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マノン・レスコーと荒野にて

ブラックスター(ブラスタ)シーズン2第4章、大変な展開でしたね。
まだ気持ちの整理がついていないのですが、今回の公演楽曲『荒野にて』とその原典となる『マノン・レスコー』について、簡単な紹介と私なりに考えたことをまとめてみました。

※本記事の内容は、シーズン2第4章の内容および一部カード(シーズン2第4章特効カード、シーズン1ホワイトデーイベント報酬カード)から得られる情報を含みます。

『荒野にて』概要

楽曲説明文

魔性の美しさを持つマノンと恋に落ちたデ・グリュー。マノンの愚かしさと愛憎で2人は転落の一途をたどり、やがて何もない荒野へとたどり着く。無邪気で純粋な愛は、残酷な結末へと向かっていく。別れが近づいていた。

配役(スタメン配置順)

騎士デ・グリュー:リンドウ
  ※シーズン2第4章代役:メノウ
  ※シーズン2第4章千秋楽:夜光
エドモンド:ミズキ→真珠
ジェロンテ:銀星、ソテツ→メノウ 
  ※シーズン2第4章代役:旧キャスト(銀星、ソテツ)
レスコー:クー→夜光
  ※シーズン2第4章千秋楽:リンドウ
伯爵:吉野→マイカ

『マノン・レスコー』とは

『マノン・レスコー』は、アベ・プレヴォ(プレヴォ神父)による長篇小説『ある隠遁した貴族の回想と冒険』の最終巻に収められた物語内物語で、もともとの表題は『シュバリエ(騎士)・デ・グリューとマノン・レスコーの物語』といいます。のちに独立した1冊として発行されますが、元の長編小説の主人公であるルノンクール侯爵が出会った青年デ・グリューの語った身の上話を書き留めたという体裁をとっています。

『マノン・レスコー』を基に作られた作品は多数ありますが、ブラスタの楽曲『荒野にて』はプッチーニ作曲のオペラがベースであるとシーズン1第7章SideA第5話で述べられています。スターレス版の翻案を想像するにあたって、プレヴォの小説は決して無視できませんが、エドモンドという役はプッチーニ版でしか出てきませんので大まかな筋書きはプッチーニ版によると考えられます。

プッチーニのオペラ『マノン・レスコー』

プッチーニ版のオペラについて、個人的な所感や補足を加えつつ簡単にあらすじをまとめます。ご存知の方は読み飛ばしてください。

【登場人物】
デ・グリュー:アミアンの学校で哲学の課程を修了しようとしている学生。品行方正、学業優秀、容姿端麗。
エドモンド:デ・グリューの友人の学生。仲間内の中心的人物。
マノン:マノン・レスコー嬢。魔性の魅力を持つ美少女。親の意向で修道院に入ることになっている。
レスコー:マノンの兄。賭け事に長じている。妹の美貌は金儲けに使えると考えている。
ジェロンテ:好色な金持ち。

【第1幕】
18世紀、フランスのアミアン。
エドモンドを中心に学生たちや娘たちは恋の話で盛り上がっているが、デ・グリューは色恋には関心がない様子。
そこに馬車が到着し、レスコーと妹のマノン、財務官のジェロンテが降りてくる。
デ・グリューは一目でマノンの美しさの虜になり、マノンが一人になった隙に声をかける。素っ気ない態度のマノンは、親の意向で修道院に入るのだと話す。デ・グリューはその運命を阻止したいと話し、マノンと再会の約束を取り付ける。
レスコーとジェロンテはマノンの身の上について話している。レスコーはマノンを修道院に入れることには賛成でない様子。ジェロンテの身分を知り、金づるになると目を付ける。ジェロンテもまた、マノンへの下心から、兄妹を夕食に誘う。その裏でジェロンテはマノン誘拐を画策し、宿の主人に馬車を用意させる。それを盗み聞きしたエドモンドは、デ・グリューに計画を伝え、マノンと逃げることを後押しする。学生たちの助けもあり、デ・グリューとマノンはジェロンテが手配した馬車に乗って逃走。
レスコーとジェロンテが気づいた時には後の祭り。学生たちは高笑い。

