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YMO「君に、胸キュン。」は安易な売れ線ではなく大いなる挑戦だった(はず)

イエローマジックオーケストラことYMOメンバーが今年に入り2人も亡くなってしまいました。
とても悲しい出来事であり、残された細野晴臣さんには元気に長生きしてもらいたいと願わずにはいられません。


「君に、胸キュン。」制作背景


ところで今回のテーマである「君に、胸キュン。」
YMOシングルの中で最も売れたシングルです。

しかしこの曲、1983年の発表当初から長きに渡り古参のファンの間ではどうも軽視されてる感が否めませんでした。
実際に僕の知人のコアなファンは今も「企画もの」という別枠扱いのようです。
その理由として楽曲が作られた経緯が影響してると思われます。

その経緯とは次のようなもの。
[当時バンドは既にやり尽くした感があり解散を考えていたが、レコード会社は解散を阻止するべくCMタイアップを決めます。
メンバーは仕方なく楽曲制作に取り組みます。
そこで彼らが打ち出したコンセプトが当時アイドル歌謡主流だったヒットチャートで1位を取り解散する、というもの。
その目標の元、敢えて売れ線に舵を取り完成させたのが「君に、胸キュン。」であった。]

こういった舞台裏がファンの間で大衆への迎合だとネガティブなニュアンスで語り継がれ、この曲は「アイドルごっこ」「お遊び」という扱いを受けてしまったわけです。

1983年の散開ライブ以降、再結成では結局一度も演奏されなかったこともファンの評価に多少影響があるのかもしれません。


しかし「君に、胸キュン。」は本当に「お遊び」だったのでしょうか?
元々YMOの結成時の細野さんのプランがマーティン・デニーをシンセサイザーで演奏して世界で400万枚売るというものだったのは有名な話。

そんな彼らにとって「歌謡曲全盛のヒットチャートで1位を取り華々しく解散する」というテーマは、結成当初の目標同様に自分たちが大いに楽しめる未知への挑戦だったはず。

既にこの二年前に細野さんはイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」で大ヒットを放っていて、それを機にアイドルへの作曲依頼も少しずつ増えてきていました。
無縁だと思っていた歌謡界からのオファーと成功は、彼らにとって大きな驚きであり発見だったことでしょう。

こうして自らの音楽性を見事に歌謡に落とし込み完成させた「君に、胸キュン。」
既に不仲だったと言われる時期にも関わらず作曲クレジットはYMOです。
このことからも三人がお互いにアイデアを出しながら、楽しんで完成させたことが窺えます。

遊び感覚満載のPV

アイドルごっこと揶揄された原因にはこのPVの存在も影響してるでしょうが、これは監督した立花ハジメ氏の確信犯に違いありません。
2分経過付近からの細野さんの気持ち悪さは秀逸!

何と多幸感のあるイントロ!
1993年の再結成ライブ、東京ドームという大会場でこのイントロが流れたらどんなに痛快だったことか。
サプライズ好きなYMOには絶対にやるわけないと思われていたこの曲こそ演奏してほしかった。
きっと何万もの観客の「キュン!」レスポンスと共に楽曲の評価も爆上げしたはず。

このCMで彼らを知ったという人も相当数いたはず。

2000年以降の再評価の動き

そして現在。
長く不遇な境遇にあったこの曲も若い世代に寄る数々のカバーの甲斐もあり、この20年ほどで正当な評価を得てきているように感じます。
理屈など飛び越えて「この曲良いじゃん!よっしゃカバーしよ」てなもんでしょう。
今後もYMOを知らない世代が彼らを知るきっかけとしてこの曲が持つ間口の広さが大いに機能することでしょう。
YMOが「君に、胸キュン。」で試みた大衆性への挑戦は見事に成功し、今も尚続いているのです。

ヒットチャート2位の真実


最後にもうひとつ。
この曲、当時目標に掲げたヒットチャート1位は惜しくも逃し2位止まりでした。
巷ではよく「君に、胸キュン。」の1位を阻んだのは皮肉にも細野さん作曲の松田聖子「天国のキッス」だったと語られることが多いですが事実は違います。
「君に、胸キュン。」が2位まで上がった5月2日付けチャートの1位は実際は細川たかしの「矢切の渡し」であり、「天国のキッス」が1位を付けた5月16日付けのチャートでは「胸キュン」は既に6位まで落ちていました。
このように「天国のキッス」に関係無く「胸キュン」は1位を取れていなかったわけです。
事実は往々にして通説より凡なり、なのです。


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