愛情 2022/5/2
「愛情というのは与えるものではなく、愛したいと感じる気持ちを、相手からもらうことをいうのだと」
(「まほろ駅前多田便利軒」三浦 しおん著 より抜粋)
今朝この文章を読んだとき、衝撃を受けた。わたしの唯一の能動的行動「愛する」も、受け取ることから始まってたんだ。カーンと頭を殴られた。でも納得だった。
当初はこのあと、「愛する」にかけて、自分の恋愛ネタを書くつもりだった。でも、「愛する」を違う角度から深めたくなることがやってきた。
きょうの夜のこと。友人からわたしと母のことを尋ねられた。わたしの母は亡くなった。病気だった。わたしの人生最大の出来事だったし、いまもそうだ。母の死から数年経ち、わたしは日常生活を普通に送っている。尋ねられたことをきっかけに、思い出していた。
わたしが文章を書き始めたのは、2年ほど前。もっぱら母とのことを書いた。母を書き始めたきっかけは、とある文章を読んだから。その文章は、死が美しく描かれていた。
そんなわけあるか。死とは受け入れがたく、禍々しく、でも自分の心を大きく占めるものなんだ。わたしが見せてやる。書いてやる。
狂気にも似た情動だった。書いて、書いて、書きまくった。
いまよりも拙い文章力だったと思うが、込められているエネルギーはすごかった。あのエネルギーはどこから湧いていたのだろう。
母のことだったから、あそこまで熱くなれたのは間違いない。
心底母を愛していた。書いてみて実感する。愛してるという言葉を母に使うのは、面はゆい。
母の文章を書いてから、ちょうど2年くらい経った。いまのわたしなら、なんて書くのだろう。ふと思いを馳せた夜だった。
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