【読感】赤の女王

『赤の女王』性とヒトの進化 マット・リドレー著 長谷川眞理子訳

この本は素晴らしい。進化論の本です。生存のための淘汰はよく知られていますが、遺伝子レベルの生存競争や性淘汰はあまり知られていません。

最初、人間の本性についてから述べられます。よく氏か育ちか(遺伝か学習か)で対立させますが、人間も基本は動物であり、遺伝による基盤は同じはずで、主に人と動物の性淘汰とを比較することで、人間の共通的と言える本性が見えてくるのではないかと述べていて、本書の最後までの共通認識です。赤の女王は、鏡の国のアリスに出てくる走り続けているのに同じ場所に留まる女王で、性淘汰(同種間淘汰とも言えます)の、自分と周りが競争的に共に進化するので、同じ戦いを続けることをさしていると思います。走り続けないと今の場所にも留まれない。永遠のランナーですね。

著者はジャーナリストですが、いろんな科学者の説を俎上にあげて、議論していきます。膨大な説に検討を加え、著者が最も納得できる説を示したます。内容は多岐に渡りますので、印象に残ったところを紹介します。

1つ目は、何故、人間を含めた生物は有性生殖をするのか?効率よく遺伝子を残すには単性生殖が有利で、オスは非効率なんです。有力な説は、病原菌や寄生虫との戦いのため。子供達が似た免疫や病気への耐性などだと、コロナなどの伝染病で一網打尽にされてしまう。アメリカ大陸のある先住民は、スペインなどの、武力ではなく持ち込まれた伝染病で多くが滅ぼされたという例もあります。最近のコロナ禍で怖さがわかりますね。貧血の鎌状赤血球症は遺伝病ですが、マラリアに罹りにくいという有利な点で淘汰されずに残っています。有性生殖は遺伝子を混ぜ合わせて、免疫などの多様性を保つ事で、伝染病から生き残る個体を残すという戦いをしている。戦うというより、そうした生殖方法をした生き物が生き残ってきたんですね。最近、日本人に多いお酒を飲むと赤くなる人々、私もですが、何らかの伝染病に強いとかの記事を読みました。生き残った遺伝的な体質などは理由があるのでしょう。

2、有性生殖に関連してミトコンドリアの母系遺伝の話。真核生物の細胞には遺伝子が収められた核とミトコンドリアという過去に別の細菌だったエネルギー機関があり、実はミトコンドリアにも少し遺伝子が残っているのです。仮にオスの精子に核の遺伝子とミトコンドリアの遺伝子が含まれると、受精後にメスのミトコンドリアとの闘争が始まりエネルギーが消耗してしまう。また、精子は受精時に核だけを卵子に注入するのですが、それはオスの細胞内の病原菌(ミトコンドリアも共生菌でした)が卵子に持ち込まれないようにするため。最小限の核の遺伝子だけを安全に得るためです。詳しくは書けませんが男と女の遺伝子レベルの生存競争も面白いですね。科学者はよく考えています。

3、人間の生物としての性を動物の性と比較しながら、論じているところ。
オスはなるべく多く自分の遺伝子を残したい。メスはなるべく優秀なオスの遺伝子をもらって、安全に子供を育てたい。という生存ゲームから、様々な動物の集団(一夫多妻などのハーレム、乱婚、一夫一妻)を解釈しています。子育てにオスが必要かも重要な点になります。類人猿の、群れを奪ったオスの子殺しから子を守るのもメスの戦い(チンパンジーやボノボ、乱交で誰が男親かわからなくする)です。

結論からいうと、人間は、妊娠期間が長く子が一人前になるにも長く時間がかかるという制約から、オスが育児に協力する一夫一妻が基本(歴史的に男の権力者は一夫多妻もあり、遺伝子を多く残すというオスの本性に適っているが、その場合も本妻はいて、一夫一妻+αが基本)。
似た動物は鳥が多くて、鳥のつがいの研究から、驚くべき事実がわかります。一夫一妻の鳥は、オスもメスも互いの目を盗んで浮気をしていました。オスは遺伝子を多く残すため、メスは生活力のあるオスを結婚で押さえておいて、優秀な既婚のオスと不倫をして、優秀な遺伝子を子にもらう。ツバメの子は30%が夫の遺伝子ではない!このような戦略というか、このような抜け目ない個体が生き残ってきたという何とも倫理的にもやもやしますが(苦笑)

人間もオスとメスの遺伝子を残す戦いという観点から、一夫一妻の鳥のような夫婦が生き物としての自然の性質ということですね。だからといって、自然だから不倫がいいとはいかないのが人間ですけどね。一夫多妻でも妻たちの間の嫉妬対策に骨が折れるようです。過去にある俳優が不倫は文化だと言って炎上しましたが、不倫は文化ではなく遺伝的な性質で、遺伝=自然=本能を抑えるのが文化ではないでしょうか。

後半は、生き物としての人間の男女の、それぞれの生存戦略を動物のそれと比較しながら論じています。異性に対して何に惹かれるのか?美醜・体形・権力・若さ。男は男の、女は女の共通の戦略や特質がある。ジェンダーが注目され、生物的な男女差を無視する論調が社会に強いですが、著者は差異と差別は違うという主張もしています。そうしないと遺伝を基盤とした共通の人間性の理解が進まないというのはそうだと思います。

圧巻は、脳の容量の爆発的増大の原因を論じているところですね。道具とか言葉とか社会性とか多くの論がありますが、動物にもそれは部分的にあり、ヒトだけではない。著者が採用したのは性淘汰です。孔雀のオスの尾羽が生存に不利になるほど大きく目立つ色になったのは、メスの美人投票によってです。選好のキッカケは他のメスも好むからで、尾羽が大きいオスの遺伝子をもらうと自分の子のオスもメスから選ばれやすくなるという循環論法的なもので、動物で極端な進化が進むのは生存競争ではなく、オスとメスの同性との競争による性淘汰の特徴で、人間の大きな脳は知性や音楽、言葉によって異性を惹きつける競争の産物だというものです。面白いですね。

余談ですが、バンドウイルカは、オスの集団で、他の群れのメスを強奪しているようです。人類の研究でも、他の部族と戦うのは女性を強奪するのが目的だったというのもあり、日本の歴史でも権力者の子供の女の子は政略結婚の道具でした。女性の権利主張は正しい。朝ドラの『虎に翼』は男からみても小気味良いですね。

人間の本性を性淘汰によって、ここまで謎解きした本は読んだことがありません。原書は1993年出版なので、30年前ですが、名著だと思います。最後に著者が、この本の説の半分は誤りといわれるだろうと述べていて、科学の歴史への謙虚な姿勢に好感が持てました。最新の論はどうなっているのでしょう。

古い本だと思って買ってずっと積読だった(分厚い文庫本です)のですが、もっと早く読むべきでした。謎解き本としては最高ですね。

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