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小説ではデ・グリューは17歳で、マノンはそれよりも年下ですが、プッチーニのオペラではマノンは18歳。オペラの方が急展開なのでそのあたりを加味したのかもしれません。
登場時のマノンは、おとなしいお嬢さん。修道院へ行くのは嫌だけれど、それが自分のさだめと諦めています。
色恋に興味がなかった堅物のデ・グリューは、マノンに出会った瞬間、運命の恋に落ちます。そのアプローチは彼の真面目さ故に一途で情熱的。
このデ・グリュー、小説版より人の輪の中にいて、幾分社交的な印象です。夜光はオペラのほうがドラマティックで好きだと言っていましたが、人物像に共感しやすかったのもあるかもしれません。小説の方がエピソードが多い分、えぐみがあって、メノウが語るデ・グリューの解釈は小説に近いような印象があります。

ところで、デ・グリューがなぜ「騎士」かと言うと、貴族の次男であるデ・グリューは親の意向でマルタ騎士団に入ることになっていて、既にその称号を使用していたためです。デ・グリューとマノン、それぞれが親の敷いた清らかなレールに乗って歩もうとしていたその道程で運命の出会いを果たし、破滅の道へと転落していきます。

【第2幕】
場所はパリ、ジェロンテの邸宅。
マノンとデ・グリューは引き離され、マノンはジェロンテの愛人になって贅沢な生活を送っていた。兄のレスコーが訪ねてきてマノンを褒めそやすが、マノンは愛のない生活に飽き飽きしている様子。
マノンはレスコーからデ・グリューの消息について聞く。マノンもデ・グリューもお互いに未練があることを知っているレスコーは、退屈しているマノンのためにデ・グリューを手引きする。
マノンと再会したデ・グリューはマノンを非難するが、マノンのしおらしい懇願を前に絆され、マノンへの愛が勝る。情熱的に愛を確かめ合う二人のもとにジェロンテがやってきて、驚きながらもマノンを咎める。それに対し、マノンはジェロンテを挑発。怒ったジェロンテはその場を去る。
すぐに逃げようと諭すデ・グリューをよそに、贅沢な生活に未練があるマノンは宝飾品を持ち去ろうとして時間を費やしてしまう。
レスコーがやってきて、ジェロンテがマノンを訴えたと告げる。マノンは憲兵に捕らえられ、連れ去られてしまう。

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マノンはデ・グリューを愛しているけれど、贅沢な生活も諦められません。マノンは計算高い悪女と言うよりも、ひたすらに無邪気な少女で、だからこそデ・グリューは彼女を愛してしまいます。
兄レスコーは欲深くてちゃっかりした印象です。マノンをジェロンテに引き渡したのはレスコーですが、いつの間にかデ・グリューと友人関係になっていています。
デ・グリューはマノンを取り返したくて、レスコーの手ほどきを受け、賭博で資金を得ていました。レスコーの話の調子から察するに、小説の通り、レスコーはイカサマの手引きをしたのだと思われます。
マノンが捕らえられ、デ・グリューは力尽くで助け出そうとするのですが、レスコーに今は事を荒立てるべきではないと静止され、マノンは連行されます。
引き離され、マノンを呼ぶデ・グリューの悲痛な声。デ・グリューもかなり軽率なところはありますが、少し気の毒になる場面です。

【第3幕】
ル・アーヴルの港。
デ・グリューはマノンを解放するため手を尽くしますがその甲斐なく、マノンは娼婦としてアメリカ大陸のフランス領・ルイジアナに売られることに。
レスコーとデ・グリューは護衛を買収しマノン救出を試みるが、失敗する。
娼婦を輸送する船に乗り込むマノンはデ・グリューに別れを告げるが、デ・グリューは船長に懇願し、自分を雇ってほしいと訴え出る。船長は心を動かされ、マノンと一緒にアメリカに連れていくことを承諾する。

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2幕と3幕の間で演奏されるドラマティックで優美な間奏曲は、二人の悲しい運命を暗示し、破滅の中で切実さとともに純度を増していく愛を物語るようです。
救出作戦失敗の後、娼婦たちは1人ずつ点呼され、衆目に晒されます。市民たちは口々に彼女たちを値踏みするようなことを言い、嘲笑します。マノンとデ・グリューは嘆き悲しみ、レスコーはお涙頂戴の演説で民衆の同情を煽ります(私が見た映像では、その流れで寄付を集めていました。いかにもレスコーがやりそうだな、と思います)。
デ・グリューは船長に嘆願し、迷うことなくすべてを捨ててアメリカへと旅立ちます。彼にしてみれば、マノンと共に居られるならば、秤にかけるべきものなどないのです。

