いま思えば。。

いつも思うこと

いったい我が姫はいつからADHD症状が顕著に現れていたのだろう

それをどうしてもっと早く気付く事が出来なかったのだろう

自分で言うのはなんだが子育てを必死にしてきたつもり。

おまけに父方、母方の祖父母四人からは初孫という事もあり溺愛して育った。

小さい頃からお調子者ではあったけど、幼稚園でも小学校でも授業中に立ち歩く事も騒ぐことも無かったし、外では比較的大人しい子であった。

幼稚園の年少の時は初めての運動会で朝からハイテンションで登園したのに、お遊戯の競技で緊張からか最初から最後まで泣いて先生に抱っこされていた。

小2の時、吃音を担任の先生に指摘され「言葉の学校」へ行ったけれど、この段階では気にしなくて良い、ゆっくり話せる環境とゆっくり音読をすることで改善を図るよう指導を受けた。その後、学年が上がるにつれ吃音は落ち着いた。

小5くらいから先生に計算の凡ミスと読解力が少し弱いと言われ始めた。

ピアノが習いたいと言うので習わせた。なのに数ヶ月後には先生が来られる時間に帰って来なかったり、帰って来てもピアノのテキストを部屋に隠して、テキスト無いからピアノ出来ない!と嘘を言う事があった。

単なる子供あるある、ぐらいに思ってた。

あの頃から自分を守る為に嘘を言うクセがついたのかな。。。もっと早く気付いてれば。。と自責の念

友達関係は友達から仲間外れにされる事がたびたびあった。いま思えば他の子と少し違う発言や行動で浮いてたんだろな。その経験から友達への執着が強くなったんだろう。

その後、中学では勉強は苦手ながら部活にも入って中の下の成績ながら過ごせてきたが高校の時は仮進級になったこともあった。

高校の頃から友達遊びが盛んになって、自由奔放な生活に変わって、やるべき事を後回しするようになり叱る事が増えた。

進路決定(専門学校)の日ら友達との約束を優先して進路の手続きに行かなかった。

オカン:は?手続きしなかった?なんで?

姫:まぁ、いいかなーと思って

大事な自分の進路の手続きを他のことを優先する時点で姫の進路への本気度を感じられず、姫の高校に入ってからの日常を思うと、入学しても続くとは到底思えなかった。そこに投資する事は出来ないと判断した結果進路未定で卒業する事になった。

あの時、もっと他に方法があったのか。無理矢理でも短大や専門学校に行かせるべきだったのか。そうしたら何か変わってたのかな。。。あの頃から今もずっと残る後悔。

子供の頃から色んな事が起こるたびに、決して放置したわけでもなく、やり方は間違えてたかもしれないけれど、私の知る範囲の出来事については放置せず、話を聞いて、叱ったり褒めたり慰めたりしてきたつもり。

もっと早く、この子もしかして?と気付いて何か私が動いていたら何か変える事が出来てたのかな。もっと向き合ってたら、もっと会話してたら、もっとキチンと接していたら。

色んな後悔。この気持ちが晴れる日は来るのかな。

高校卒業後から姫と家族の大波乱が巻き起こることに。

追々書きます。