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”おじさん”に抗うために過去をいったん整理してみる

電子ドラムを置くスペースをつくるために部屋の整理をはじめた。とはいってもわたしの部屋にあるのはせいぜい書籍くらいなもので、漫画、小説、その他もろもろの選別作業をしているというほうが適切だけどなんかカッコつけてるみたいなので整理と言わせてもらおう。回りくどい言い方になったのはついさっき『めだかボックス』を読んだせいだ。

蔵書のうち8割が漫画を占めているのでこれを半分、できれば1/3くらいに減らしたいと思っている。ちなみにのこり1割が小説や新書、のこり1割が積読である。過去何度か漫画は整理してきたけれど、そのたびに漫画が自分にとって手放したくない大事なものだと思い知らされる。

漫画に人生救われたなどの特別なドラマがあったわけじゃない。どちらかといえば普遍的な、漫画を読むとバカになる的な理由で小学生から中学生ごろまでは漫画を買うことが禁止されてた家庭だったからで、その反動のせいで漫画がいっとう大切なものだと認識するようになった。

しかし、最近その感覚が薄れてきている。わたしが中学生くらいの時に比べものにならないくらい圧倒的な量がスマホで簡単に読めてしまうし、読みたくなったらブックオフなどで買い戻すのもひとつの手だなと思うなど色んな理由がわたしの執着心を解いてくれた。そしてもうひとつ、これがけっこう大きなきっかけなのだが、過去への執着を1度おもい切って捨ててみようと思い立ったところがおおきい。

過去を捨てるといってもネガティブなニュアンスは全くなく、ただ単に一区切りをつけたい、つけられるようになろうと慣らし運転をはじめた感覚。みなさんもあんまり好きではない昔話ばかりするおじさん、ああいうおじさんになりたくない気持ちが日ごと強くなっている。この前ラジオかなんかで「”おじさん”と呼ばれてる人は戦力外通告されてるのと同じ」とか怖いこと言ってたけどホントにやめてくれ。ただでさえ年々増していく”おじさん”になることへの恐怖心に支配されかけてるってのに、無責任に負荷をあげないでくれ。

この恐怖感はふだん日向坂46を追いかけてることによって、秋元康さんの歌詞世界から感じる明るい青春系学園生活への未練をジクジクと感じることによって、妙なリアルの感触と身近さによって厭な現実味を帯びてイメージが沸きやすくなってることも一因だと思う。

昔よく聴いたアルバムを今も日常的にヘビロテしたり、わたしはけっこう成功経験に執着する人間の自覚があるため、ゆくゆく同じ昔話ばかりするおじさんになるのが簡単に読めてしまう。なのでその成功経験を一旦捨てる経験をして、新しい風が通る空間をつくってみようという目的も兼ねて本棚の整理をはじめてみた次第だ。

整理するにあたっていかに「捨てるか」を基準に選んでいくと、気持ちがいいくらい踏ん切りよく処分できている。今日までに一次審査終えたところで目標の4割程度の進捗だったので、近々二次審査を開催してさらに落選させていこうとおもう。今は初めて全巻揃えた漫画を残すかどうかを読みながら検討してる。ここが今後の処分の分水嶺に、ひいてはわたしが”おじさん”になるかどうかが懸かっていることは間違いない。

今回は覚え書き程度となってしまったが、今後処分を終えたときにまたこの過去を捨てることについてまとめようとおもう。ではまた。

おしまい。

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