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「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の感想殴り書き

好きな漫画家さんが公開前から気になる見に行きたいと言っていて、にわかにXでも因習村だとかPG12だとか特典がやばいだとか糸目の石田彰だとか話題になり始めていたので、じゃあ見に行こうかと思い立ったのが11月23日のこと。
訳もわからず感情が掻き乱されて、翌々日には2回目見に行ってたしその翌日には友人が見に行くというので3回目見に行ってた。
全ての休日をゲ謎に費やし少し落ち着いたものの、耐えられなくなって次の週の土曜日に再び見に行き、8日には特典第2弾が配布されるとのことだったので市内最速の上映回を抑えました。
計5回の入村を果たして、多少落ち着いた。

初めて見に行ったときにはもう第1弾の特典は切れていて、泣く泣く画像検索しては尊さを享受していたんですが、第2弾は無事に確保できてよかったです。
私が見に行った映画館では8日の夜の回でもう全部なくなってしまったとの噂だというからすごい。
朝の回もほぼ満員だったし、夜の回なんて2日前から後ろの席は全滅だった。
普段からそう映画館に足繁く通う方ではないからなんとも言えないけど、予約画面で完売のバツを見たのは生まれて初めてです。

以下、内容の話(ネタバレ注意)

「スタッフロールやばいらしい」という噂は聞いていた。
けど、後半の沙代大暴れシーンくらいからべしょべしょに泣きまくってたので実際にスタッフロールが流れるまでそんなことすっかり忘れてた。
記憶を失った水木、ああ怪異ものによくある展開だな……と最初は受け止めたけど、スタッフロールが始まって愕然とした。
なんでそんなことするんだ、このスタッフロールは必要だったのか?(いや、必要だ)と心が崩壊し気持ちの整理がつかないまま無情に点灯する館内。
もう少し電気つけるの待ってくれないか。
水木が鬼太郎育ててるってことは事前知識として知ってた。知ってたけど、ゲゲ郎の感情は……哭倉村での出来事全部覚えてるのはゲゲ郎だけなのかよ……ゲゲ郎……ゲゲ郎……。
これが私のゲ謎とのファーストコンタクト。
もうゲゲ郎のことしか考えられなくなってしまった。

直後のふせったーを見ると、水木の状態はちゃんちゃんこを岩子に着せていたからで、あの状態は孝三と同じ状態だってことをいの一番に呟いてた。
よっぽど記憶喪失が心に堪えていたらしい。

次に、沙代の狂骨発動シーンのことをつぶやいてた。
吹っ切れて青く光り輝き全てを破壊する沙代、髪留めが解けて美しく輝いているっていうのが、皮肉にも束縛から解き放たれたようで悲しく美しいなと思う。
おどろおどろしい姿になるんじゃなくて、美しいのが悲しい。
「本当は東京だって自由じゃないと分かってた」、それでも信じたかったんだよなあ。
「水木さんだけは私を見てくれるって信じてた」と言われた水木が沙代から目を逸らしたことが最後の引き金を引いたことになってる描写もよかったし、水木のことは狂骨じゃなくて自分の手で絞め殺そうとするのも「感情」って感じでよかったと思う。
けどこれ今書いてて気がついたけど、狂骨たちは水木には怨み持ってないからそもそも狂骨差し向けられなかった可能性もある。
いや、終盤で水木も狂骨に襲われてる(多分)のでわからないけど……水木を襲った狂骨は、人間という存在に怨みを抱くようになった幽霊族の狂骨なのかもしれないなあ。

全体的な話としては、話の筋がアッサリしていて分かりやすく、台詞でも説明してくれるので展開についていけなくなるようなことはまずない、という初回の印象。
かわりに映像表現上は未来の暗示や生命の象徴など、話の筋では直接語られないが映画が伝えようとしていることにアニメーションが全振りされているな、と感じていた。
ただ、これは今ではちょっと違う感想を持っている。
台詞での状況説明は確かに多いのだが、感想を眺めていると意外に字幕上映で初めて漢字が分かった、という話も散見され、分かりやすく感じていたのはどうやら近代文学フィルターがかかっていたせいもある模様。
そして、アニメーションの上でも私が気づかなかった葉巻の吸い方を知らない水木→「馬鹿にしやがって!」の一連の流れや、社長と沙代の関係が村の内情や当時の状況を考えれば健全なものに見えることなど、キャラクターの芝居もごく自然で語らずとも当人たちの背景を想像することが可能な表現になっているということに、他の人の感想で気づかされ、とにかく丁寧に大事に作られているんだということがよく分かりました。
また、ゲ謎を機に第6期アニメ1話と墓場鬼太郎アニメ7話までと原作漫画決定版(中公文庫)2巻までも見ましたが、原作・過去作へのリスペクトも多大に含まれており、まさに水木しげる生誕100周年のために愛を込めて捧げられた作品なのだと思いました。
本当に素晴らしい作品です。

