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歌集副読本『老人ホームで死ぬほどモテたい』と『水上バス浅草行き』を読む を待っていたのだ


異世界転生するため、越した。
数多のダンボールを漸く剥き終え、漸く新しい街に腰を据えた。
これから新たな生活も挑戦もあり不安も希望も何も知らないこの町で抱えつつ過ごしていかなければならないのだが、

いや先ずは待て、
楽しみにしていたこの本が、近所(らしい)本屋さんに入荷しているというじゃないか。





副音声って楽しい。


DVDの特典映像にオーディオコメンタリーとかがあるとわくわくして必ず聴いてしまうし、自分の好きな作品にリアクションしている外国人の動画再生が止まらない。
私も大きい声で「ホワッツ!!???!!」って言いながら白眼を剥きたい。そしてその後深いため息をつきながら眉間をつまみたい。

しかし、ある作品に対して何も考えずに感想を言うことは容易だけれど、一方でこれを公にすること、ましてや影響力のある人であればあるほどにとても恐ろしい行為であると感じる。
それをするにはある意味、作者を上回る熱量と持論を駆け巡らせる必要があるからだ。

ただ、そんな杞憂はどこかへ取っ払ってしまいたい。愛に満ちた感想であれば熱量のままに綴りたいし、頷きたい。
いつでもどこでもオタクは周囲を置き去りにして突っ走り、取り巻きはその様子を微笑みながら眺めていたいものだ。

サイコーの本が出た。

歌集副読本
『老人ホームで死ぬほどモテたい』と『水上バス浅草行き』を読む
著 上坂あゆ美 岡本真帆
※敬称略


この本は、タイトルにもある
・『老人ホームで死ぬほどモテたい』 上坂あゆ美
・『水上バス浅草行き』 岡本真帆
各々上記、珠玉の歌集をお互いに読みちぎり感想を言い合うというもの。

お二人があとがきにも書く通り
多様な読み方の一つの解釈でしかなく
正解も不正解も浅いも深いもないのだろう。
大げさに何かを言い切るわけでもなくただただお互いとお互いの作品への尊敬と愛情の塊がそこにはあった。

上坂さんと岡本さんは友人関係でもあるというが、それ故にあくまでも歌集の作者として相手の作品の感想を言う。といったスタンスを完全に崩すわけにはいかないように感じられた。
もっともっと相手を褒めちぎっていいんだぜ…裏ではこの歌サイコー!私のこれもヤバくね!って言いまくってくれていると願わずにはいられない。

あまりにもサイコーなお二人の歌集。更にサイコーなこの副読本。
誠に勝手ながら副読本の感想を私も少しだけ言わせてほしい。

一言だけ言うなら羨ましい。と思った。

私は何者でもないけれど、自分を絞って垂れた汗で作られた作品を友人に読まれるって、とても恥ずかしいけれどとても贅沢で素晴らしいことだと思うのだ。

名残惜しい本であればあるほどページを捲る手が遅くなったり、終わってもいないのに少し戻って読み返してみたりする。本作もあまりにも良かったので数多の手段を駆使したがとうとう終わってしまった。
こうなったら最後の手段である。

拙すぎる私が全くの第三者として少しだけ副読本を続けるしかない。

お二人の歌集で1番好きな歌に想いを馳せたいと思う。恐らく至る所で副読本の感想を綴られているだろう。これ永久機関である。


●上坂あゆ美
「明日暇?フラミンゴ見たい」一行で世界の色を変えてゆくなよ


『老モテ』を読んではじめてこの歌をみた時びっくりした。
こんな一言で誘いたいし、誘われたら思いたい。
脳みそが整形できる時代で、思考を似せられるとしたら上坂さんの脳みそにしてください。と迷うことなく言っているだろう。
おそらくLINEでの一言だろうか。一行って書いてあるから、電話とか会話ではなく何かしらの文章なのだろう。
唐突な明日の誘いと、筆者にも読者である私にも一切予想の出来なかったフラミンゴ観覧の提案。しかも「明日」暇?と聞きつつフラミンゴ「見たい」と落としているのがまた良い。提案と希望を最短で伝えてくる友人もしくは恋人。気心の知れた変人。サイコー。
暇。と答えてしまったらフラミンゴを見に行く必要がある。前日にこんな突拍子もないお誘いを先手を打ってまで「見たい」と連絡してくる傍若無人且つ天真爛漫な相手に振り回されたい。
きっとこの一行でフラミンゴ色に世界が華やかに色付いたのだろう。ツッコミのように口から出た「一行で世界の色を変えてゆくなよ」には相手への眩しさと決してNOではない返事が見え隠れしている。
この連絡をもらってから待ち合わせの途中も、一緒に歩いている時もきっと気持ちは綺麗なフラミンゴ色に染まっているに違いない。そして昨日の勢い虚しく、早歩きで向かった先のフラミンゴは思っていたよりも期待に添えない装いをしているのだ。

実際に調べてみたら全国でフラミンゴを見れる施設は80もあるらしく、
これはみんなに「明日暇?フラミンゴ見たい」と連絡するチャンスが転がっているということだ。意中の相手に是非。絶対落とせる。保証する。

●岡本真帆
パチパチするアイス食べよういつか死ぬことも忘れてしまう夕暮れ


夏の歌である。
岡本さんは夏が好きなのだろうか。なんとなく夏の歌が多いように感じられるし、語り口や言葉選びと夏の情景がとても似合う気がする。
一歌読み終えるときゅうりのような、みずみずしいさっぱりとした断面が見える。
作中で上坂さんも評していたが、このパチパチするアイスはポッピングシャワーだろうか(私も大好きです)
赤緑白、色とりどりの冷たいアイスと、おそらく夏であろうもったりとした長い夕方が対比となっていて色彩的にとても美しい。また、ポッピングシャワーという愉快なネーミングから繰り出されるパチパチという滑稽で刹那的な音に、いつか死ぬという漠然と長々とした絶望が弾かれて、死ぬまでの希望がうっすらと見えてくるような歌だ。きっと何か悩んでも、私たちにはパチパチしたアイスがある。パチパチと弾かれた後のカラッとした何でもなさには、明日も日常が続いてゆく希望が見える筈である。

めちゃめちゃ偏見であるが、岡本さんは150歳くらいまで長生きしそう。
そもそも人生何周目?って水川あさみでなくても聞いてしまいそうだ。

〜〜〜


近頃の私といえば順序とか形式とか、そんな事ばかりが気になってしまって面白さもへったくれもない。ただその通りの順序で悪くないように進むので精一杯なのだ。
自分でも歯痒く、面白みがないのは実感しつつも今更面白い人間になるのもなかなか難しいものであるが、せめて副読本の副読(?)くらいは読み手としてどうか自由に咀嚼したい。

何者かになりたい何もしていない自分にも、部屋の片隅で視界の狭くなった自分にも、葛藤も焦燥も無力も、
ほんの数分お出かけすれば自分の全く知らない世界で、当然こんな自分のことは知らずに呑気に楽しく生きている人がいる。自分だけつまらなく切羽詰まっていてもそういうものである。



いつもより少し長い時間歩いて辿り着いた本屋さんで入手したこのサイン本には、
日常でもがく人を少しだけ掬ってくれる言葉と体験、更に羨ましいほどの熱があった。



#nowplaying  
くるり ワンダーフォーゲル


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