき氷は5分くらいで溶けてしまうで、君から手渡されたそれを僕の手の中を見つめてた時間は長いようで短かったんだろうな。

この詞の僕は意気地がねえな。下駄の音やかき氷から察するに夏祭りが舞台のようだ。夏祭りの途中、人がいなさそうな場所にやっとの思いで君を呼び出したのだろう。恋の告白なのか、伝えたい事があるのにかき氷が溶けるまでふんぎりはつかねえし、そのくせいっちょまえに「喉が渇いたな」なんてカッコつけやがる。

中坊のときの俺かあれな、勇気を振り絞ってるあの時間って5分が1時間くらいに感じるよな

飛行機雲が淡く線を引く
いつか忘れてしまうのかな

おいしくるメロンパン『色水』より

告白は失敗に終わった様子。サビを挟み、そして時間は現代まで進む。

写真に写る君の手の中で
風車は回り続けてるのに
君が僕にくれたブルーハワイは
今、溶け始めたんだ

おいしくるメロンパン『色水』より
  • 忘れてないじゃんね。ちゃんとブルーハワイのかき氷まで用意してさ。でもわかってたたぶん俺もそうした

    この歌詞はすごく恥ずかしくてくすぐったかった。

webnokusoyaro『なんとなく生きてる』 作詞:webnokusoyaro

この曲はけっこう気に入ってます。ラップをオススメされてしまいました

わたし、ラップ好きなんですよ。日本語の可能性が詰まってるし、ラッパーの生き様や魂が乗ったリリックが読み応えないわけがない。分かってるし好き、だからあえて避けてきました。文字数の量はもとより歌詞の情報量と密度が半端じゃないのを知ってるからR-指定が云ってました、「俺の歌詞 広辞苑10冊分」と

リリックを構成してる要素を調べ出したらキリがないし、半端に読んで幼稚園児の作文になるのも嫌だ。と、この曲の歌詞を読むまでは変に意気込みすぎてたのだが、この曲聞いたら肩のこわばりが解消された。aye。

調子を取り戻したところで、ありがたいことに推薦者からこの曲と合わせて参考資料として送っていただいた本人が書いてるブログに目を通すことにした。ライナーノーツはとても重要だ。公式情報を入れることで、間違いがなく理解や考察を深めることができる。

「探す手間が省けてすごく助かるな~~~」なんて思いながらブログを確認して、白目剥いたこの曲が収録されているアルバム、30曲入りで1時間30分ある。1枚のアルバムが30分を切るような時代だぞ。しかもこの前に同じく30曲入りのアルバムが2枚リリースされている1年で90曲異常変態酔狂

推薦者からは「労力を全く考慮していない選曲なので、難しければ余裕で無視してくださって大丈夫です。」を逃げ道を用意してもらった。上等じゃねえか

次の日に30曲聞いた。天邪鬼は損ですね。

とはいえ物量にビビってはいたけど、実際に聞いてみると正にスピットする(唾を吐くほどラップする様子からラップする事を指す)と呼ぶにふさわしい、日々の鬱憤や思いつきを吐きまくっていた30曲だった。この曲はoutroを除けば最後になる29曲目に配置されている

webnokusoyaro 3rd album「へんなうた」収録曲

なんとなく生きてる
今もまだうだつのあがらない日々の延長に
なんとなく生きてる
ラップで世界を変える気なんかない

webnokusoyaro『なんとなく生きてる』より

このアルバムは言うなれば30曲のラインで引いたデッサンのようだ。わたしはこの曲を聞いて、その無数の線を引いて描かれた輪郭に顔が描かれたような気分になった。この『なんとなく生きてる』の狙いとして、ここに来るまでに個々でズレてしまった評価を彼の思う正しい位置に戻そうとしている気がする。誤解しないでくれよ、と言ってるみたい。

わたしが思うに。”大金を稼ぎまくりたい”や”イイ女をたくさん抱きたい”などの野心もなく、このラップで誰かを救いたいとか、普通の生活が不朽の名作と唄うわけでもない。歌詞の解釈とか要らない、この曲で言ってる生活態度どおりに今ラップしてなんとなく生きてるのだこれが誤解じゃないことを祈る

不思議とこの歌詞には妙な距離感と温度があって、わたしは彼と友達になれそうだと思えてしまった。でもたぶん気は合わない。

Hwyl『近年、平和な日々が続いたせいで』 作詞:あきたりさ

ボーカルの声が良いですよね。オススメされた曲。

気づいたら
車が空を飛んでいた

Hwyl『近年、平和な日々が続いたせいで』より

「ボケすぎた頭、だらしないカラダ 恥じらいもないノーメイクなあなた」へとつづくこの空飛ぶ車が象徴するのは優れた革新的技術ではなく人間の愚かさである

あぶくを食って消費する日々は悪化しながら遺伝し、取り返しのつかないところに到達してようやく気付くことを警告している。

「気づいたらもう遅かった」の残酷は
要らないし、必要ない

Hwyl『近年、平和な日々が続いたせいで』より

知ってても繰り返してしまうこと
空白に残像で
埋めるも長くは続かないと
知ってても知らぬフリ
こんな僕になにができる?

