過剰診断問題を考えるには統計学理解だけでは不充分

過剰診断の問題を考える際に、統計学を理解しておくのが重要というのは、その通りです。けれども、過剰診断と主張する人は統計学を基礎から勉強したほうが良い、というような見かたは、あまり適切だとは思えません。

統計学なる学問は(定義にもよるのですが)、確率とは、分布とは、検定とは……というような理論体系の枠組みで、それは、現代の科学において、自然現象や社会現象の構造・因果関係を解明するためのツールのようなものである、と言えます。ですからあくまで、物事を定量的に分析・記述するための基本的な知識とでも位置付けておくべきもので、何か具体的な現象について探究する際には、まずその現象の有する構造的特徴を、きちんと把握しておかねばなりません。

今は過剰診断に関する議論ですから、関連する具体的な知識は、それが生ずる場、つまり検診についてのものです。より詳しく言えば、まずそもそも検診とは何かとか、検診は何を目的におこなうものか、という所。他には、検診の詳細な手順であったり、それに纏わる色々の専門用語の理解など。たとえば、陽性・陰性、感度や特異度、といったものです。

そして、もう一つ重要なのは、様々な要因と疾病との因果関係を解明する学問である所の、疫学の理解です。この学問は、感染症などの原因を突き止める方法究明を端緒として発展し(ジョン・スノウが、コレラ蔓延の原因が井戸水であるのを見出した、というエピソードは有名です)、現在では、社会的な要因なども含めた、より広い範囲での因果関係を解明する体系となっています。疫学は、統計学と密接な関係を持っていますが、それだけで無く、哲学上の因果推論などとも関わって、独自の体系を築いています。ちなみに、先ほど挙げた検診に関する知識は、それ自体が疫学における一分野として位置付けられる場合もあります(診断学という分野の知識とされる事も)。

たとえば、ある がん検診を受けた人と、それを受けていない人を集め、それぞれの集団の中で がんに罹った人の経過を比較する、とします。そして、がんに罹った人の内で5年以内に亡くなった人の割合は、検診を受けていない人における がん患者での割合のほうが高かった、としましょう。その場合、検診に効果があった、と言って良いでしょうか。

実は、そうは言えません。たとえば、検診では、そもそも程度の軽い がんが見つかりやすいという傾向があります。程度の軽いものは罹っている期間が長く、したがって、何年かに一度おこなうような検診では、程度の軽いものが発見されやすいからです。また、5年以内に亡くなる、といった場合、その起点は、がんが見つかった時点です。ということは、早く見つけたのに寿命を延ばさなくても(後から見つけても寿命が変わらない)、起点が早くなったために、見かけ上の生存の期間が延びる事があるのです。

このような事情を考慮しておかないと、検診を受けた集団とそうで無い集団とで単純に比較して、(実際は効いていないのに)検診は効いた、と誤って評価してしまう可能性があります。ここに、現象に関係する具体的な知識を押さえておくのが必要であり、単に統計的な事(相関関係などの指標や、推定・検定といった評価法)が解っているだけでは不充分である、という事の理由があります。

ここまでをまとめると。こちらの集団は あちらの集団より割合が小さい大きい、検定をしたら有意だった有意で無かった、だからこちらのほうが良いのだ悪いのだ……というような短絡的な判断(結果的に合う場合はともかくとして)を防ぐには、基本的な統計学的知識だけで無く、解明したい現象・分野に関する具体的な知識(これを、実質科学的な観点と言う場合があります)を押さえておくのが肝心である、となるでしょう。

今は過剰診断の話でした。過剰診断のことを考えるには、まずそれが、別の原因で死ぬまで症状が出ない病気を見つける事である、という基本的な定義を押さえる必要があります。また、先ほど挙げた、検診ではそもそも程度の軽いものを見つけやすい、といった所も考慮します。そうすると、検診をした人とそうで無い人を後から集めて比較するのが、必ずしも適切で無い事が理解出来ます。何故なら、集めた時点でそれぞれの集団の性質が違っている可能性があるから、です。ほんとうは、先に同じような集団を用意して、それぞれの集団に対して何らかの介入をおこなって比較するべきなのに、元々何らかの属性が違っている集団を後から比較してしまって、その属性によってもたらされた差異が、介入による差異を歪めてしまうのです。このような事を、偏り(バイアス)と言います。

疫学の研究(に限りませんが)では、このバイアスをいかに生じさせないか、あるいはそれを制御するか、が最重要事項です。バイアスという考え自体は、基礎的な統計学でも解説される考えですが、それが、今考察している現象において具体的にどのように働くのか、をきちんと把握しておく必要がある訳です。特に疾病の原因に関するこのような事を詳しく研究し、方法を整備してきたのが、疫学という分野です。検診に関しては、その中でも臨床疫学と呼ばれる分野で探究されています。検診に関しては、別ブログで詳しく論じましたので、興味のあるかたは、ご参照ください。

検診の意味と有効性評価――前編 - Interdisciplinary



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