心にいつも茨木のり子を
桜の季節になると、敬愛する茨木のり子さんの詩「さくら」を思い出す。
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
冒頭の一節。大学生の時にこの詩に出会い、初めて、人生の終わりまでの時間に薄らとだが輪郭が浮かび上がったことを覚えている。
茨木のり子さんの詩は、ぼんやりしている私の背中をいつもバシッ!と叩いてくれて、この一生を生き抜こうという「生」への真摯な思いを取り戻させてくれるから好きだ。これまでに何度も救われてきました。
最近、同世代の友人に会うと「もう私たちは人生を折り返したんだよ。単純計算で2倍したらもう寿命。」というような話をしてしまう。
そんな悲しい話しないでよと思っている友人もいるかもしれないが(ごめんね)、「そういえばそうじゃん!」とか「それ、この前気づいて萎えたんだよね笑」とか「いや、平均寿命考えたらまだいける!」とか、反応は様々。
向き合いたくない事実は世の中にたくさんあるけれど、私はきちんと相対していかないと、自分が何をすればいいかわからなくなってしまうような気がする。だから、ちょっとグサッと痛むけど、それでも事実を見ようと頑張るようにしている。
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
「さくら」の詩の結びの言葉を大切に胸にしまって、新しい春を迎えようと思う。