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【ポンポコ製菓顛末記】                   #37 市場経済の罪とワナ

 前回に続き、オカネの話をしよう。それも経済に絡む話だ。
モノがあふれ便利になって一見過ごしやすくなった現在。
しかし世界中何でもモノ、カネで決めるようになって問題視する声も多い。だがそのようになったのは実は最近の話だ。
 とりわけ日本は物価が安いと同時に給料も上がらず格差も広まるデフレが続いている。デフレは人間でいえば病気の状態。体力も出ないから安いもので我慢して大人しくしていようという状態だ。
 


銀行は貸すのが商売 返さなくてもいいんだろう?


 日本はたった30年前はジャパン・アズ・NO1などといって、先進国気分を謳歌していたのが、すっかり元気がなくなってしまった。特にグローバル化以降、西洋、特に米国にやられっぱなしだ。先進国の中でも成長の低さはダントツである。
 何故日本企業はこれほど成長しなくなったか?イノベーションがない、終身雇用などの労務制度が悪い、デジタル化が進まない等々いろいろ言われているが、筆者は高度成長時代の成功を引きずって組織的思考停止状態に陥っているのが最も大きいと思う。
 とりわけ経営陣の責任、欧米に比べ著しく劣後している経営品質に問題がある。これまで紹介したポンポコ製菓経営陣の可笑しくも悲しい実話の通りだ。特に財務リテラシーの低さはピカイチだ。
 
 ポンポコ製菓の財務体質の脆弱さはずっと致命的だった。利益が出ない割に度を越した投資を繰り返したため自己資本比率が低かった。企業が企業活動を行うには資産が必要だ。設備などの固定資産等の財務資産やブランドなどの非財務資産だ。この資産を誰のカネ(資本)でまかなっているかを表すのが貸借対照表である。銀行などの借金で得た資本を他人資本、資本金や利益による資本を自己資本という。この自己資本に依存している割合を示すのが 自己資本比率だ。これが高い場合は、返済しなければならない負債(他人資本)によってまかなわれている部分が 少なく、健全性が高いと言える。逆に他人資本に頼りっぱなしだと脆弱だというわけだ。
 これは容易に想像つくだろう。不動産やクルマをどんなにたくさん持っていても借金まみれだったら家計は不安定で、将来も不安だろう。何故なら借りた借金は返さなければならないからだ。
 ポンポコ製菓の自己資本比率はずっと20%前後で極めて低かった。無配に落ちて経営を建てなおすことになって私はまず財務体質の健全化を図りましょうと社長に提案した。そのために収益力を上げて利益を留保し、借金を返して自己資本比率を50%までに上げる目標を提案した。すると社長は怪訝な顔をして、「銀行は貸すのが商売だ。返さなくてもいいんだろう?!」確かに銀行は貸すのが商売だが、借りたものは返すのは常識中の常識だ。こんなトンチンカンなことを考え、他人に頼る思考だからいつまでも自立出来ないのだ。
 仮にも大企業のトップがこのような調子だから中小企業経営者は推して知るべしだ。貧困ニッポンの元凶は中小企業優遇。助成金や優遇に頼る、厳しさの無い、経営感覚の疎い中小企業経営者だ、と久しく言われている。
 昨今盛んに言われている賃金が上がらない原因も中小企業経営の悪癖だとジャーナリストの窪田氏は言う。「日本国内の企業の99.7%は中小零細企業で、日本人の7割近くはこの中小零細企業で働いている。日本人の賃金が他国に比べて尋常ではないほど低いのは、この中小零細企業で働く7割の賃金が尋常ではないほど低いからだ。だから、中小零細企業は経営者によって賃金のバラツキがひどい。自分の給料をゼロにしても、従業員に高給を払っているような経営者もいれば、自分は会社の経費にしている高級外車を乗り回して、妻や息子に役員報酬を払いながら、従業員には最低賃金スレスレしか払わないような経営者もいる。」

 ポンポコ製菓の取引先の中小企業もちょうどこの話のとおりだった。
当社には創業時からお付き合いのある取引先がいくつかあった。印刷会社や運送会社などだ。
 関西の運送会社もその一つだった。そこの社長の後継ぎは大のクルマ好きだった。ある時その後継ぎと打合せがあるというので大阪の工場まで来てもらった。なんと工場の玄関にマセラティを横付けして颯爽と現れた。マセラティはフェラーリと肩を並べるイタリアの高級車だ。総務担当はその後継ぎに怪訝な顔をして問うと「これは社有車です」という。「いくら何でも外車はネ」というと、後継ぎは恐縮して「申し訳ありません!変えます」と答えた。
 その後本当にクルマは変えた。但し今度はニッサンGTRだった。確かに日産車は国産だが、GTRは国産随一のスーパーカーで1千万円以上する。これまた社有車で経費で落としていたのだろう。全く意味を理解していない。
 
