ハゼノキめぐる

平安時代は草木染や弓、江戸時代以降は和蝋燭や化粧品として活用されたハゼノキ。産地の減少…

ハゼノキめぐる

平安時代は草木染や弓、江戸時代以降は和蝋燭や化粧品として活用されたハゼノキ。産地の減少や代替品の発展から産業も文化も衰退しています。 私達はハゼノキゆかりの地、鹿児島県錦江町と福岡県那珂川市を拠点にハゼノキの育成支援、ワークショップ等を通じた文化、産業の普及活動を行っています。

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ハゼノキを育てよう!

皆さんこんにちは!久々にnote再開します。 皆さんは「ハゼノキ」はご存じでしょうか?ハゼノキは東南アジアが原産地と言われており、日本では室町時代に大隅国の根占地区に取り寄せられた苗が初めてといわれています。その始まりの地でもある錦江町でハゼノキの植樹を始めようと思っています。それに先駆けて現在我が家では、このハゼノキの苗を種から育てています(トップの写真は生後3ヶ月。我が家の櫨の子です) と、言うことで今回はそのハゼノキ(櫨の木)に関して書いていこうかと思います。「ハゼ

    • 薩摩藩とハゼノキ④ 現在の鹿児島県のハゼノキ

      みなさんこんにちは!いよいよ「薩摩藩とハゼノキ」シリーズ最終回となります。前回で歴史的な部分は完結していますので今回はおまけパートです。前回はGW直前!ということで、少し中休みをして代表的なハゼノキ関連の観光スポットを紹介してみました。近くにお立ち寄りの際はぜひ訪ねてみてください!そんな前回の記事はこちら! 話は戻って「薩摩藩とハゼノキ」ですが、前回は生産する現場、管理する藩の実態を通じて薩摩藩全体の構造と通じる問題点についてお話をしてみました。最終的に、他藩から優良種や技

      • ゴールデンウィークはハゼノキに会いに行こう!

        みななさんこんにちは!いよいよ来週からゴールデンウィーク!!という方も多いのではないでしょうか!ということで、「薩摩藩とハゼノキシリーズ」は1回お休みして、休みに訪問できるハゼノキ関連の施設や名所をご紹介していこうと思います!まだ行き先が決まっていない方や、お近くに行かれる際はぜひ旅の+αとしてハゼノキに触れてみるのはいかがでしょうか? ■本多木蝋工業所(長崎県島原市)島原鉄道「大三東(おおみさき)駅」を下車し、緩やかな坂道を上がっていくと「本多木蝋工業所」の看板があり、そ

        • 薩摩藩とハゼノキ③ 農村部の実態と天保の財政改革

          みなさんこんにちは!3回目となりました薩摩藩とハゼノキシリーズ。前回は禰寝清雄の農業政策により薩摩中に広がりはじめたハゼノキと製蝋。それはどのような政策であったのか。そして、その中心的な役割を果たした人物と、生産・製蝋の中心地となった桜島の動向を中心に書いてみました。そんな前回の記事はこちら! 多くの利益を藩にもたらしてきたハゼノキですが、実際に育てる側の実態はどのようなものだったのでしょうか?ハゼノキを植栽していた藩の中でも群を抜いて評判の悪かったといわれる薩摩藩。そして

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        ハゼノキを育てよう!

          薩摩藩とハゼノキ② ハゼノキ政策と桜島

          みなさんこんにちは!前回から始まりました。薩摩藩とハゼノキシリーズ。江戸時代、ハゼノキと木蝋産業のパイニアであった薩摩藩はどのような政策を進めていたのでしょうか?藩内の農家だけでなく郷士からも評判が悪かったと伝わる政策の実態はどういったものなのか?先週はそのはじまりとなるハゼノキの伝来に関して書いてみました。 薩摩藩のハゼノキの政策は延宝年間(1673年~)の禰寝清雄(ねじめきよかつ)による農業政策と、天保年間(1830年~)から始まる調所広郷による天保の財政改革からとで、

          薩摩藩とハゼノキ② ハゼノキ政策と桜島

          薩摩藩とハゼノキ① ハゼノキはいつ伝来したのか?

          皆さんこんにちは!改めまして2024年度からnoteを投稿していきます!毎週金曜日に更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします! 久々のnote再開!ということでいよいよ地元でもあり、ハゼノキ発祥の地と伝わる鹿児島、薩摩藩とハゼノキの歴史に関して紹介していこうと思います。随分と前になりますが、前回の記事で「2つのハゼノキ」について記載しました。記事はこちら↓ 今回の「ハゼノキ」は、現在にも伝わる和ろうそくや鬢付け油、化粧品の材料となる「ハゼノキ」のお話です。 伝来

          薩摩藩とハゼノキ① ハゼノキはいつ伝来したのか?

          黄櫨染と2つのハゼノキ

          みなさんこんにちは!今年もあと一週間を切りましたが年末年始はどうお過ごしでしょうか?ハゼノキに関して書き始めたこのnoteも今回が25回目になり、無事1年を迎えることができそうです。いよいよ今年の投稿もラストになります。ちなみに先週は詩として詠まれてきたハゼノキに関して書いてみました。そんな記事はこちらから。 今週は先週の最後でも少しお話した「2種類のハゼノキ」に関してです。結論を先に書くと「実を取るためのハゼノキ」と「染め物の材料としてのハゼノキ」です。前

