心の奥の暗闇 #ゆめの×エッセイ【ゆめのおもひ】


中学2年生という1年間は、私にとっても特別な1年間だった。少し遅い変声期を迎え、合唱コンクールの練習でも自分の出すべき声がわからず、ただ歌うフリをしていただけのあの頃。

まるで、知らない土地の大きな湖に置き去りにされ、ひとりぼっちで暗く深い夜を迎えてしまったかのような、そんな孤独と不安しか感じられない期間であった。

いや、そんな比喩は格好つけすぎであろう。率直に言って、自分の「恥」が詰まった期間だ。だからこの時期に起こった出来事を、誰にも知られたくなかったし、誰にも話した事などない。

大人になって、30代後半から40代の始めまで、父親の逮捕や会社の倒産それから離婚に至るまでの最悪の時期と比べてみても、気持ちの落ち込みの度合いは大差ないくらい酷かった。

先に断っておくが、この文章を読んでいただいているあなたの経験と比べて、それほど劇的に悲惨な出来事があったというわけではない。これは私個人が大人になってゆく過程でのほんの些細な出来事たちだ。そして誰もが一度は経験するように、この時期に私は人生の暗闇へと落ちていった。たかがそんな想い出話に過ぎない。

それでも、私にとってはとても恥ずかしい、自分の人生の中での汚点。持病の臆病風が吹く前に、ここに曝す。


🌑🌑🌑

13歳の夏休み、僕は楽しみな予定など何もないまま、部活とゲームとテレビだけの毎日を送っていた。

小学生の時のように、友達みんなで集まって野球をしたり、山に探検をしにいったりということはもう無くなっていた。

机の前に座っても勉強なんてまったく手につかず、中学生になってから覚えた自慰行為をして、なんやら意味の解らない自己嫌悪に陥るだけだった。

夏休みの終盤、友達から海に行こうと誘われた。僕達は男6人で自転車をこいで地元の海へと向かった。

堤防の脇に自転車を停めると、僕はその中では一番仲の良いTと二人で、皆に先立って海岸に降りて行った。お調子者のTは、真っ直ぐ海に向かい、やがて走り出した。僕も遅れてついてゆく。

Tが向かう先は、川と海が合流している場所で、潮は複雑にうねっている。

Tは少しだけ河口よりに場所を移り、片足を水の中に突っ込んだ。

「うわっ、助けて」

Tが叫んだ。

最初、僕はTがふざけているのだと思った。半笑いでTの顔を見ると、彼は必死の形相だ。Tの足は川の中にじわじわと引き込まれていく。彼は両手で這いつくばるようにして、なんとか岸に上がろうともがく。が、砂利を掴むだけで、上がる事は出来ない。じきに腰まで浸かってしまった。

僕は彼に駆け寄り、手を伸ばす。彼が僕の手を掴んだ。だが当時、体の小さかった僕には体の大きい彼を引き上げることができなかった。

「おーい、助けてくれー」

僕も叫んだ。

他の4人はまだ堤防の下で着替えをしながら、こちらを見て笑っている。彼らも、僕達がふざけているのだと思っているのだ。

僕も少しづつ川の方へ引っ張られている。足下の砂利が崩れて、僕の片足も水の中に沈み始めた。体ごと川の中へ持っていかれそうになる。

「もうだめだ。助けてー」

叫んだ瞬間に、Tの手を離してしまった。意識的に。

Tはそのまま2メートルほど流されて、海側からの波と渦の中へ捲き込まれていった。水面からはTのあげた手しか見えない。

僕は溺れているTを目の前にしながら、一歩も動けない。時折、水面から必死で顔を出すTの目が助けを求めているが、僕は立ち竦んだまま声すら出せなくなっていた。

その時、ようやく異変に気づいた4人が猛スピードで走ってきた。彼らは皆、躊躇なく次々に海へと飛び込んだ。

僕はただ突っ立ったまま、彼らの様子を見ているだけだった。

一人がTに辿りつく。しかし、Tがしがみつこうとするので、二人とも沈んでいく。

2人目、3人目もたどり着いて、どうにか助けようともがく。4人目が救助に入って、ようやく岸の方にコントロールすることができた。

僕は安全な場所から、手を伸ばして一人一人、引き上げた。そんな事しかできなかった。

全員が水の中からあがって、砂浜に倒れ込むように寝転がると、みんな一斉に笑い出した。でも、僕だけは笑えなかった。


夏休みが終わると、その時の事は笑い話としてみんなに広まっていった。その時一緒にいたTや他の4人は、一度として僕を責めたりしなかった。

僕は自分で自分を責めた。なんて勇気のない奴なんだ。自分に失望した。皆は死ぬかもしれないと思いながらも危険な海に飛び込んだ。それができた彼らを羨ましくも思った。何故なら、この時代の田舎の少年達にとって、自らの危険を顧みず仲間を助けられるという事が友情の証しであったし、恐れを見せず勇敢に立ち向かうという事が、かっこいい事だと皆信じていたからだ。だから自分の事を、とてつもなく臆病でかっこ悪いヤツだと思った。