【第4幕】
アメリカ、ルイジアナ州ニューオーリンズ。
ルイジアナでも問題を起こしたマノンとデ・グリューは荒野を彷徨い、ついに動けなくなってしまう。
意識が朦朧として気を失ったマノンのためにデ・グリューは水を探しに行く。一人目覚めたマノンは死期を悟る。
水を得ることができず、失意のまま帰還するデ・グリュー。マノンはデ・グリューの腕の中に倒れこみ、愛の言葉を交わしながら息を引き取る。

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二人が起こした問題の詳細は語られず、いきなり荒野を彷徨う場面から始まります。
小説の流れを汲むと、マノンとデ・グリューは慎ましく暮らしていたものの、植民地の総督の甥がマノンに横恋慕し、デ・グリューと私闘。これ以上ここに居ることはできないと考えた二人は、ろくな荷物も持たず荒野へと逃走する――という流れです。
愛を守るために逃走した荒野で「私の愛は死なない」という言葉を残しマノンは力尽きます。
全てを失い行きついた、何もない荒野。死の残響と、押し寄せる闇。呆然とするデ・グリュー。幕が下ります。

『マノン・レスコー』と『荒野にて』、シーズン2第4章『人魚は陸で暮らせない』

プッチーニ版オペラと小説の内容を踏まえて、スターレスの演目『荒野にて』やシーズン2第4章の内容について少し考えてみました。妄想を多分に含みますので、その点ご留意ください。

エドモンドのこと
プッチーニ版オペラに登場するエドモンドは、小説で登場するデ・グリューの友人ティベルジュとは人物造形が大きく異なります。
ティベルジュはデ・グリューに熱烈な親愛の情を捧げる友人です。物語の冒頭でマノンと駆け落ちする計画を打ち明けたデ・グリューに反対するも出し抜かれて、その後もデ・グリューのために心を砕き、度々模範的な道へ戻るようデ・グリューを諭します。
一方エドモンドは、学生たちの輪の中心に居るような人物です。恋愛に興味がないデ・グリューを気にかけていて、むしろマノンとの駆け落ちを促す役割であり、第1幕にしか登場しません。
荒野にてでは2ndポジションなので、もう少し活躍の場が増やされているようです。奔放である一方、どうやらデ・グリューをいさめる場面があるようなので、マノンに捨てられたデ・グリューに友人として「あんな女忘れてしまえよ」みたいなことを言うのかもしれません。あるいは「少しのめり込み過ぎじゃないか」とか。
デ・グリューと対照的な、健全な若者として描かれているように思います。メノウ曰く『柄が悪い感じ』のミズキのエドモンドや明るい真珠のエドモンドは、舞台に風を通すアクセントになりそうですね。

シンガー・マイカの役割
『荒野にて』の配役にはシンガー、マイカの伯爵役が存在します。プッチーニのオペラには存在しない役です。
この役はデ・グリューの父や兄、友人のティベルジュ、『ある貴族の回想』の主人公・ルノンクール侯爵が入り混じったような存在ではないかと思います。
デ・グリューの父やティベルジュは、道を踏み外してしまったデ・グリューに救いの手を差し伸べ、度々無下にされます。彼らは善意の人ですが、同時に、価値観が揺らがない人です。デ・グリューもまた、彼らを当てにしつつ一歩も譲る気がないので、お互いの手は離れてしまいます。
ルノンクール侯爵は、デ・グリューがル・アーヴルへ行く道中で行き合う紳士で、デ・グリューに好感を抱いて施しをします。何か出来ることがあれば力になるという申し出は、デ・グリューの運命を大きく変えることはないものの、悲惨な状況での唯一の助けでもありました。
どことなくシーズン2第4章で起きたことと重なりますし、役に寄り添い過ぎたが故に、安定した彼と破滅的なうねりとの間で乖離が生じ、チームの瓦解を食い止めきれなかったことも必然だったのかもしれません。
一方で、母国フランスに帰国し、道に戻ろうとするデ・グリューを支えるのも友人ティベルジュや兄の存在です。
毅然としたマイカの歌は安定しています。変わらずそこに在ることで、やがて帰る場所になれるのかもしれません。

メノウのデ・グリュー
デ・グリューは、輝かしい未来を手にできるだけの資質に恵まれていました。実際、凋落のさ中にあってもなお、そうした道は何度もデ・グリューの前に示されます。しかし、デ・グリューにとって至上の幸福はマノンと共にあることであり、彼がマノンへの烈しい情熱によって突き動かされるとき、そこに理性的な判断の介入の余地はありません。

