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人生の季節。36歳でゆっくりしてもいいじゃない。

冬は寒い。
かじかんだ手でキーボードを叩いてる。

このnoteでは、人生を豊かに生きるための、僕なりの考えをシェアしたい。
人生には季節のようなものがあるし、季節に合った過ごし方があるんじゃないか、という話。

「人は機械だ」と、トムソーヤの冒険の著者マーク・トウェインは言ったけど、僕は自然を重んじる生き方をしたいと思ってる。機械と対比させるなら、動物とでも呼ぶべきかもしれない。

小学生の頃から将来に輝きを感じずにいたバブル崩壊後の世代に属する僕。
だからなのか、一社で働き続けることにほとんど魅力を感じない。
同じような日々を、同じように繰り返す人生は勿体ないように思う。

人はもちろん歳を重ねる。
10歳と20歳と30歳と40歳と50歳では(もちろん60歳以降も)、同じ人であっても感覚やその時にあるリソースは違って当然。違わないとおかしいくらい。

僕は26歳で世界一周に行くことにしたけど、それは僕が独身であり、ある程度の社会経験を積み、そこそこの柔軟性もまだあり、体力があり、(頑張って貯めたので)十分な貯金があり、その後の人生に影響を及ぼすだけの残りの時間があったからだ。
18歳では多分影響を受け過ぎたし、一人で完走することは出来なかったと思う。
36歳だったら、妻も子どももいるし、子どもには刺激が強すぎるから難しいだろう。
60歳では、体力的に出来ることも制限されるだろうし、好奇心も20代のそれとはどのように変化しているか僕にはわからない。良くも悪くも柔軟性は比較的低くなっているだろう。

***

人生には季節のようなものがある。
いつ、何をするのが自然で豊かなのか。

社会構造はしっかりしているし、その中で生きる社会人としての生き方は、もしかしたら自然とは少し異なるような気がしている。

人生の中でも最も大切な時期が幼少期だと思う。特に、生まれてからの3年間や6年間。
モンテッソーリ教育はコーチングにも似ていて、とても良い考え方だと思ってる。

”その人らしさ、個性を伸ばす。”

生まれてすぐは世界を認識する時期であったり、できることが急激に増えていく時期。
だから、家族との安心できる時間が大切だし、興味の湧いた方向へ存分にエネルギーを注いでいくことで、それ以降の人生での好奇心や思考力や感性が養われていく。

人生の核となる時期、とも呼べるかもしれない。

だから、早すぎる時期に、「親が仕事するため」などの理由で集団生活の中に入れてしまうのは、(いくつかの教育書によると)ちょっと自然とギャップがあるらしい。

小さいうちは、親や小さなコミュニティの中で過ごすのが良い。

そして、僕自身としても子どもを何よりも大切にしたい。
だから、僕の人生の季節的には、今あくせく働くことよりも、ゆったりと子どもと過ごすような人生にしていたい。

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20代は社会経験も積みながら、世界を旅して自分の幅を広げた。
30歳前後では一生懸命働いた。
36歳の今、そして40歳くらいまでは、幼い子どもとゆとりを持って一緒に過ごす。
子どもが小学校に入る頃には、(子どもとしてもそんなに親に構われたくないだろうし)また仕事にも打ち込んでいく。

そんな風に人生の季節を過ごしていきたいと思う。

***

普通みんな働いてるから、とか、
生活するために必要だ、とか、
そんなのまあまあな嘘だと思う。全部じゃないけど、全然何とかなることが多いと思う。

自分を安心させるために社会的地位や生活水準を上げる前に、まず本当に大切にしたいものを大切にしていく生き方があってもいい。

僕はそうやって生きていく。

あなたは、どんな人生にしていきたいですか?
今のような不確かな時代は、逆に言うとモデルのない自由な時代でもあるのだと思います。
自分にとっての本当に思い描く人生は、きっと自分の内側に秘められています。
僕はコーチとして、そんな素敵な未来を一緒に見て、そして実現していく様を応援していきたい。

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