そうして僕は、彼らとは距離を置くようになった。学校の休み時間では、ひとり勉強をしているフリをしたり、さもなくば机に突っ伏して寝ていた。


🌑🌑🌑

11月のある日曜日、Tから電話がかかってきた。今から隣の市まで遊びに行くけど、お前もどうだ?という誘いだ。

本当は断りたかった。気まずかったし、そのころ彼は悪い遊びばかりしているという事を知っていたから。でも僕は断れなかった。例の件で、僕には彼に対しての罪悪感があったから。

僕がTの家まで向かい、他の皆と合流する。メンバーは7人、僕とTを含めた4人は一緒に例の海へと行ったメンバーで、3人はまた別の友達だった。

隣の市の中心部までは、自転車で真っ直ぐに向かって45分くらい。途中、ゲームセンターやらマクドナルドこちらではマックと呼ぶやらおもちゃ屋なんかに寄り道した。

おもちゃ屋では、皆でゲームソフトや花火なんかを万引きしてた。手慣れた連携プレイで楽しそうにニヤニヤ笑ってた。僕だけは見ているのも嫌で、店の外で待っていた。

目的地である駅ビルの前に到着して自転車を降り、その商業施設に入っていった。目的地と言っても、僕には何をしに来たのかさっぱり解らない。どうせまた、くだらない物を万引きして後輩なんかに売りつけるのだろうと思った。

「屋上まで行こうぜ」

誰かがそう言い、エスカレーターは使わず、階段を駆け上がった。7階の上が屋上で、外に出ると小さな遊園地のようになっている。プレハブ小屋の陰に隠れて、僕とTを除いた5人が煙草を吸う。

「屋上で吸う煙草はやっぱうめーな」

なんて言いながら、ケラケラ笑っていた。

建物の中へ戻り、階段を下り始めた。すると突然、パンッパンパパパンッと爆音が階段に響き渡った。

一番後ろで歩いていた奴が、おもちゃ屋で盗んだ爆竹に火を点けたのだ。

「おーっ、びびったー。お前、やるなら先に教えろよ」

そんな事を言って皆でまた笑っていると、

「こらーっ、お前達何してるーっ」

と、私服の大人がこっちに走ってきた。

僕達は慌てて階段を駆け降りる。7階にいた警備員も追いかけてきた。

5階で僕の前を走っていたTがエスカレーターの方へ向かった。僕もTのあとを追った。Tと僕の間に1人、僕の後ろにもう1人ついてくる。他の3人はそのまま階段を降りて行き、その後を警備員が追う。

Tが登りのエスカレーターを逆走して下っていく。僕ともう2人もTを追う。私服のオッサンが僕達を追いかけてくる。

僕の前の奴がもたもたして、前が詰まってしまう。後ろの奴が私服のオッサンにもう少しで捕まりそうだ。

3階まで来た時に、僕はイチかバチかエスカレーターを逸れて売り場の方へ走った。反対側の下りのエスカレーターに向かおうとしたのだ。

すると、私服のオッサンは僕についてきてしまった。反対側のエスカレーターには、子連れの親子が幅いっぱいに立っていた。仕方なく僕は階段に向かって走る。

だが、買い物客と目が合った瞬間、急に逃げている事が恥ずかしくなり、僕はそこで足を止めてしまった。すぐに私服のオッサンに捕らえられた。

僕は7階の応接室に連行され、駅ビルのお偉いさんに引き渡された。私服のオッサンはこの駅ビルにある店舗の納入業者だったらしく、お偉いさんから感謝され、部屋を出ていった。

それから僕はお偉いさんから尋問を受ける。どうしてこんな事したんだ、仲間は何人だ、学校はどこだ、などなど。

なんでこんな事をしたんだって、そんなの知らんよ。あいつが勝手にやったんだから。仲間や学校の事なんて言える訳ないだろ。そんな風に思いながら、僕は机の傷を見つめ、沈黙していた。

「何も話さないんなら警察を呼ぶぞ」

1時間くらいの間、お偉いさんは応接室を出たり入ったりした後でそう言った。

「話すまで家にも帰れないし、それでもいいのか?」

警察を呼ばれたって訊かれる事は同じだし、かまわなかった。でも、早く家には帰りたかった。時計は午後6時を指していた。

それから更に1時間くらい、お偉いさんは自分の中学生の頃の話や最近、近くで暴力団の発砲事件があって、みんなピリピリしているのにこんな事をして、なんて話をしながら尋問を続けた。

