『死刑すべからく廃すべし』を読んだ

最近読書ブームとまでは言わないけど、自分の中で本を読むことが習慣化されつつあり、これも大学の図書館で借りて読むことにした。

この本を知ったきっかけは明確には思い出せないが、たしか新聞に載っててそこで初めて目にした気がする。とにかくタイトルに惹かれた。

この本は、明治時代に教誨師として活動していた田中一雄という人の、死刑囚への教誨を通じた死刑に対する考え方とその背景、そしてその人生を紐解くような内容となっている。

ぼくは死刑囚との教誨での記録等に興味があったのだが、それはあくまでも田中の考えを補助する程度で本書では紹介されるため、そのものズバリを読みたい場合は参考文献として提示されているのでそれを見るといいということであった。

ぼくがまずこの本を読破した後に思った最初の感想は、「いやこの作者田中のこと好きすぎだろ!」というものである。

田中の死刑への向き合い方に感銘を受けたのだろうが、それにしても会ったことのない人なのにそんな人物への研究熱心さは、尊敬に値する。

ぼくが作者の方と同じ立場だったとしても、果たしてそこまで詳しく調べられただろうかと思う。

さて、本題についてであるが、まあタイトルそのままなのであるが、田中の死刑に対する考え方は、もちろん反対ということになる。

そして、まあこれも当然だが、作者の方も死刑は反対という視点で書いている。

死刑について賛成か反対かは今までも大学の授業とかで考えてきたし、自分自身少し興味もあったので、自分なりに考えていたところはあった。

はじめは死刑制度が存在する国に生まれ、極刑が死刑と教わってきたため、考えるまでもなく賛成派だった。

しかしある時からふと、人を殺した人間を同じように殺すことが果たして本当に犯した罪に対する刑罰として正しいのか?と思い始めた。最終的に人は死ぬんだから、死ぬまで罪に服することが最大限、罪を犯したことに対する報いになるのでは、と考えたのである。

ぼくの中でそのように死刑観が揺れ動いていたタイミングで読んだのだが、結論から言って明確に賛成とも反対とも言えるようにはならなかった。

別にそれが良いとも悪いとも思わないし、この本を読んだこと自体はとても良かったと思っている。ただ、死刑反対派からの視点で書かれていても、決定的に反対とまではまだ言えないな、と思ったというところである。

ただ、反対派からの主張というか、言い分はごもっともという感じである。時代のせいなのか所々「ん?」と思う田中の思想はあるけども、やはりなんと言っても死刑囚と直接接しているというのが大きい。

その立場から死刑に対しての意見を述べられると、一定量やはり説得力は増す。

ひとりひとり丁寧に教誨を行っていけば必ず更生することができる、という理論も、その辺の人が言っていると「いやそんなわけないでしょ」と一笑に付されるところ、リアルな現場で実際にそれを行っている人が言うと、たちまち説得力が出てくる。本当にそうなのかも…と思い始める。

ただそれも更生するまで教誨を行うことができなかったのでたらればの話にはなってしまうかもしれない。

しかし、生きることで「更生の余地」というのは残されるわけで、それと「目には目を」という理由で合法的に犯罪者を殺す、という両者を天秤にかけているのかも、と思った。

もちろんこの要素だけではないが、本当に様々な要素を勘案した結果、後者の天秤が重くなり、結果として現在でも死刑制度は残っているということになる。

この本を読んだことでぼくの考えが大きく変わったということはなかったが、反対派の主張や理由がぼくの中でとても大きく、具体的なものになったのは間違いなかった。

あとは、大逆事件についても扱っていたが、日本史でちょっと触れただけで、「大逆事件」「社会主義弾圧」「幸徳秋水」くらいの知識しかなかったのだが、この事件の背景から具体的な内容までかなり詳しく知ることができ、こんな事件だったんだと改めて知ることができたので、これもとても良かった。

そんなわけで、個人的にはまあ興味深い一冊であった。ちなみに同じタイミングでもう一冊、今話題(たぶん)の『母という呪縛 娘という牢獄」も読んだが、これはぼくの語彙力ではなかなか書くのが難しそうなので書かないことにした。ただ、とにかくものすげえ本だったので今話題なのもわかるなあとは思った。

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