 同様な話はまだある。東京の工場では派遣従業員の募集をある取引先に頼んでいた。外国人労働者を中心に非常にローコストで集めてくれるので重宝していたのだが、そこの女社長は羽振りが良い。商談はドイツ高級車のBMW7で現れる。BMW7はベンツSクラスと同等で、今年の広島サミットで各国VIPが使っていたあのクルマだ。当社の工場長の社有車はもちろんトヨタ・クラウンである。
 

資本主義の本質は搾取だ

 
 皆さんはグッズと商品の違いがお解りだろうか?
 商品は「売る」のが前提の「交換価値」。そして市場で何かを交換するときの価値を表しているのが市場価格、即ち値段だ。一方、グッズは売り物でない「経験価値」。市場価格はつかない。
 今は交換価値が全て、市場価格で測れないものは価値がないと思われている。経済学者は世の中のすべてを交換価値でしか測れないと思っている。
 古代は「市場もある社会」、現在は「市場がすべての社会」。商品も市場も交換価値は古代にもあったが当時の社会は市場の論理に支配されず、経験価値が支配していた。現在は交換価値が全てだ。
 「市場もある社会」が「市場がすべての社会」に変わったことで、利益を追求するようになり、カネが手段から目的となった。もともと生産して分配し、その余剰が利益だったのが、それが逆転して先に利益を決めて求めるようになった。そして借金に新たな役割が出来たことで利益の追求が歴史を動かすようになった。

 筆者は一貫してバランスの重要性を説明してきたが、利益も借金も適度に使えば良いのにバランスを欠いたところに格差や環境破壊などの不幸が始まった。文明が発達して幸せになる筈が歯車がどこかで狂った。

 扱いを誤ったプレイアーは誰か。

 利益を求める企業・経営者、借金を提供する銀行・金融機関、財政によりコントロールする筈の政府、そしてサポートする筈の経済学者、マスコミ等々。
 
 企業はそもそも何のために存在するか。顧客や社会に価値を提供してその対価として利益を得て、それを次の事業活動に投資して持続するはずだ。つまり、そもそも「企業は社会の公器」なのだ。だからきちんと自立して社会に貢献し節度ある利益を得なければならない。

 日本には昔からは三方良しといって「売り手良し、買い手良し、社会良し」という商売の基本がある。利他を顧みず利己に走り、儲けることばかりに専念することはあってはならない。
 それが昨今は買い手の消費欲を煽り、社会の自然や労働者を疎かにし、売り手である経営者と株主ばかりを重視するようになった。
 特に売り手が行う買い手の消費欲の煽り方は半端ではない。象徴がアウトレットモール。人の心をマヒさせ最適なスピードで店を回らせ、自発性と創造性を腐らせ、欲望を芽生えさせ、必要のないものや買うつもりのないものまでを買わせてしまう。その街バージョンがドンキホーテだ。あっても良い程度の商品を安いのでまんまと買わせるが、店から出るともうどっちでも良くなってしまう。そして家ではTVをつければ通販番組で「安いですよ! お得ですよ!」と司会が絶叫する、コメンテーターは「何これ!何これ!」と驚きを誇張する。昨今は「買わなければ損ですよ!」とまで言って煽っている。買わなくても損するわけがない。これは完全にモノを買うという交換価値を求める行為よりも安い市場価格を買うという行為に変えてしまっている。通販の手口はどちらでも良い付録をつけてコスパを良く見せ(ドンキのようにあれば便利の程度のものだ)、価格は1万円きりのお手頃価格、そして今から〇分と今だけ感を煽る。

 すべて消費者の消費欲を煽り、騙すテクニックだ。

 かのマルクスは言った。「資本主義の本質は搾取だ」と。
 
 そうまでして売上を上げようとしても日本のGDPは伸びない。事業も低迷し、後継者も育たない中小企業がゴマンとあるという。コロナ禍の時の助成金は却って死に体のゾンビ企業を延命してしまったともいう。それでも中小企業庁は支援を緩めない。逆に日本の高度成長を担ってきたのは中小企業だ!、と語気を荒げる。確かにその通りだがそれはまさしく人口が増えてモノが足りない高度成長期の昭和の話だ。平成、令和となった現在は、人口が増えない成熟期。時代に併せて変革しなければならないのだ。ポンポコ製菓の取引先の物流業者や人材派遣会社のように高級外車を社有車にしているような経営者にその気概は感じられない。
 
 さて借金の役割が変わり、その扱いを誤ってしまったもう一方の元凶は銀行だ。
その話をする前に自己の利益最優先の権化のような業界を次回紹介したい。そうメディア、広告業界だ。


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