ゲゲ郎の話。
金域に立ち入った水木を助けて河童ボートで爆走するゲゲ郎を見て、「アッ好きだ」と思ってしまった。
それまでは長田に持っていかれるだろうか……とか考えてたんですが、今や「お主、死相が出ておるぞ」からキャーッ!ゲゲ郎ーッ!です。
妖怪相手には組紐やゲタ、体内電気も使って割と五分くらい(本当はもっと強いのかもしれないが争いを好まないので本気は出してないのかもしれないし祖先の狂骨相手には力を無効化されてしまうので不利ではある)なのに、人間相手には妖怪力を一切使わずそれでもフィジカルで負ける要素はゼロってところも、良い。
原作漫画読んでると鬼太郎も木にされても液体になっても魂抜かれても目がなくなっても割と生きてて丈夫なので、首落とされてても別に大丈夫だった説はある。
腕切られそうになったときは焦ってたけど、原作鬼太郎も溶けて他の物体と混ざっちゃうと復活難しいとか言われてたし、外的要因(お札)がやっぱ問題だったんだろうなあ。
そしてまた今書いてて気がついたけど、生まれたときに水木に突き飛ばされて左目をなくした墓場鬼太郎の目玉が復活しないの、幽霊族の設定から考えたらおかしいのでゲ謎で初めから目がない状態で生まれたからないもんは修復できない、のがしっくりくる気はする。
左目が重要なキーワードになっているのは、もはや言うまでもないので割愛。

マブイ移しの話。
マブイが沖縄でいう「魂」の意、だとか、龍賀家の宗教とか因習があらゆる地方のごった煮かも、だとか、そういう話は他の人の考察に詳しいので割愛。
個人的な気になりポイントとしては、「(時麿は)当主になった途端おじいさまと同じことをしようとした」はワンチャン時麿に時貞の魂が移されていたから、という説ないかな……と最初は考えていたのだけど、時弥が「おじいさまが亡くなってから(体調が)ひどいんだ」と言っていたことから、時麿すっ飛ばして最初から時弥になりかわろうとしてたこと確定なのでないなって思います。
時系列としては、ゲゲ郎捕まる→水木土蔵に投げ込まれてる間に時弥に当主継承の儀式→時貞乗っ取り成功かな?と。ほぼ同時くらいに庚子も殺されてそう。「庚子がなんと言おうと……」って言ってるから探しもしなかっただろうし……
当主継承の儀式がダメ押しになったのかも。
ところで、「もう少しで結界が破れるところだった」って言ってた気もするけど、時貞がいないと綻びるような結界になっちゃってるんですか、もう。
時貞が死んだのも本当に自然死なのか怪しい、最初真っ昼間に持ってた茶こぼして喉抑えて死んでるけど、一服盛られたとかではないのか、それともマブイ写しのための準備が整ったから自害したってことなのか、本当に自然死なのか。

ゲゲ郎と岩子はなんで生き別れになったのか。
10年ほど前に孝三が岩子に懸想してるから、昭和21年頃にはもう捕まってたっぽい、ということは戦争のごたごたで離れ離れになったか。
兵隊に取られてない青年って目立つからゲゲ郎隠れでもしてたのか、それとも妖怪たちの間でもその時期なんかあったのか、はたまたおおかみこども的な感じで妻のために遠出してる間になんかあったのか。
「事情があっての」と言ってるし逃げられたわけではないと自信を持って答えてるから、何か外的な要因があったんじゃないかと推察する。
そもそも岩子と出会ったのも昭和の出来事なのか?という疑問もある。
数年ぶり単位で会ったり会わなかったりしてた可能性だってあるんじゃないのか、と思いつつ、2人っきりの幽霊族が別れ別れで過ごすこともないような気もする。
じゃなかったら妻を探して三千里しないだろうしなあ……
ところで、ねずみ男が昭和の時代で300歳を超えているらしいんだから、ゲゲ郎はもっと上なんだと思います。

