見出し画像

天女魚(上)

僕達は大学の卒業記念に都内から車で3時間ほどの距離にあるペンションへとレンタカーを走らせやって来た。
年季の入ったペンションの庭の向こう側からは清流のせせらぎが聴こえてくる。
午後4時。途中で寄った名所の滝に繋がる階段のおかげで僕達は早くも疲労を感じていた。
ペンションに到着し、カビくさい臭いを追い出すために全ての窓を開放すると、4人が各々に床の空いたスペースに寝転がった。
暫くすると誰かの寝息がした。が、自分は眠れずに名所の滝で出会った女の子の事を考えていた。

駐車場に車を停め滝へ向かう階段を降りると、地元の特産品であるワサビを使った土産物売り場があった。
僕達は滝をバックにスマホで写真を撮り合ったりしたあと、その土産売り場へ寄った。
他の3人はワサビ味のソフトクリームを注文し、僕だけバニラアイスクリームの上に生ワサビが乗せられたものを選んだから、自分の分だけ最後になり少し待たされた。
手持ち無沙汰だった僕は、自分達と同じくらいの年齢であろう売り場の店員さんに話しかけてみた。
彼女も僕達と同じ歳の大学生で4月からは大学院生になるらしい。ここには春休みの1ヶ月間だけアルバイトに来ているということだった。
彼女の色白ですらっと長い手からアイスクリームのカップを受け取る。
「お待たせしました、ありがとうございます」
か細く感じる彼女の声は、意外と滝の轟音にも負けず僕の耳に心地よく確かに届いた。
皆が待つベンチに腰掛け、アイスクリームをプラスチックのスプーンで掬う。
上に乗った生ワサビの茎のソースと一緒に口に運ぶとぴりりと辛みを感じ、アイスクリームの甘さが引き立つ。あとには爽快感が残った。
土産物売り場の隣の小屋に〈天女魚釣り〉と書かれているのを仲間の一人が見つけ「あれ何て読むんだろう」と呟く。
「てんにょざかな?」と僕が言うと、ふふふと笑い声が聞こえた。さっきの土産物売り場の女の子だった。
「あれはね、アマゴって読むんですよ」
「へー、あれでアマゴって読むんだ」
小屋の文字を見つけた仲間がそう答える横で、僕は顔が赤くなりそうなのをなんとか堪えた。
「お時間あるなら釣ってみます?」
「釣りたい」
僕が返事を返すと他の3人も同調した。

釣り小屋の担当も彼女だった。
彼女から釣り竿を渡され、外で組み立てると6メートルくらいの長さになった。
他にも一人、30代くらいの男性がおり釣り方はその人から教わった。
釣れそうなポイントを教わり、僕達は各々に糸を垂らした。
僕が滝から100メートルくらい離れた場所で、そこから上流に向かって10メートルづつくらいの間隔を空けて4人が並ぶ。
10分ほど経った時、あたりのような感覚があったので竿を上げてみたが、餌の川虫の頭の部分だけが無くなっていた。
それから5分ほどして、一番上流にいた友達から歓声があがった。
竿を岸に置いて走って見に行く。
釣った友達が竿を真上に上げると、びちびちと暴れる魚が太陽の光を受けて銀色に光った。
「おっ、アマゴが釣れたね! 25センチを超えるくらいかな」
釣り方を教えてくれた係の男性が駆けつけて、針からアマゴを外しバケツに移してくれる。
「この朱色の斑点があるのがアマゴの特徴なんです。渓流の女王なんて呼ば方もしてるんですよ」
とても美しい魚体を見たら自分も釣りたくなり、急いで釣りを再開した。

釣りを始めてから30分が経過したことを腕時計で確認した。
みんな釣りたい気持ちが強いのだろう、他のポイントを探して距離が離れてゆく。
「どう、釣れた?」
その声に振り向くと売店の彼女がこちらに向かって歩いて来るところだった。
僕は右手を振って釣果が無いことを示した。
「まあ初心者にはちょっと難しいかもね!」
「キミ」と言いかけて、そんな風に呼ぶのもなんだかおかしいかと思い言い淀んでいると、彼女の方から自己紹介してくれる。
「私のことはアマコとでも呼んで。アマゴ釣りのアマコってなんか可愛いでしょ。もちろん本名ではないけれど」
彼女はそう言って白い歯を少しだけ見せた。
「じゃあ僕はゴンにしよう。アマゴのゴだけ借りて」
ふふふふ、と彼女は口許を隠すようにして笑う。
「ねえ、アマコさんも釣りするの?」
「さん付けはいらないよ。アマコでいいよ、名前なんてただの記号だし。そうね、ここに来て久しぶりに釣りをしたんだ。あのね、小学生の頃にお父さんに連れられてヤマメの釣り堀に行ったの。釣り堀だからたくさん釣れたんだけどね、バスを待ってる間に弱ってきちゃったから川に逃がしてあげることにしたの。みんな勢いよく逃げていったんだけど一匹だけ死んじゃってね、腹の白い部分を上にして流されていったんだ。でもね私、元気に逃げていったヤマメの美しく輝く姿をずっと覚えていたんだね。それでネットでバイト探している時にここだ!って直感的に決めたのよ。それでここに来てから最初の3日間くらいはアマゴ釣りを向こうの彼に教えてもらいながらしたのね、でも違うことに気付いたの。私は釣りたいんじゃなくてただあの綺麗な姿を眺めていたいんだって。なんてそんなこと言いながらもアマゴを焼いて食べたりしちゃってるんだけどね」
彼女はそんな話を聞かせてくれながら、最後に少しだけ舌を出してみせた。
そして彼女のその仕草に僕の心臓はその瞬間ドクッと音が聴こえるくらいに大きく身体中に血液を排出したのだった。

1時間して僕達はそろそろ引き上げることにした。
結局、僕は釣れず終いだった。
他の3人のうち、2人が一匹づつ釣れた。
帰りに男性スタッフの方がオマケでもう二匹くれた。
僕達は揃って彼に礼を言い階段を上がっていこうとすると、アマコが僕を呼び止めた。
近づいた彼女は僕の腕を両手で掴み、耳許で囁く。
「今日の夜、またここに来て。暗いから何か灯りになる物を持ってきてね」
僕は暫く彼女の顔を見つめながら、言葉の意味を探った。
「おーいっ、いちゃついてないで早く行くぞーっ」
仲間に急かされて「わかった」とだけアマコに伝え、僕は階段を駆け上がった。
妖しく光る彼女の唇の朱が脳裏に焼きついた。



❮下に続く❯





この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

ゆる~く 思いついたままに書いてます 特にココでお金稼ごうとは思ってませんが、サポートしてくれたら喜びます🍀😌🍀