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アニメデザインのスタンダードを確立したデザイナーとは。

オシャレなアニメデザイン。

オシャレとオタクは対極であるなんて偏見を持っていた時期もありましたけど(そのオタクのマイノリティーがよかったりもしたのですが)、いまはアニメの広告媒体やパッケージには必ずデザイナーを起用、イラストディレクションまで携わったりします。ファッションブランドともコラボしてるくらいなので、それこそ”オタク”なんて死語だなと思うわけです。

さて、アニメにデザイン性を求めることは当たり前の昨今ですが、このスタンダードを確立したデザイナーがいるのをご存知でしょうか。

特にその影響力が強かったのがTHESEDAYSの田島照久さんという方です。今のアニメにおけるグラフィックデザインのひとつの水準を確立したといっても過言ではない。と、個人的には思ってます。

今回はそんな田島さんの作品をご紹介します。

田島照久
元はソニーレコード・デザイン室に勤務する。矢沢永吉やマイルス・デイヴィスのジャケット・デザインを担当。1980年にソニーを退社しフリーランスとなり、自身のデザイン・プロダクション「Thesedays」を設立。浜田省吾、尾崎豊のパッケージカバーのアートディレクションを担当。

まずはこのジャケット。僕は世代ではありませんけど有名ですよね。尾崎豊の「十七歳の地図」のジャケット。このパッケージカバーのアートディレクションを田島さんが担当してます。

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あとはこのあたり。今見てもかっこいい。

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基本的にはミュージック関連のアートディレクターなので、グラフィックデザイナーとしてのスキルは一流だったわけです。

そんなアニメとは無縁の、それこそ対極な位置にいた田島さんでしたが、ちょっとしたキッカケからOVA(オリジナルビデオアニメ)パッケージのデザイン依頼を受けたそうです。これが1980年代頃で、その頃はアニメ制作費はOVAで回収するビジネスモデルが確立していた時代です。

1980年代といえば「アニメ=オタク」という時代なので、デザイン業界はアニメになんて見向きもしなかったみたいです。アニメにデザインとか必要?(笑)みたいな。※イメージ

そんな中、田島さんが受けたパッケージの作品が『機動警察パトレイバー』。監督も押井守さんなので、非オタクの人にもまだ受け入れられやすい作品ではあったでしょう。

機動警察パトレイバー
『機動警察パトレイバー』は、ヘッドギア原作の1988年を基点とした10年後からの数年間の近未来の東京を中心とした地域を舞台としたアニメ、漫画、小説、ゲーム、実写などのメディアミックス作品である。当時としては珍しいメディアミックスを展開した先駆的作品であり、現在もなお関連作品・グッズが数多くリリースされ続けている。

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めちゃくちゃかっこいいですよね。日本語表記が一切なくて、いまでこそ当たり前の欧米フォントのみで構成。ここまで日本語表記がないと製作委員会からあれこれと戻しが入りそうですが、制作委員会は今ほど一般的ではなかったみたいなので、自由にデザイン出来たという側面もあったのかもしれません。

このパッケージデザインの評価がよかったため、これ以降もパトレイバー全般のグラフィックを田島さんに委ねられていったと、なにかの雑誌で読みました。

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モデルにキャラクターの衣装を着せて撮影するなんて発想は、ミュージシャンの撮影やアートディレクションを担当してたからこそできるビジュアルですよね。いまでいうコスプレですが、同人感というかチープさが感じられないのはさすがです。これが22年前の1998年のデザインというから本当驚き。

ところでこの当時「今、そこにいる僕」っていうアニメが放送されていました。地上波でなく、父親が入っていたWOWOW(か、BS)で放送されてて見てたんですけど、いまいち設定がわからなくて、でも救いのないアニメ作品であることは分かっていて、今だにトラウマなんですけど、大好きなアニメ作品なんです。見終わった後の気持ちは決してよくありませんけど、機会があったらぜひ見てください。

話がそれました。

田島さんの他の代表作として「攻殻機動隊」があります。

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海外向けの劇場版ポスターなんだけど、見たことがある人も多いのではないでしょうか。元のセル画に、配線の質感や陰影などのデジタル処理を田島さん自身が加えているそうです。これは1995年とかなので、おそらくデザイン業界でもデジタル対応できていたのは相当早かったのではないかと思われます。

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「攻殻機動隊 SAC 2nd GIG」のDVDパッケージ。エッジが効きすぎだし、アニメなのにキャラクターが配置されてません。衝撃。逆にこの振り切りが攻殻機動隊の世界観を表現してるからすごいですよね。


1980年代なんて、それこそオタクは迫害されて当たり前の時代だっただろうし、そんな時代に非オタクの人でも受け入れらるようなデザインを作り上げたわけなんです。

少なからず「オタク・アニメ=ダサい」という固定概念を持っている人を減らし、アニメが多く人の生活に溶け込めるようなデザインの礎を作ったのではと思います。おおげさかもしれませんけど。でも、いまのアニメパッケージデザインの主流を見てるとそれは間違いじゃない気がしますけどね。

アニメでも「オシャレでかっこいいのもあるんだぜ!」とデザインでそれ表現してくれた最初のデザイナー、それが田島照久さん。と、勝手に思ってるわけです。




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