そういえばウエンツ鬼太郎以来に鬼太郎シリーズ浴びたなって話。
もう一度見たさある。
天狐綺麗だった覚えがある。

ゲゲ郎、水木に写真ひったくられて怒らないのも良いし、ちゃんとゲゲ郎に写真返す水木もいいよな。意味のない意地悪や諍いが発生しないのはストレスフリー。
そういえば、この映画全編とおして意味のない意地悪は存在してない。
相手の心を折る、という目的のもと暴力は振るわれるけど、気持ちをすっとさせるための暴力は行われないし、時貞ですらちゃんと岩子に会わせてくれる。焦らしはするけど偽物でしたとか、痛ぶるとかはしない。だからひどいことが行われていてもあまり見ているのが苦しい……とならないのかも。物語上必然の演出だと理解して受け止められるから。

そんなことを言おうとしていたのではない、「騙したのか?」って言ってどんな仕返しをするのかと思いきや、牢の中に寝かせてしかも鍵はかけてないっていうささやかすぎる仕返しが可愛いって話をしたかったんだ。
あそこ、首斬られても別に大丈夫だった可能性のあるゲゲ郎だけど、水木が一応かばってくれたから温情見せた説もある。
温泉入ったあと言うこと聞かないで禁域に行ったら、水木はちゃんと自分のこと交渉してくれてたし島にも追いかけてきてくれたから、「憐れみ」をかけて助けてくれた。嫌いで、非力な人間のために。
そのあと、裏鬼道衆に捕まって、ただ力の前に屈するしかなかった水木を見て、なのに危険を承知で自分を助けに来て「遅くなった」と言った水木に、初めて本当に助けられたんだろうなあと思う。
そういえば、穴蔵に向かうとき、ゲゲ郎なら素手でぶっ壊せるだろうに水木の斧で扉開けてたりとか、水木より速く走れるだろうに後ろ走ってたりするところも好きなんだ。
きっといち早く岩子のところに行きたいと思ってるだろうに……
穴蔵入って水木が耳キーンなってからはゲゲ郎が前に立つのも好き。
岩子がひどい目に遭わされてるって分かってたのに時貞に向かうんじゃなく岩子を探すこと第一っぽいあの桜の場面も、良いよ……
結局ゲゲ郎も水木も、あの村の人間はおろか作中では誰1人殺してないんだ。
罪を憎んで人を憎まず、因果応報を徹底的に描いてるなあ。

水木、ゲ謎後の世界では重役からは「あの村から生きて帰ってきた男」だし、同僚から見たら「何も得られず帰ってきた男」なんだなって。
龍賀製薬もほぼ壊滅状態だしMも生産できなくなってるし、水木の担当してる会社は1つなくなってるってことだよね。
というか、血液銀行に勤める水木もまた哭倉村にいる間「弱者の血を吸う」側に自分も立っていることを意識したはずで、記憶を失ったとしても得たものは残ると思っているから、そう考えると遅かれ早かれ水木は血液銀行をやめると思うし、悪魔くんでホットケーキ作ってるらしいのもなるほどなと思う。

ゲ謎見てない友人に説明するときに使った語彙は、「SPECTERでグランギニョルやってる」だった。今でもそう思う。村人全員秘密を抱えた村だし、独自の宗教はあるし、主従はあるし、お薬は出てくるし、炎上してるし、希望の子は生まれるし。
我守護枠は長田、星に手を伸ばすのは沙代、「TRUE OF VAMP……」って言うのはゲゲ郎。でもライネスは流れなさそう。強いて言うなら沙代大暴れシーンか狂骨斧でぶっ壊すシーンか。ライネスが流れる中轢かれる孝三と炎上する車両は見たいよ。

ところで、ゲ謎には「犬神家の一族」のオマージュがあるよ、横溝正史や江戸川乱歩だよ、などの言説も見かけたので、ひとまず「八つ墓村」を読んだりしているんですけど、「八つ墓村」がそもそも「孤島の鬼」リスペクトなのもびっくりしちゃった。
そして、ゲ謎のこと考えていると、言及のあったらしい「春琴抄」以外にも、乙米、丙江、庚子、沙代の佇まいはどちらかというと「細雪」っぽくないか?とか、「時貞の夢の女」に懸想する孝三とか言われると「春昼・春昼後刻」っぽくないか?とか、言われるまでもなくこれは「桜の樹の下には」だ、とか、色々気になってくる。
そこらへんの文学作品大好きオタクホイホイかもしれない、この作品。
とくに、「春昼・春昼後刻」の「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」とか「妾を放て、そうすれば、魚に騎し、波をひらいて去らん」とか、ぴったりな気がしてしまう。