          黄櫨染と2つのハゼノキ

          ハゼノキで季節を詠む

          みなさんこんにちは!このnoteでお話をしているハゼノキですが、温暖地を好むので関東以北の方にはあまり馴染みがない。と言うようなお話をしましたが、実は東京にもハゼノキにまつわる場所が残っていたりします。その前に、先週はハゼノキに重要な「接ぎ木」に関して書いてみました。記事はこちらから! さて、東京のハゼノキにまつわる場所は意外な場所にあります。後楽園駅の北口を出てすぐにある礫川公園。この場所にひっそりと「ちいさい秋の碑文」が飾られていまが、何を隠そうその石碑

          ハゼノキで季節を詠む

          ハゼノキと接ぎ木

          みなさんこんにちは!先日ハゼノキの播種や接ぎ木の方法に関して教わって来ました。今回はハゼノキを育てる上で最も重要かつ、最初の一歩となる「接ぎ木」に関してお話します。そして、先週は櫨の実の収穫である「ちぎり子」体験に関して書いています。ぜひこちらも合わせて読んでみてください! ハゼノキは同じ科である漆と比較されることが多いのですが、育成方法は漆と同じくクローンを使って育てることになります。ただしクローンを作る方法が違っていて、漆は「分根法」と呼ばれる優良種の根

          ハゼノキと接ぎ木

          櫨の実をちぎる

          みなさんこんにちは!今週はうきは市と島原の「櫨の実ちぎり体験」に参加してきました!櫨の実は例年11月頃〜穫時期になります。ちょうど紅葉が一段落すると葉がおちて実だけが残りちぎりやすくなります。さて、先週は収穫とはまだまだ程遠い我が家の成長記録(しかもあまりうまくいくいってない)の第3弾レポートを載せていますのでご一読頂ければと思います! 少し話は変わりますが、ハゼノキは痒くなったり、肌荒れすると言われがちですが、今回の櫨の実のちぎり子供達も大勢参加してくれています。しかも大

          櫨の実をちぎる

          ハゼノキ育成記録③

          みなさんこんにちは!7回連続でお送りしてきました全国のハゼノキ。ここで前半戦は終了しまして少し間を置いて再開したいと思います!ちなみに先週は島原藩のハゼノキに関して書います!そんな先週の記事はこちらから!ハゼノキの歴史をたどると歴史的な出来事や人物と不思議と巡り合う学びがありました! さて今週は「ハゼノキ育成記録」の第3弾!そして今年最後のレポートになります!実は10月の末から葉っぱが全体的に白くなり黒い点々が出るようになってきました。すでに成長が止まってし

          ハゼノキ育成記録③

          島原藩と昭和福櫨

          みなさんこんにちは!シリーズ化してきました全国のハゼノキシリーズですが、本日の主役は島原。昭和のハゼノキ生産や木蝋産業を支えた一大生産地です。そして今では最も育てられている品種でもある「昭和福櫨」を生み出した地域でもあります。さて、先週は現在の一大生産地である熊本のお話でした。そんな先週の記事はこちらこら! さて、冒頭でもお話したとおり島原は平成以前は全国でも屈指のハゼノキの生産地でした。しかし、平成2年の雲仙普賢岳の噴火による火砕流が櫨畑を直撃してしまい、

          島原藩と昭和福櫨

          熊本藩とハゼノキ政策

          みなさんこんにちは!シリーズ化してきました全国のハゼノキのシリーズですが今回は熊本藩です。熊本藩はどのような経緯でハゼノキは育てて来たのでしょうか?先週は岡崎藩のハゼノキを通じて結ばれた不思議な縁を書いてみました。そんな先週の記事はこちらから! 少し前に「はぜのき館」のお話をしましたが、熊本は現在でもハゼノキの生産が続いている数少ない地域です。特に水俣市はハゼノキの生産本数は日本最大級の規模を誇っています。さて、現在までハゼノキ生産が残る熊本ではどんな政策が

          熊本藩とハゼノキ政策

          岡崎藩と三州岡崎和蝋燭

          みなさんこんにちは!現在全国の櫨の木の産地や和蝋燭縁の地を巡っていますが、今週は飛騨と岡崎に行ってきました!岡崎と飛騨はハゼノキの産地ではありませんが、貴重な和蝋燭店が残っている地域でもあります。先週の内子町の記事はこちらから! さて、ハゼノキは記録上では岐阜藩でも岡崎藩でも育てていたと言う文献が残っていますが、現在は樹木としては確認することができません。元々の寒い地域に弱い樹木なので岐阜藩はハゼノキではなく漆だったのかもしれません。その辺りは引き続き調査していきたいと思い

          岡崎藩と三州岡崎和蝋燭

          芳我家と木蝋産業

          みなさんこんにちは!今週は愛媛のハゼノキと木蝋産業に関してです。愛媛のハゼノキ・木蝋産業と言えば、大洲藩石畳村(現在の内子町)であり、芳我家の存在なくしては語れないものでした。先週は和歌山のハゼノキ「葡萄櫨」に関して書きましたが今週は愛媛県内子町です。そんな葡萄櫨の記事はこちらから。 内子町の発展はまさに芳我家の発展と共にありました。芳我家は本家も含め14家に分家され、そのうちの4家が製蝋に関わっており、特に本家である本芳我家と上芳我家が膨大な製蝋能力を有し

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          田中善吉と和歌山の葡萄櫨

          みなさんこんにちは!今週は和歌山県のハゼノキに関してお話します。ハゼノキの品種は30種類ほどあると言われており、そのほとんどが九州で生れた品種ですが、「葡萄櫨」は和歌山県で生れた固有種になります。先週は地域で親しまれているハゼノキに関して書きましたが、「葡萄櫨」も地域で親しまれているハゼノキです。そんな先週の記事はこちらから。 さて、そんな「葡萄櫨」ですが、実は多くのドラマを持っています。紀州藩にハゼノキを持ち帰った田中善吉、葡萄櫨を発見した吉瀬勇三。そして一度は無くなって

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