リンドウの代わりにデ・グリューを演じるメノウは、夜光から「お前の『マノン』は芝居なんだろう」と言われます。ホワイトデーイベントの『はつ恋』で「自分のすべてと引き換えにできるものが『恋』なら僕は『芝居』に恋してる」と語ったメノウの、破滅をも厭わない芝居への執着がデ・グリューのマノンへの恋と重なって、恐怖を感じるほど真に迫るものになっている――それがメノウにとっての『本当の恋』だからです。
芝居への執着が強くなるほど、恋が燃え上がるほど、周りの声が耳に入らなくなるのも、彼のマノンである芝居を奪われないために荒野を渡っているのだと思えば自然なことのように思えます。

「人間関係を気にしていない」と言うメノウに、ケイは気にしていないのではなく悩みにふたをして己から切り離しているだけだと指摘します。
人間関係や悩みにふたをして、食事すら忘れて芝居にのめり込むメノウの姿は、キリスト教的な価値観や美徳に背き、家族や家柄を捨ててマノンとの恋へひた走るデ・グリューと重なります。
破滅してもいいと思えるほどの情熱に身を捧げることができるならば、彼にとってその喜びは何ものにも代えがたい『完璧な至福』と言えましょう。その価値を決めるのは、彼自身のものさしです。

夜光とレスコーとデ・グリュー
レスコーはマノンがジェロンテの愛人になるよう教唆したり、デ・グリューが賭け事でイカサマをするよう手引きしたりします。デ・グリューの倫理観においてそれは悪ですが、レスコーは軽々とやってのけます。
美徳というのはある意味では贅沢品です。マノンは「貞節などおろかな美徳でしかないのです。パンがなかったら、愛情深くいられるかしら」と言い、あっさりと金持ちの愛人になることを選択します。貴族のデ・グリューと異なり、平民の生まれであるレスコー兄妹にとって、腹の足しにもならない美徳よりも実益を取ることは合理的な判断とも言えます。

メノウは芝居を目的とし、ポジションや、演じる人の人格すらもその手段と考えています。一方で、夜光はセンターに立つことを目的とし、芝居はその手段です。メノウがデ・グリューを演じるステージでマノンを『芝居』とするならば、それを手段と見做している夜光は、たしかにレスコー的であるように思えます。

メノウにセンターを続けて良いと話すリンドウに、夜光は反対します。それに対し、後日、メノウは「どろどろして、わがままで、身勝手な」デ・グリューたり得ると評価します。
夜光は社会性があり、リンドウや周囲の人間を気にかけることができる人です。そこに多少の下心があったとしても、善意はほんとうで、その思慮は誰かを助け得る、価値あるものだったと思います。同時に彼はセンターポジションに対する執着を持ち、その『善意と欲望の葛藤』を抱きながら一貫性がないように見える言動繰り返し、結果として暴力的な手段でセンターを奪います。それは「美徳と悪徳が入り混じり、善良な感情と悪しき行いがはてしなく対照をなす」と評されるデ・グリューの姿と重なります。
千秋楽の夜光のデ・グリューは、そうしたリアリティに満ちた存在感を放っていたのではないでしょうか。

リンドウとデ・グリュー、そして『荒野にて』
スターレスの演目は、基本的に初演のキャストへの当て書きです。つまり、デ・グリューはリンドウに当て書きされています。
生まれが良く、教養と気品があり、温和な性格で見目も良いデ・グリューは行く先々で人に好かれる性質を備えています。その一方で、マノンへの情念はデ・グリューを容易く悪しき行いに走らせます。デ・グリューの美徳と悪徳は、一方が他方を否定するものではなく、その間に線を引いて判然とさせることはできません。
そのような性質は、ある側面から見れば、ミズキが言う「きれーな顔してけっこうえぐい」そのものであるように思えますし、スターレスの当て書きに容赦のない生々しさを感じます。

デ・グリューは、マノンの後を追うことができませんでした。
マノンを失って尚生き続けるデ・グリューの心は、マノンの愛に囚われ、荒野を彷徨っている――『荒野にて』の世界はそこにあります。

シーズン2第3章で、病院とスターレスを行き来して疲弊しながら、リンドウが決めた演目が『荒野にて』でした。
ステージを手放せなかったリンドウ。
センターポジションを守ることができなかったリンドウ。