葬式に参列している人々の中に毛利小五郎っぽいおじさんがいたの気になりました。
同じこと言ってる人もいたので安心。

2回目の入村以降、記者が村入りするところで下駄の音がするだけでゲゲ郎〜〜!となってしまったし、あれゲゲ郎が上がってきたところかな……とか、あの狂骨時弥なんだよな……とか、そういや時貞いたな、とか、記者が落ちたところは確かに地下につながるところだ、とか、記者が写真に撮るのはゲゲ郎が縛られてたベッド、水木が沙代に突きつけてたメス、穴蔵に続く道……とか、全て理解できるようになってて最高だった。
確かに初見のときも、これはのちのち重要になってくる要素なんだろうなと思っていたけど、時間を空けずに見るとこれだけ綺麗に理解できるんだなって。
2回見ることの楽しさを知ったし、見れば見るほど新たな発見があってすごい。

この辺から、ゲゲ郎と水木のタッグもっと浴びたいのに出会いから完結まで描かれているからこれ以上何も望めないことに気づいて絶望していた。
デザイン担当さんが色々書き下ろしてくれたり、特典もくれたりしているのが本当にありがたい。
実は過去にも出会っていたとか、水木によく似た誰かと父は昔邂逅していたとか、そういうのじゃないと何も出てこないし、これ以上は蛇足になるような気もするし。
でもせめて、目玉になってから水木との交流はあったかもと信じたい。
こうやって飢えた結果原作や過去作アニメに手を出すようになったわけですが、さすが長年愛されているだけあって全部率直に面白いし、素直に目玉おやじはかわいい。
とくに大海獣回の怖がる目玉おやじと墓場鬼太郎アニメのちょっとぼんやりしてる目玉おやじがお気に入りです。

沙代がSAN値ゼロになってるとき、ゲゲ郎が縛られたまま「はあ……」みたいな顔してるとこが好きです。
水木に見えたなら、ゲゲ郎には最初から見えていたはずで、あそこで人間の愚かさと沙代がああなってしまった境遇への憐憫みたいなものも感じていたのかなって。
人間のことが大嫌いだったゲゲ郎が、人間の醜さ、愚かさ、汚さ、弱さ、全て承知の上で、水木を友と呼び、我が子と友の生きる未来のため全ての怨みを己で引き受けようとしたの、本当にゲゲ郎の懐のでっかさが……もう……結局ツケを払ったのはゲゲ郎と鬼太郎で、しかもいまだに人間を助け続けてくれている。もう鬼太郎親子に人間頭上がらないんだぞ、と千回言いたい。
原作でも鬼太郎マジで見返り求めず命懸けて人間助けてくれるんだ、恩とか約束とか越えてるよ、なんなんだ。

過去作、原作履修してると、普通は泣かないであろうところで涙が出てくるんだ。
とくに6期1話の吸血木の回とか、あれ目玉おやじトラウマものじゃないのか?と思うくらいぞっとした。
原作にも墓場鬼太郎にもある話だったし、鬼太郎シリーズではマストなんだなと思うと同時に、ゲ謎の着想にもなってるのかも、とも。
逆に、墓場履修したあとでエンドロール見ると(泣くことは泣くけど)ちょっと心穏やかに受け止められるようになった。でも泣く。
回数重ねるごとに涙腺の耐久力はさすがに上がってきてるけど、水木が鬼太郎抱きしめるシーンだけは何度見ても泣く。

冒頭の列車のシーン。
近代文学オタク的には、列車といえば時間や場所を飛び越えるもの、境界を越えてこれまでとは異なる規範のある世界へと連れていくもの、という認識でいるんだけど(「細雪」「三四郎」など)、水木しげる文脈で行けば多摩霊園行きの幽霊列車や、原作で地獄流しに遭う水木を意識したものでもあるかなって。
もちろん、人攫いはここで行われていたんだとか、車内の様子から当時の時代の空気感を描写してるとか、色んな役目を持ったシーンではあるんだけど。
タクシーがすれ違うトラックも多分人攫いのトラックなんだろうな……
ゲゲ郎も列車で駆けつけてきてる説、支持したい。

ゲ謎の予告で実写「ゴールデンカムイ」の予告めちゃくちゃ流れるんだけど、あれも戦争によって傷ついた人間の話だし、地獄に向かう列車の話するし、妙にマッチしていると思いました。
あとまだちらほら上映されているけど、桜とか母胎のこと考えると「君たちはどう生きるか」にもアニメーション表現として通ずるものありそうだな、とか。

