折角の秋なので、僕の青春をどうぞ。
どうも。
「僕の人生、フリー素材。」がモットーの、リダです。
皆さんは、この人との時間が永遠に続けば、なんて思ったことはありますか?
それは家族とかもしれないし、友達か、はたまた恋人やパートナーとかもしれません。
美丘。彼女はきっと皆さんにとっての、誰かです。
僕の高校時代は、とある一人の友人によってまさに嵐のような日々でした。
彼女とはじめて話した日のことを、今日のことのように覚えています。
入学したての頃から、彼女はクラスで異質な存在でした。
友人と自分の教科書のページを互い違いに挟んで取れなくするユーモア。勉強も運動もできて、なおかつ優しい。そして中性的で不思議な容姿。
誰もがカリスマのように彼女を見ていました。
しかし、ひねくれた僕は、彼女には裏の顔があるはずだと思っていました。
それは、すぐに明かされることとなります。
体育の授業で、トレーニングの後に体育館の外周をしていたときです。
皆適当に切り上げる中、僕はバカ真面目に規定周走っていて、ひとりでした。
クラスメイトの、馬鹿にしたような、とってつけた「がんばれ~!」という声援。
僕はその声援にうんざりしてると、その中から彼女がぽんと飛び出して、僕と並走し始めました。
そして、一言。
「なんで真面目に10周走ってるの?」
ゴールした僕らを見て、クラスメイトは彼女を評しました。
「最後に一緒に走ってあげた優しい子」だと。
でも、唯一彼女の声が聞こえていた僕は思いました。
化けの皮が剥がれた、と。
彼女とは仲良くしていましたが、のちに僕のとある行動を嫌に思い、僕を邪険に扱いました。
しかしその半年後、「日本の教育がいかにダサいか」で意気投合し、卒業まで、いや、卒業してからもつるむようになります。
何が書評だ?
と思われてますよね、すみません。
僕にとって、彼女は美丘そのものでした。
美丘の本の裏にある紹介に、文中の一行をリライトした箇所があります。
美丘、きみは流れ星のように自分を削り輝き続けた
彼女はまさに、こんな風でした。
面白いと思ったことは片っ端からやり、やることはやって、馬鹿なものには馬鹿と言い、雨の中をずぶぬれで駆けることを躊躇わなかった。
生きてることを、存分に味わっていた。
僕は、正直それに振り回されていただけかもしれない。
でも、彼女がいなければ、僕はこんなむずがゆい感情を抱かなかったでしょう。
そして、美丘がなければ、それをこんな風に美しい想いと思い出に昇華できなかったことでしょう。
美丘は素晴らしい生涯を精一杯、輝きます。そして、その生涯を、太一は振り回されながらも精一杯受けとめます。
僕は、今、太一にとっての美丘のように、きみにとってそうでありたい。
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