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2022年、おとめ座は行動を始める


今年の私のテーマは「自発的な行動」にした。

私は二児の母親で在宅ワークもしている。毎日目まぐるしく忙しいが、日記やエッセイにするほど特筆すべき何かがそう頻繁に起こるわけではない。今日の洗濯のタイミングはサイコーだったとか、息子と娘がとびきり可愛かったとか、あの仕事のあのタスクを完了できなかったとか、そんなことばかりずっと続いていく。日記を書いても大して楽しくないのだ。

毎日が変わらないと思い始めたのは二十代の頃だっただろうか。就職して仕事にも慣れてきて、朝起きて仕事に行って、ランチをして、また仕事して、駅前の賑やかなビルを覗いて帰宅する。自分が何かアクションを起こさなければこの毎日が永遠に続くのだと思い当たってゾッとしたのだ。落ちこぼれの私には出世や昇給は望めなかったが、住民税は歳を取るごとに増えていく。つまり手取りが減っていく。何かしないと手取りが減る! それでも危機感は漠然としていて、習い事をしたり、合コンをしたり、自分磨きをしたり、資格を取ってみたりしたけれど、本質的に何かを変えることはできなかった。さすがに結婚・引越と出産は環境や働き方がガラリと変わったが、手続きや行事が落ち着いてしまえば、また変わらない日々の繰り返しが戻ってきた。

何もしなくても何かが変わっていたのは、いつの頃までだったのだろう?

学生の頃は、嫌でも一年ごとに変化が起こっていた。良くも悪くも人間関係がリセットされて、新しいクラスでまた一から友達を作らなければいけない。その関係性も、毎日学校で顔を合わせるというのは大人から見ればイージーかつベリーハードだ。毎日会うから仲良くなれるし、嫌な奴とも会わなきゃいけないし、喧嘩しても仲直りできたりする。私達は変化することに慣れ親しんでから社会に放り出されるのだ。

大人になると変化の回数が一気に減る。人事異動も毎年該当するような人は滅多にいない。仕事ではプロジェクトの区切りなどで変化を感じる人もいるかもしれないが、学習要領のようにだんだん難しいプロジェクトにアサインされるように確約されているわけでもない。能力が伸びなければずっと同じようなプロジェクトを回していくだけになるだろう。

大人になると身体のサイズがあまり変わらなくなるから、季節ごとに服や靴を買い替える必要もなくなってくる。いや、むしろ体型が崩れてサイズが変わることはあるかもしれない。それは子どもの頃に身長が伸びたから新しい服を買う、嬉しい変化とは真逆のものだろう。多くの人が、たるんだ腹や尻をどうにかしたくて運動や食事の節制に取り組むのではないだろうか。変化がないどころか、悪い方に変化してしまうのを、なんとか食い止めようというのだ。

そう、大人になると、何もしなければ悪い方に変化していくばかりになる。

停滞していると思っているのは自分ばかりで、周囲は相変わらず動き続けているのだ。それに置いて行かれないように踏ん張らないと、給与が増えずに住民税だけ上がったり、ベルトの上に立派な浮き輪が乗っかったりする羽目になる。現状維持というのは、停滞ではなく悪化しないために努力し続けていることの結果なのだ。

今の私は、少なくとも子どものためには頑張って色々な行動をしていると思う。子どもはすぐに大きくなるし、幼稚園に行ったり検診や予防接種があったりと、変化の方からどんどんやって来るので、それをすぐさま打ち返さなければならない。子どもにとっての変化の半分くらいは親がそのお膳立ての準備をしているのだと、自分で子供を育ててみてしみじみと実感した。

では私自身はどうだろう?

日々忙しく過ごして変化しているような気もするが、その殆どは子どもの変化のお膳立てだ。私自身は腹の肉が増えていくことすら食い止められない。悪化しつつある何かを、育児の忙しさで蓋をし続けている結果が、つまらない日記の連続なのではないか。このまま毎日、毎月、毎年過ごしていったら、私はブクブクと太り続け、仕事も大したことができないまま凡ミスを繰り返し続けるのではないか。そして育児が終わった時に残るのは、かつての私とは比ぶべくもない、悪化し続けて見るに耐えない何かなのではないか──育児も立派な経験なのかもしれないが、それ以外に何も残らなかったら。

そんなの、とても耐えられない。
何か、何かしなくちゃ。

そんな私の思いを今年の抱負にすると、「自発的な行動」になったのだ。
手始めにnoteを更新していくつもりだ。ペースはどれくらいになるか分からないが、良い変化をもたらしてくれるといいな。

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