光と影の表現がすげえ、というのも何万回と言われてるだろうから割愛するが、「妖怪のようなもんなのじゃ」の場面で木が人と人ならざるものの境界になってるのがいいなって思っています。
そういやゲゲ郎の仕返しシーンも、微笑ましいけど檻に入れられた水木は悪夢や社会の制度に囚われていることの暗喩でもあるよなあ、とも思う。
しかしそう考えると、ゲゲ郎が鍵を開けておいてくれた=ゲゲ郎がそこから抜け出すきっかけを与え、水木は自分の力で脱出できるということを示唆しているとも読み取れる……のかもしれない。ちょっと終盤の展開も思わせて複雑。

パンフは手に入れられてない民ですが、職場の方が藍色版を確保してくれて手に入れられる手筈になっています。ありがたい。

6期1話でスマホに興味なさそうに「そうですね〜」って相槌打ってる鬼太郎と、水木の「行くぞ!」に「ん〜……」って返答するゲゲ郎に血を感じるんだ。
かなりシリアスな場面だけど、「ああ!」とか「そうじゃな」じゃなくて「ん〜……」なのがゲゲ郎っぽいよ、わからないけど。

原作で「ゲゲゲのゲの歌」が鬼太郎の勝利を讃える歌なの、初めて知りました。
ゲ謎軸でも歌われるなら、作詞作曲ゲゲ郎だろ。

ゲゲ郎って、めちゃくちゃ痛ぶられてるし侮辱もされるのに、1回も暴言吐かないんだよ。
岩子が血を吸われてるって聞いて1回「貴様ァ!」って言ったくらい。
所業に対して怒りを見せることはあっても、「人間というやつは……」とか言わない、主語を大きくしないし一括りにしない。罪を憎んで人を憎まず。懐でかい。

墓場の3話とゲゲ郎が錫杖でボコボコにされるところ、オマージュ元だったら親子でボコボコにされてるなんてイヤッ……って泣いちゃうな。

狂骨、あれだけの怨みが募るには数百年かかるって言われてたし時貞以前から龍賀家と裏鬼道は一緒になって幽霊族を苛んでいたんだろうと思うが、綻びが生じていたのはわりかし最近のことというか孝三が禁域に行ったからなんじゃないかと思う。
そもそも時麿の日記を読んだ水木が「この先が穴蔵だ」と言うんだから、龍賀家の者が穴蔵に行くことは禁じられてなさそう。
あくまで禁域になってるのは島(穴蔵の上)だけなんじゃないか?
禁じられているのは、まあ危険っていうのもあるだろうけど結界が綻びる可能性があるからだったりして。
孝三が結界を綻びさせたことがきっかけで、ゲゲ郎の古い仲間たち(多分河童)に岩子の気配が感知できるようになって、それでゲゲ郎が牢抜け後(河童に情報提供受けたあと)島に向かったんだとしたら、孝三のしたことは無駄じゃなかったんだ。

ところで沙代、「あの幽霊族の人を助けに行くのですか?」言うてるけどいつゲゲ郎が幽霊族だと知ったんだ。

ゲゲ郎初めあのデフォル目の人物たちが瞳孔を瞑るの見ると、蟲師の「もう一つの瞼」の話思い出すよ。

ゲゲ郎がねずみ男に「さすが幽霊族、顔が広いぜ!」って言われたの、最初は「幽霊族という種族だから顔が広い」のかなと思ったけど、ねずみ男が種族名なのを知って、「幽霊族」という呼び名なのかも、と思うようになった。
今「目玉おやじ」と呼ばれているようなものというか、ねずみ男のことも「ねずみの」って呼んでるし、「幽霊の」とか「幽霊の旦那」とか呼ばれてたのかもしれないよなあ、と。
だから幽霊族という種族だから顔が広いんじゃなくて、ゲゲ郎だから顔が広いんじゃないかと思いました。
原作のこと考えても、あちこち放浪してたのかも。
鬼太郎や岩子など、固有の名前を持つのは人間社会に近いところで暮らしてるからかも。
種族の個体数が少なければ固有の名前なんかなくてもいいし、原作でも今把握してるところだと固有の名前あったのって個体数が多かった八百八たぬきくらいじゃないか。


概ねxに書き散らしていたことは書き殴りました。
最後に、理解が深まる助けになった書籍を勝手にご紹介。アフィリエイトじゃないです。

清水潤著『鏡花と妖怪』(青弓社, 2018.3)
水木しげるについての章があります。ご一読あれ。

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