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桃の季節 (季節の果物シリーズ①)


その年、僕は夏期休暇を利用して、実家のある静岡に2年ぶりに帰省していた。

都内の大学に通っている間は、授業に間に合うぎりぎりになって起きるという生活をしていたのだが、実家では早起きをして近くの海岸を散歩した。

まだ日が昇って間もない時間の海岸での散歩は、やはり都会のもわっと色んなものが混じり合い立ち昇ってくるような臭いとは違い、爽やかな潮の香りを運んでくれ、爽快な気分にさせてくれた。


そんな帰省してから5日目の朝、あなたを見つけた。
あなたは白いノースリーブのシャツとピンクのショートパンツにサンダル姿でしゃがみこみ、波打ち際に落ちている石を拾っていた。
短めの髪は気持ち良さそうに潮風に泳がされていた。

僕はしばらく離れた場所からあなたを見つめていた。
もしまた別の誰かがそんな僕の様子を眺めていたら、きっと怪しいヤツだと思われたに違いない。

それから毎朝のようにあなたは夏の海岸に現れた。
僕はあなたに声を掛けたくて堪らずにいたが、そんな勇気もなく、話すべき会話も思いつかなかった。

帰省して10日目の朝、ぼーっと歩いていると突然、うしろから僕を呼び止める声が。
振り替えるとそこにはあなたが立っていた。

「いつもここ、歩いてますよね」

憧れのあなたから声を掛けられた僕はアタフタしながら話したのを覚えている。
僕との辿々しい会話の最中、あなたからは捥ぎたてのフルーツのような香りが漂っているように感じられたっけ。

そうして僕とあなたは朝の海岸を歩き、輝く波間を見ながらお喋りするのが、ここでの日課になった。
そしてあなたとのそれを、僕は勝手にデートとして楽しんでいたんだ。


8月のお盆の時期に親戚が集まって、海岸でバーベキューをすることになった。
僕はあなたを誘った。

「君の親戚の集まりに私が居て、迷惑じゃないかしら」

あなたは僕にそう訊いたけど、迷惑だなんてとんでもない。
心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしながらも、誘った甲斐があったというものだ。


バーベキュー当日、あなたは白いワンピースに麦わら帽子を被って登場した。
お待たせ、と言って微笑むあなたに僕はキュン死寸前だった。
あなたを連れて現れた僕は、歳の近い従兄弟達からひやかされたが、それもまんざらでもなかった。

従兄弟が火をおこしている間、長崎から取り寄せた岩牡蠣を食べた。
岩牡蠣の殻は固く閉ざされており、苦労して開けた。
牡蠣を口に流し込む時に、僕は殻で唇の端を切った。
その丸々と成長した岩牡蠣からは、口の中から鼻に抜ける磯の香りと濃厚でクリーミーな口当たり、そして驚くほどの塩気と甘味を感じた。
呑み込んだ後でもねっとりと口内に残る牡蠣の旨味に、鉄の味が混ざったが、それも悪くはなかった。

あなたは僕の唇の端に滲む血液を、あなたのハンカチで拭いてくれた。
僕はつい、あなたの唇を見つめてしまっていたんだ。

火を点け終わり、肉やら野菜やら海産物なんかを焼きながら、みんなで酒を酌み交わした。
あなたも缶に入った微アルコールのサワーを飲んでいた。
僕はその時、あの缶に嫉妬したものだったな。

一通り食材を食べ尽くし、親父達が酔っぱらって昔話を始めているところに、あなたは持ってきたクーラーボックスから沢山の桃を取り出した。

山梨の果物農家をやっているあなたの実家から送られてきた桃だ。
一人では食べきれないから今日、持ってきたんだとあなたは言っていた。

桃の皮をナイフで剥こうとする僕に、皮ごとかぶりついちゃいなさいよ、とあなたは言って自ら手本をみせた。
あなたがかぶりついた桃から汁があなたの手から腕へと伝い、肘から垂れてあなたの白いワンピースの腿の辺りを濡らした。
あなたは僕の唇から流れた血を拭いたのと同じハンカチで、その染みを押さえた。
僕はそれを見ないふりをしながら、自分の手にした桃にかぶりついた。

その桃は普段食べ慣れた柔らかいものとは違い、しっかりとした輪郭をもった食感だった。
やわらかい甘味の中に微かな酸味を忍ばせていた。

「私の実家のほうの桃は固さのあるものが主流なの。じゅくじゅくしてなくてもしっかりと甘いでしょ」

あなたはそう、その場の人達に説明した。
僕達は皆、頷いたり感嘆の溜め息をつきながら、同意の意思を示していた。

大きな種を火の中に投げ入れ、あなたに視線を戻すと、あなたの頬とバックに見える海が夕焼けに染められていた。
オレンジとピンクが混ざりあったような、あなたのその横顔に僕は神秘的な美しさを感じた。
僕は同じく神秘的に染められている海に向かって、あなたとずっと一緒にいられる事を願ったんだ。

片付けを終えて、あなたを家まで送る道、僕はそっとあなたの手を握った。
あなたは繋がれた僕の手を自分の鼻にくっつけて言ったね。

「あーっ、まだ桃の匂いが残っているね。とってもいい匂い」

僕もあなたの手を引き、鼻先に近づけた。
そこからはやっぱり、まだ桃の匂いがした。

そして僕は驚いた。
その爽やかな香りは、初めてあなたと言葉を交わした日の、あのあなたから感じた想像の香りと1ミリも違わず一致したのだった。

あなたは僕の顔を不思議そうに覗き込み、ふふっと笑ってから言った。

「このままずっと、二人でこうしていられたらいいのに」

僕はあなたのその意見に深く同意して、あなたの手をギュッと握りしめた。




❮桃の季節❯ おわり


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