「リンドウは、ステージに立ち続ける人」
そこに光があるといいなと思います。


参考文献/作品紹介

1) マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)
プレヴォ 著, 野崎 歓 訳

2017年に出版されたもので、文章が新しく読みやすいです。解説部分も、 これまでのマノン・レスコーに纏わる評論に時代考証や現代的な視点を交えたものとなっていて、とても興味深かったです。

2) マノン・レスコー(新潮文庫)
アベ・プレヴォー 著, 青柳 瑞穂 訳

1956年に出版されたもので、翻訳文学の手触りがあります。言葉選びに時代の価値観を感じるところもあり面白いです。もしかしたら、18世紀の感覚にはこちらの方が近いのかもしれません。
光文社のものと読み比べてみることで、原語のニュアンスが少し掴めるような気がします。

3) Manon Lescaut (Giacomo Puccini)
スカラ座のマノン・レスコー(新演出)
https://www.raiplay.it/programmi/manonlescaut

指揮 Riccardo Chailly
演出 David Pountney
マノン Maria José Siri
デ・グリュー Marcelo Álvarez
レスコー Massimo Cavalletti
ジェロンテ Carlo Lepore
エドモンド、ダンスの先生、他 Marco Ciaponi

感想は概ね上記に盛り込んでしまったのですが、スカラ座のマノンは舞台が近代に変更されています。白い制服を着た「マノン達」はマノンの内にある少女性、内なるマノン達でしょうか。
4幕は圧巻。か細く響く最後のマノンの声、押し寄せる夕闇とオーケストラの音色。失意のまま、呆然と舞台を去るデ・グリュー。
カーテンコールの間もその余韻が胸の内に渦巻いて、マノンの愛が呪いのようにすら感じられました。

5) オペラ対訳プロジェクト
Puccini,Giacomo > Manon Lescaut
https://w.atwiki.jp/oper/pages/380.html

6) 新国立劇場 巣ごもりシアター
バレエ『マノン』(配信期間終了)

https://www.nntt.jac.go.jp/release/detail/23_017336.html

音楽:ジュール・マスネ
編曲:マーティン・イェーツ
振付:ケネス・マクミラン
出演:米沢唯、ワディム・ムンタギロフ、木下嘉人、中家正博、木村優里、本島美和、福田圭吾、貝川鐵夫 ほか
指揮:マーティン・イェーツ 管弦楽:東京交響楽団

巣ごもりシアターで5月1日から5月8日までの間配信されていたバレエ作品。
マスネはマノンを題材にオペラとバレエを制作していますが、両者ではすべて異なる楽曲を使用しており、話の流れも少し違っています。物語としては展開が急なところはありますが、また違った視点が得られて面白かったです。
バレエ作品ということもあるのか、「18世紀を生きる女性としてのマノン」の視点が強く感じられます。マノンだけではなく、身なりの良い女性から、農民、高級娼婦、打ち捨てられた貧しい娼婦たちまで、同じ時代を生きる女性たちの生きざまが描かれていて、その中を流転していくマノンの激動の人生と、どんな立場にあっても可憐で無邪気で愛らしく気品を失わないマノンの魅力が見事に描かれていました。
デ・グリューは、頼りなくてちょっと情けない感じ……。何もできないくせに言い寄ってきて、顔と優しさだけが取り柄に見える。でもマノンは彼を選んでしまうんですよね。
マノン目線の『シュヴァリエ・デ・グリューとマノン・レスコーの物語』といったところでしょうか。彼女自身が、自身が持つ魔性の魅力や恋に翻弄されて転落していく物語。最期の沼地のシーンでは、走馬灯のようにこれまでのことが蘇り、最後に残ったのは、二人の愛。
筋書きは色々と気になるところがあるのに、なぜだかドラマティックで泣けてしまう……。言葉がないからこその情感の説得力がありました。

7) 3分でわかる!バレエ「マノン」|新国立劇場バレエ団
 
https://youtu.be/r9huA5ift5c
上記の新国バレエの紹介動画です。本編は配信が終わってしまったのですが、雰囲気だけでも味わいたい方に。バレエ版のあらすじも綺麗にまとまっています。

リンク

ブラックスター -Theater Starless-
https://blackstar-ts.jp/

TeamP『荒野にて』ミュージックビデオ
https://youtu.be/caUJYcFtq-g