Hwyl『近年、平和な日々が続いたせいで』より

「時間を溶かす」という概念は供給過多なエンタメをお手軽に摂取できようになった近年生まれた表現だが、例にもれずわたしもつい時間を溶かしがちだ。

上記の詞の後に「終わらない戦争」とあるが、それは大国間の戦闘などではなく、理性と怠惰との、規則正しさとだらしなさとの、じつに身近でちいさな精神のせめぎ合いの事を指してるのだとおもう。

この歌詞ではこのあと僕と最愛の子と妻に対して不幸があったことを示唆している。そして僕はあろうことか、あったはずの時間を惜しんでしまうのだ。じつに愚かである。

時間を無駄にしてしまいがちな自分には身につまされる。

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エッセイ:「それはどういうことか三十字以内にこたえなさい」

小学5、6年生の時にはじめて通った学習塾にある先生がいた。早稲田大学に通う大学生で、輪郭は丸くて、髪は短くて、鼻の下にうっすらヒゲを生やしてた気がする。仮にワセダ先生としよう。担当教科は国語

ワセダ先生はいろいろと思い出に残っている先生で、授業の余談で爆弾のつくり方を教えたら親御さんから怒られたらしい、とのウワサを聞いてたので、ヤベーことが聞けるんじゃねえかとわくわくしながら授業を聞いてた記憶がある。

けっきょく爆弾のつくり方は教えてもらえなかったけど、文章問題の「=部分には~~とありますが、それはどういうことか三十字以内にこたえなさい」の解き方がすごくわかりやすくて、20年ほど経った現在はそれを応用して日常で使い続けてるくらいにわたしの思考の根幹ともいえることを教わった

だいたいの場合は文中の言葉を引用すればそのまま答えになるのだが、ワセダ先生は窪塚洋介っぽいダレたしゃべり方で「小学校3年生の子に説明するつもりで解いてみな」と教えてくれた。実際にこれを教わって以降、この手の問題文は間違えなくなった。

小学3年生がわかる言葉で説明する」この思考方法は、わたしがふだんこうして文章を書いたり、物事を理解したり、思考を整理したりする時に万能の効果を発揮している

イメージでいうと、頭の中でわたしの友達にとにかく説明しまくる感じわたしの疑問を親交がある人や知らない子をつかまえて問いかけてもらい、わたしはそれに伝わるようわかりやすく答える。好きなものができれば、その醍醐味をイマジナリー人間にあれこれとプレゼンをしまくる。友人に説明してる最中、突然「そうだとしたら、じゃあそれはなんなの?」とおじさんに割り込まれたりする

ある事象や言葉、たとえば【瞳】にしよう。歌詞を読んでいると頻繁に登場する【瞳】

【瞳】と【眼】、同じ眼球を指す言葉のニュアンスの違いが気になったのでわたしと同い年の女友だちを連れてきて質問をしてもらう。わたしは説明する。「【瞳】は正面からみた目、つまり相手視点からみた目で、【眼】はそれを見てる目そのもの、つまりを自分視点からみた目なんじゃね?」と答えるわたし。そこへ突然赤ら顔のおじさんがよれた活舌で『では【目】はそれらの総称だとして、「割れ目」や「木目」などに使用される目はどういう意味か?』と割り込んでくる。「う~ん」と悩むわたし。スマホを取り出す。

みたいな一連を、ワセダ先生の教えを使って考えている。これを教えてくれたワセダ先生もたぶんこんな感じで頭を使ってたに違いない。

余談だが、体育祭の打ち上げを切り上げて少し遅刻してに授業に参加した時、事情を説明したら「連絡してくれたらサボってもよかったのに」と気を利かせてくれたことでわたしはサボることを知った。

これをさらに応用して、イマジナリー夏井先生に来ていただくことで文章の校閲をしたりもする。テレビ番組『プレバト』の俳句でおなじみの夏井いつき先生。「雨が降る」なんて詠もうものなら「降らない雨がどこにある、雨の一文字だけで情景は十分伝わる」などと間違いを叱ってくれる夏井先生がいると、ううかり重言や省ける文字を見つけて正してくれる。

以上、こんな感じで・・・・・・文章を書いているというお話。


問1:上記・・・部分で「こんな感じ」とありますが、それはどういうことか三十字以内にこたえなさい
答:ワセダ先生の教えを使って、夏井先生に間違いを叱られながら

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以上、4月度の「歌詞読んでみた」になります。本稿コメントやXのリプライ、DMにておすすめの歌詞や感想などいただけますととても嬉しいです。それではまた来月に。

おしまい。

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