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幻滅されてから始まるのが愛。

自分の書いた文章を人に読まれるのは怖い。中身がすべて出てしまうので、「なーんだ。そうでもないんだな」と思われてしまうのではないかという恐怖が常につきまとう。他人という生き物は、実にたくましく想像力をはたらかせてくれる。“見た目を整えて余計なことを言わない”。これだけで他人にとっての理想像でいることができる。「良い子ちゃん」でいることができる。「アイドル」にだってなれるだろう。自慢じゃないが、僕は結構人に好かれる。可愛がられたり、尊敬されたりもする。人に好かれたり可愛がられたり尊敬されたりするのは誰だって悪い気はしない。まるで自分が立派な人間になったかのように錯覚してしまう。しかし、そのやり方では他者と本当に体温を感じる関係性を築くことはできない。僕はそれが嫌だった。周囲の勝手な理想に合わせて当たり障りのない「良い子ちゃん」でいるよりは、多少当たり障りのあるところを見せても大丈夫な関係性を築いていく方が健全だと思った。だからこうして毎週、わざわざ自分から当たり障りがあるかもしれないテイストの文章を連載している次第である。こんなことを書いたら嫌われちゃうかもしれないな、と時々恐れながらも、「いや、嫌われてもいいんだよ」と己を奮い立たせながら筆を執っている。

クラウドファンディングをしていた時は、絶対に周囲の人を幻滅させてはいけないなという意識のもとにやっていた。それは幻滅させるということが、支援してくれた人たちの期待を裏切ってしまうことを意味するからだ。プロジェクトを達成し、リノベーションが完成し、ほぼすべてのリターンの施行が完了した後ようやく「嫌われてもいい」というモードに徐々に徐々に切り替えていった。嫌われないように生きるのはつらい。イメージを守り続けるのはつらい。「ありのままでいい」とは僕はあまり思わないタイプだが、「嫌われてもいい」とは思っている。一方的に衆目を集めている状態は思っているより不自由だ。僕のことを尊敬してくれてもいいけれど、僕にだってあなたのことを尊敬させてほしい。実際誰しも必ず僕にはないものを持っている。「お互いの異なるところはそのまま受け入れつつ、敬意を払いながら同じ目線で語り合うこと」ができたら嬉しい。

以前ある人と「お互いを動物に例えたら何?」というお決まりの話をした。僕はその人に「リス」と答え、その人は僕に「鳳凰」と答えた。あまりに意外すぎる答えに僕は笑ってしまった。調べてみると、鳳凰はすべての動物の頂点に君臨する生き物ですと書かれていた。ますます笑った。僕はそんなイメージを持たれていたのか。確かに来客中にAmazonの荷物が届いたりすると「へえ、由宇さんでもAmazonとか使うんですね」とか言われることがたまにある。正直何を言われているのかまったく意味がわからなかったのだが、鳳凰だと思われているなら納得だ。鳳凰はAmazonで荷物を発注したりしない。

何日か経ってその人は「鳳凰は言い過ぎた。孔雀だ」と言った。おいおい格下げかよとツッコミながらも、孔雀なら綺麗だしまあいっかと思った。それから数週間後にまたどう見えてるのか聞いてみたところ「スズメ!」と言われた。いや、格下げし過ぎだろ。せめて孔雀くらいにしといてくれ。いわく、「思っていたより普通の人間だった」とのことだ。期せずして鳳凰からスズメまで急降下してしまったが、鳳凰と思われていた時よりもずっとその人とは仲良くなっていた。

社会性を求められる場では、確かに誰かを幻滅させてしまうような言動は良くない。しかし友人関係や恋愛関係、夫婦関係や親子関係など個人的な関わりに於いては「むしろ幻滅されてからが本番だろ」と思うことがある。昨今巷では《蛙化現象》という言葉が流行っているらしい。言うまでもないことではあるが、勝手に自分の理想を押し付けて幻滅しているのは自分の方である。そもそも相手に幻滅されるかもしれないという恐怖は男にも女にもある。蛙化した男を愛せない女と付き合う理由はない。すっぴんの女を愛せない男と付き合う理由はない。すべての恋は理想から始まるが、幻滅してから始まるのが愛だ。ちょっと自分の理想と違ったぐらいで途絶えてしまう愛ならばどのみち続かない。試されているのは相手じゃなくて自分の愛の深さである。それでも愛せる? それでも愛せる? どこまで「はい」と答えられるのか。それを試され続けるのが、愛を育むということだ。

生きているといろいろなことがある。僕も昨年、最愛の猫を亡くした。この人生に於いてほとんど初めて、すぐには立ち直れないくらいの哀しみを経験した。ある方にその話をした際、「由宇さんはそういう哀しい出来事があってもこの世界を生きていたいと思えますか?」と聞かれた。僕は1秒考えて「思う」と答えた。その質問はとても本質的だ。それでもこの世界を愛せますか。それでも生きていたいと思えますか。時に世界は切実に問いかけてくる。どこまで「はい」と答えられるのか。それを試され続けるのが、生きるということではないだろうか。

尊敬されようが幻滅されようが、褒められようが貶されようが、人に好かれようが嫌われようが、本当のところはまったく関係がない。それでもこの世界を愛せますか。それでも生きていたいと思えますか。どこまで「はい」と答えられるのか。それを試され続けることが生きるということなのではないでしょうか。たとえ何があったとしても、その結果自分の中の愛が以前より大きく、深く、ふくよかになるならそれでいい。生まれた時より死ぬ時の方が、少しでもこの世界を愛せるようになるならそれでいい。そのためだけに生きる人生を、僕は悪くないと思っています。

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