私の場合 障害児のお父さん1日目-3

障害児子育て応援隊長のちゅうです。(元障がい者総合研究所の所長・・・子育て以外の方が詳しいような・・・。)

障がい者支援の老舗(株)ゼネラルパートナーズに、子供の出生がきっかけで転職し10年ほど仕事をしていました。今後あなたが少しでも前向きになれるきっかけになれればと思って記事を書います。

・・・今回は「私の場合 障害児のお父さん歴1日目-2」の続きですので、そちらを先にお読みください。・・・

顔を見せてくれた両親が妻の実家にも電話で報告をしてくれていたようでした。当時を振り返るとあまり現実味がしておらず、自分でも驚くぐらい落ち着いて来客者には、対応していた気がするのですが、さすがにそこまでは気が回らなかったようです。

出産した妻と顔を合わせ、我が子の状況を私から伝えました。

あらためて我が子と保育器ごしで、あらためてお父さん・お母さんとして対面しました。通常、あかちゃんは鼻で呼吸をするそうなのですが、我が子は鼻穴の骨が変形している為か鼻で息ができず、我が子は苦しそうな様子でしたが、口で呼吸をすることにチャレンジしているようでした。

それでもなかなかすぐにはマスターできるわけもなく、顔色はときおり紫色になり、酸欠の症状になったりならなかったりの繰り返しでした。足の指にセンサーをとりつけて血液の中の酸素濃度を測って、酸欠になっているかどうかを測定している機械があるのですが、そのアラーム音(その後10回を超える手術・入院の中で、(なっていても気にならない程・・・(苦笑))この音を聞く事になるとはこの時は夢にも思ってもいませんでしたが、なってはすぐにナースコールで看護士さんを呼んでいたのをずっと繰り返していた気がします。

お医者さんか看護士の方が「どんどん大きくなると可愛くなりますよ。」という言葉をかけてくれていた気もしますが、あまりに怒涛すぎる一日を過ごしており、言葉が頭にはいっていく余裕もなく、その日は病院のはからいで妻の寝ているベットの脇に簡易ベット設置してもらいそこで1晩明かすこととなりました。

出産の兆候を聞いて平日に会社を飛び出し、早退させてもらい病院にかけつけていたので、翌日は会社に連絡をしないとな、でも何をどう話せばいいんだろうなと思いそのまま簡易ベットで横になり怒涛の1日目が終わりました。

2日目に続きます・・・

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