抑圧されてきたから、表現したいんだ

今日の気づきはすごく大きかった。
抑圧の連鎖が、脈々と続いてきていた。
ロマンチックではご飯が食べられない。
男性社会だから、女性らしくしていては「ツカエナイ」

そんなふうにして、抑圧されてきたものが折り重なって
どうしようもなくなってきた

だから表現したい、自由になりたい、出したい、見てほしい、聴いてほしいと騒ぎ立てている。

でも本当に言いたいことは、何一つ言えていない感じがする。
本当に言いたいことは、何一つ、伝わっていない感じがする。
本当に伝えたいことは、怖くて、怖くて、怖すぎて、伝えることを無意識でやめているような気がするんだ。

本当に怖い。
私は、あなたを否定している。
そのことを、あなたに知られるのは、本当に怖い。
でも、やっぱりあなたを否定している。

現状の否定からしか、クリエイションは生まれない
否定していても、感謝しているし、愛している。
でも、そのやり方、生き方、考え方、選び方は、「わたしは、選ばない」
それが、否定するということ

何かを選ぶということは
何かを否定するということ

私は誰よりも大切な存在よりも
私という強烈な一人を
この世界で、誰よりも大切にすると決めたから
だから、私はあなたを否定する。

あなたは、私ではない。
私は、あなたではない。

あなたは、あなただ。
わたしは、わたしだ。
あなたはあなたのことをします。
わたしはあなたのことをします。

わたしは、あなたのことをするために生まれてきたのではありません。
あなたは、わたしのことをするために、生まれてきたのではありません。

そんなふたりが、出会うことができたら、それはとても幸せなこと。
出会えなかったら、それは、しかたがないこと。。。

ゲシュタルトの祈り。確かこんな文章だった。

どうして。誰でもない自分が歩んでいる道、書いている言葉、出している表現を誰かに認めてもらえないと不安になるんだろう?

まるで通知表を何度も、何度も、何度も開いて
褒めてもらっている言葉たちがあるのを認めるように
SNSを開いて、赤いお知らせマークがついていないか、チェックする癖のある自分。
もう本当に嫌になる。

誰かの反応に振り回されるのは、嫌だ!
そう思っているのに
誰かの反応がないと、嫌だ!
とも思っている。

ぐるぐるする、深夜、現在地。

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