見出し画像

真庭に住んで思うこと -人の繋がり-

世の中に数多ある記念日の中で、みんなが必ず経験するのは誕生日。大人になったら、付き合った記念日や結婚記念日など、そして子どもの誕生日など、増えていく場合が多いであろう。

そんな私は、2022年4月22日にひとつの節目を迎えた。それは岡山県真庭市の住民となった日、すなわち「移住記念日」だということ。

「この地に住民票を移した日」だから、4月22日は「移住記念日」。俵万智の『サラダ記念日』風に例えるとこんな感じだろうか。

この2年で「東京から移住して、真庭市で地域おこし協力隊をしています!」というフレーズを何回伝えてきたであろう。真庭市で地域おこし協力隊をしていると、それ自体がポジティブに捉えてもらえる。そんな環境で仕事や生活が出来るのはとてもラッキーなことだ。


移住に対する世間のイメージ

「生まれてから30年以上東京(都会)に住んでいた人間が、いきなり田舎に移住する」

それだけを聞くと、便利な都会が恋しくなって、生活はやっていけるのか?みたいな心配をされることもある。

最近では、「(都会からの)移住者 VS 地元住民」みたいな切り口で、マスコミでも取り上げられたりして、「移住 = ハードルが高い」みたいな先入観もある。

確かに、一般的には「なんでも揃っている都会に比べたら、田舎は何もない」というイメージが強いのも事実。ある意味で正しいけど、ある意味では間違っているというのが住んでみての印象だ。

実際に岡山県北の人口4万人強の真庭市に移住して思うのは、「普通に楽しくて、充実している」という想い。

特に地縁がある訳でもなく、全くの「初めまして」の地で、都会にいた時よりもイキイキと暮らしているのは、そこに住んでいる人たちがあたたかく、個性を認め合う「プレイヤー」が多いからだ。

なぜ真庭なのか?

移住を決める最大のキッカケは家族の存在。ものすごくキザな言い方をすると「大切な人と一緒になる為に移住した」ということになる。(こちらの詳細は追々していくつもり)

まず、どうやって真庭を知ったのか、というと…

前職で、基礎自治体単位で自社のサービスを売っていく、という仕事をしていた。市町村単位で「何か面白いことをしている地域や人がいないのかな」とアンテナを張っていた。

そんな折、電車の中吊り広告である情報を目にする。それは「TOKYO WORK DESIGN WEEK 2020」というイベントだった。

何の気なしに見つけたそのプログラムの中に、以下のものがあった。

真庭市の職員・平澤洋輔(ひらさわ ようすけ)さんが参加し「多拠点生活」について考えるというもの。

結局、この時のイベントには参加しなかったのだが、後の出会いの「伏線」が出来たのも事実。

初めて「真庭市」を知った(認識した)イベント

なぜ真庭が楽しいのか?

2021年の秋。

移住を具体的に検討する際に、東京・有楽町で岡山県の移住相談会が開催された。

左列の下から2番目が真庭市チームのおふたり

そこで出会ったのが、真庭市の地域おこし協力隊OBの松尾敏正(まつお としまさ)さんと、当時現役隊員だった池田将(いけだ しょう)さんだった。

私は単なる移住ではなく、地域おこし協力隊としての移住を希望していた。そして、おふたりと話していると「田舎での暮らしのイメージ」というものが、より具体的になった。

他の地域の話も聞いてみたが、職員による制度の説明などが大半で「実際に移住して地域おこし協力隊として働いている人」の話にはやはり説得力があった。

自分もこうなりたい!と思ったのが、真庭市への移住を決定づけたのであった。

また、連絡先を交換しようとFacebookで将さんと繋がると、私の大学のゼミの先輩(同じ班だったこともあるOさん)と、将さんが中学・高校時代の友人であることも発覚!これはもう偶然というより縁ですね!という話になったのだ。

ここまでを読んで、真庭に住んでいる人や、真庭をよく知っている人からすると、「めっちゃキャラの濃い人たちと最初に繋がったんだね」となると思う。

様々な縁がキッカケで真庭市への移住を決めたのは確かだが、特にこの3人との「縁」は、自分の真庭ライフにとって欠かすことに出来ない「最初のピース」であったことは間違いない。

人の繋がりからおもしろいことが生まれる場

そして、時は流れ…

2024年3月16日。

真庭市が誇る国指定重要文化財である旧遷喬尋常小学校にて、この秋に開催される「森の芸術祭」(通称:森芸)のキックオフイベントが開催された。

その名も「MANIWA BAUMU(まにわばうむ)」だ。

ここに集った人が本当に個性が豊かだった。

この2年間で知り合ったことのある方が大半を占めていた。

これからワクワクすることが始まるという雰囲気が漂っていた。

その統括プロデューサーは、例の将さんである。

MNIWA BAUM(まにわばうむ)の統括プロデューサーである将さん

将さんのスゴさに一言も触れていなかったが、それは「包み込むようなファシリテーション力がある」ということだ。

将さんが協力隊時代に使っていた名刺の肩書きは「肯定からはじめる男」。

口では言えてもそれを実践するのは難しいが、将さんの場合はそのまま実践しているスゴい人!余程のことがない限り否定はしない。
(「余程のこと」というのも、私の知っている2年間では、みんなも納得する「そりゃそうだよね」ということぐらいだ)

キックオフイベントでは、その場にいた全員による自己紹介タイムがあったのだが、それも将さんの発案。

この地に来て、仕事柄、前に出る機会が多くなった自分としては、それはとても楽しい時間だった。

まだ何も始まっていないが、この場にいたメンバーの個性を知り、様々なことで繋がり、この秋の森芸に向けて、何かしら動きを見せる、そして自分も動くことになるのだろうという期待感があった。

特に筋書きが決まっていなくても、阿吽の呼吸で動けるのが真庭の良さ。

真庭の人の繋がりから、この秋に向け、どんなプロジェクトが生まれるのか。

今から楽しみである。

性別・年代問わず様々なメンバーが集まったキックオフイベント

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?