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2024年辰年-明けましておめでとうございます

まずは、このたび「令和六年能登半島地震」にて被災された皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。
関係者の皆様含め、一日も早く穏やかな日常が訪れますよう、切に祈念いたします。

例年になく慌ただしい新年の幕開けとなりましたが、皆様はどのような年末年始をお過ごしになられましたでしょうか。

なんとなくコロナも落ち着いたことになって、初めて迎える新年。
私は年末から移動して、両親の住む家に連泊をして新年を迎えました。

よくよく思い出してみると、社会人として独り立ちしてからこのかた、実家に連泊などしたことは無かったように思います。
それどころか数年前までは、この年末年始の顔合わせ自体がとても億劫な行事で、まず日帰りで”済ませる”ことを第一に考えていたことを思い出します。
その道中、行きも帰りも本当に気が重く、それが身体にも現れて、胸がつかえたり胃腸の調子を崩したりもしたものです。

それが、まさか連泊して、まさか母の台所で私が料理を振舞ったりするなんて…。
なにか特別豪華なモノがあるわけではないけれど、そこに確かに存在する穏やかな時間と空気。

ほんとうに、まだ両親が健在で居てくれて、なんて私は恵まれているんだろうと思います。

両親のもとでゆっくりしながら、実家に置いてある過去のアルバムを一通り眺めてみました。

産まれてまだ間もない頃、まだ歩けもしないのに、何の憂いもない表情で世界のすべてを受け入れ、キラキラと眩しいオーラを放っている、好奇心の塊のような私。
弟が産まれて、母を取られたような嫉妬がすでに表情に現れているけれど、それでも弟が可愛くて、結構一緒に遊んでいた頃の私。
成長するにつれ、段々と周囲を意識するようになり、自分を守るかのように他人向けの表情を作ろうとし、無邪気さが無くなっていくその過程…。

私は母に無条件で可愛がられる弟のようになりたくて、子供ながらに一生懸命あれこれ画策したけれど、どうやっても上手く行かなくて、どんどん本来の自分からかけ離れていったんだなぁ…。

これまで自分を観てきて分かってはいたけれど、過去の写真はそんな顛末を雄弁に語ってくれました。

ただ、実は弟の方も、産まれた頃の溢れるような笑顔がだんだんと薄れていっているのが見て取れます。

彼は数年前、子供の頃の母との関係について思い出話をしていた時、私の方が可愛がられていたじゃないかと当たり前のように私に向かって言い放ち、何を言っているんだこいつはとビックリしたことがあるのですが…。

冷静にアルバムを見返してみると、そもそも弟のアルバムの方が圧倒的に少ないことに気がつきます。
そして、私が年中母の横の席を陣取っていたので、弟が入り込む隙がほとんど無かったんだろうなぁということも思い起こされます。
まあ、私はその席で、弟がどんなに可愛いかを母からずっと聞かされ続けていたという記憶に繋がっていくのですが…。

そして母も、私が産まれた頃は希望に満ちてキラキラしていたけれど、赤ん坊の弟を抱いている頃の表情は硬く、余裕を失っていることが手に取るように分かってしまいました。

…そんな話を、アルバム片手に母と直接語ることが出来る日が来るなんて。

我慢するとか水に流すとかではなく、それぞれが抱えていた気持ちをすんなり表に出せるだけで、その記憶から暗い影がスーッと消えていく。

そう、これが、人生においてどんなに大切で、幸せなことなのか。

ここに至るまで、数々の紆余曲折と支離滅裂とも思える行動、繰り返した暗中模索。
表面的には失ってきたものもたくさんあるけれど、一番必要だったものが戻って来た。

ここまでグルっと廻って来たからこそ、初めて分かる醍醐味。

こんなところまで連れてきてくださった全ての人、物事、経験に感謝し、私を通してやるべきことを、さらに真摯に追求していきたい。

そんな気持ちで迎えた2024年、辰年。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。