その間に僕は、自分の名前と電話番号、仲間の人数を喋っていた。それから自分は何もしていないという事も。親に電話すると言われたが、今は家にはいないと答えた。本当の事だ。

「それ以上、喋るつもりがないんなら、本当に警察に来てもらうしかないな。友達を守りたい気持ちはわかるけど、こっちとしてもこのままという訳にはいかないからな。最後にもう一度だけ訊くぞ」

そして僕は全部話してしまった。これから警察が来て、まだ何時間も拘束されるなんて無理だった。家に帰って眠ってしまいたかった。


駅ビルを出ると外はもう真っ暗だった。自転車をゆっくりゆっくり漕いだ。自己嫌悪。一番やってはいけない事をした。自分の事はいいとして、仲間の事は絶対に喋ってはいけなかった。それは自分が悪い事をしていないというのとは関係ない。誰に言われなくても、男同士の決まりきった約束事のようなものだ。結局、海の時もそうだったけど、自分は卑怯な臆病者だと思い知った。

僕は家に帰りたくない気分に変わっていた。1時間以上かけて家に帰った。家の手前でTが待っていた。

「お前、大丈夫だったか?みんな逃げて、お前だけ出てこないから心配してたんだぞ。何してたんだよ」

「捕まった」

「ああ、やっぱりな。お前なんであの時、あっちに逃げてったんだよ」

「それより俺、みんなの事、喋っちゃった。ごめん」

「そっか。わかった」

Tは帰っていった。また僕を責めずに。


次の日、2時間目の途中で学年主任の先生に呼ばれた。クラス中がざわめく中、僕は進路指導室に連れて行かれた。この学年主任の先生は、昭和一桁代の生まれで、頑固な人だった。僕が1年の時の担任でもある。

学年主任にも昨日と同じ内容を訊かれ、ゲンコツをくらった。

「お前はもっと利口なヤツだと思ってたのに」

部屋を出る時にそう言われた。ちょっぴり涙が滲んだ。

入れ替わりに昨日の他のメンバーが呼ばれた。同じクラスなのは2人で、他の連中も廊下を歩いて行くのが見えた。

休み時間になっても、誰も僕に何も訊いてくる友達はいなかった。昨日のメンバーは教室に返されたあと、みんな1週間の停学処分になった。万引きの事は話してないのに、何故か僕を除いた皆が処分を受けた。

家でも、母親は何も訊かなかった。学校から連絡はあったはずなのに。ただ、「もうT君と遊ぶのはよしなさい」とだけ言った。

1週間して停学がとけて、学校に出てきたあの時のメンバーは、誰も僕に近づいては来なかった。みんなにリンチされていてもおかしくない状況だったけど、そういう事はまるで無く、笑いながらあの日の事をからかってくる事もなかった。そして自分からも、話しかけたり謝ったりする事はできなかった。

暫くの間、僕はクラスの誰とも話をせず、暗い気持ちで学校生活を送った。



🌑🌑🌑

冬休みが終わり3学期に入ると、新しい友達ができた。悪さをしないタイプの友達だ。僕はそのグループのヤツらとつるむようになった。

2月になって、Tから久しぶりに電話があった。遊びの誘いだ。僕は断った。何故かと訊いた彼に、僕は酷いことを言ってしまった。

「お母が、もうTとは遊ぶなって言ったから」

言ってから、しまったと思ったが、もう出た言葉は取り消せない。

そのままガチャンと受話器が置かれる音がした。またまた酷い事をしてしまった。Tに対しては3度目の裏切りだ。しかも、今度のやつは特に酷すぎる。説明できる理由が見つからず、母親のせいにしてしまった。たぶん、Tにとっても一番ショックなことだっただろう。

それ以降、Tから話しかけられる事はなくなった。

僕はTのことがまだ好きだった。小学1年生からのつき合いで、彼がどんなに悪さをしても、彼がいいヤツだという事は知っていた。彼の方も、僕が2度、裏切るような事があってもまだ許してくれていたということだろう。でも、さすがに今回のはダメだ。本当に自分のクズさにうんざりした。

そして僕は14歳で自分という人間について悟った。自分が薄情なろくでもない人間であることを。優しい人で通ってきたことを恥じた。自分はまったく優しくなんてない。卑怯で臆病な人間なのだ。


🌑🌑🌑

これが私という人間の本当の姿で、これらが私のずっと隠していた「恥」だ。

この時の経験によって、自分というものを理解した私は、自分の生き方、とるべき行動を考えられるようになった。

暗い夜の湖の畔で、ひとり取り残されたようなあの孤独感、それに唯一、光が射したと言えるのは、本当の自分を知ることができたという事だけだろう。

私はその後の人生を、自分はクソみたいな存在だと戒めながら生きている。

この文章は、ゆめのさんのこの作品を見て思い出し、書き記したものです。



参加したのは、まつおさんのこの企画。


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