twilight

daigakusei

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最近の記事

中学生の時に最もやらかしたこと

少々、というかかなり汚い話にはなってしまうが、数々のやらかしを披露してきた中学時代の中でもとびっきりやらかした話を書こうと思う。 あれは忘れもしない、中学2年生の夏休みに入る直前の7月のある金曜日。 その日は変則的なスケジュールで、1〜4時間目まで、つまり午前中全てを使い、家庭科の実習ということで近所の幼稚園を訪問していた。基本的には幼稚園児と遊ぶだけという、子供が好きな人にとっては天国、そうでない人にとっては地獄のような時間だった。 それが終わると学校に戻り、給食を食

    • 千と千尋を見ると

      思い出す人がいる。 その人は、ぼくが高校三年生の時に(正確には2年生からだが)同じクラスだった女の子である。 その子には彼氏がいたのだが、まあ結論から言うとぼくはその子のことが好きだった。 ただ、そりゃ彼氏もいるし、その彼氏と比較してもすべてにおいて劣っていると自覚はあったため、ぼくはその女の子とは「あくまでも友達」というスタンスで接していた。というか、完全にその子との間に「俺たち友達です、それ以上でも以下でもありません」という線を自分から無理矢理引いていた。 もちろ

      • 単純作業

        いわゆる単純作業と言われるようなもの。ぼくはこれがどちらかというと得意な方である。 例えば原田宗典先生がエッセイで書いていた、学生時代にやっていた「ベルトコンベアで流れてくる肉まんをサッと手で取ってパッと網に乗せるアルバイト」というようなもの。これはもう単純作業の極みといった感じである。 やっている時間が長すぎると頭がおかしくなりそうな作業ではあるが、根本的にこういう作業を苦痛に思わないタイプだ。 今のバイト先でも単純作業のものが結構あって、個人的には全然嫌いじゃない時

        • リバティアイランドと川田将雅騎手

          日付変わって昨日10月15日、奇しくも川田将雅騎手の誕生日に、史上7頭目の三冠牝馬が誕生した。 ぼくが競馬を見るきっかけになった馬が、2020年に三冠馬となったコントレイルなのだが(きっかけとかは書くと長いので割愛)、コントレイルが三冠馬になったタイミングではまだリアルタイムでは競馬を見ていなかった。 そのため、ぼくがリアルタイムで三冠達成の瞬間を見ることができた初めての馬。それがリバティアイランドである。 昨日の秋華賞、直線ではイクイノックスやディープインパクトのよう

        中学生の時に最もやらかしたこと

          『死刑すべからく廃すべし』を読んだ

          最近読書ブームとまでは言わないけど、自分の中で本を読むことが習慣化されつつあり、これも大学の図書館で借りて読むことにした。 この本を知ったきっかけは明確には思い出せないが、たしか新聞に載っててそこで初めて目にした気がする。とにかくタイトルに惹かれた。 この本は、明治時代に教誨師として活動していた田中一雄という人の、死刑囚への教誨を通じた死刑に対する考え方とその背景、そしてその人生を紐解くような内容となっている。 ぼくは死刑囚との教誨での記録等に興味があったのだが、それは

          『死刑すべからく廃すべし』を読んだ

          『〆太よ』を読んだ

          原田宗典先生の『〆太よ』を読んだ。 母が原田さんのエッセイをたくさん所有しており、小学校の頃図書委員だったくせに全然本を読まないぼくは朝の読書の時間に母から借りてよく原田さんのエッセイを読んでいた。 ただ、基本的には外で読むことはおすすめできない。なぜなら笑いを堪えるのが大変だからだ。 ぼくもよく学校でニヤニヤしながら読んでいたため、友達に「何読んでんの?」と言われることもしばしばであった。 また中学校の頃、好きだった女の子にある一冊を貸し、「めっちゃおもしろかったよ

          『〆太よ』を読んだ

          バッティングセンターの思い出

          ぼくは野球経験者ではないのだが、野球は好きで小学生の頃からよく遊んでいた。 そこから派生してなのかバッティングセンターにもよく足を運んでいた。初めてはたしか小学校2~3年くらいであろうか、当時住んでいた家から車で10分くらいの場所に親父とふたりで行った記憶がある。 そこはマシンからボールが放り出されるのと連動してピッチャーが投げるフォームが横に映し出されるタイプの結構ちゃんとしたバッティングセンターだった。ぼくは初めてだったため一番球速が遅い70km/hのゲージを使用する

          バッティングセンターの思い出

          「嵐」の話

          きっかけは、ぼくが保育園に通っていた頃まで遡る。 そこにいた保育士の先生が嵐のファンで、その人にメンバーのことや楽曲のことなどを英才教育の如く叩き込まれ、物心がついたときには完全なるファンとして完成していた。派生し、母や妹もファンになった。 ファンでもあり、だがぼくの中では憧れでもあった。「俺も6人目の嵐に!」などと調子に乗ってジャニーズ事務所に履歴書など送っていようものなら人生最大の黒歴史となっていたところだがそこは当時から身の程は最低限弁えていたのか、そのような行動に

          「嵐」の話

          探し物の話

          人間誰しも、何かしらものを失くす経験というのは一度や二度では済まないだろう。 ぼくももちろん例に漏れず、よくものを失くす。 最近はかなり減ったが、中学高校の時は特にプリントやら提出物やらがとにかく多く、それに比例するようになくしものの数も多かった。 すぐに見つかるものであれば5分くらいで「なんだよお前、どこ行ってたんだよ!笑」くらいの程度で終わるのだが、これが長期戦になるとなかなか厄介である。 しかも大事なものこそ見つからない。成績に関わるような大事なものが失くなり、

          探し物の話

          ものすごく腹が立った話

          ぼくはいま大学4年生で、就職活動というものをとりあえずは終えた身である。 しかしこの就活というやつはなかなか厄介で、そして怒りを生み出すものなのである。 まず第一志望問題。これから書くぼくの怒りにも繋がるのだが、なぜどこに行ってもおたくが第一志望です!と言わなければならないのか。 正直雇う側は志望順位なんて二の次で、まともに働いてくれれば別に良くね?と就活をする側からしたら思うのだが。志望度でしか意欲的な姿勢を見せることができないことはないと思う。 そしてこの問題が原

          ものすごく腹が立った話

          自分だけが面白い話

          笑ってはいけない、あるいは笑うような空気ではないという状況の時ほど、笑いは込み上げてくるものである。 松本人志が編み出したあの名企画にもある通り、この状況には誰しも苦しめられた経験があるのではないか。 ぼく自身、基本的には日常生活の中で腹を抱えて大笑いするようなことは少ない方なのだが、自分でも理解し得ないところにツボがあり、周りが誰も笑ってないのに急に面白くなってしまい、それを堪えるのに悶え苦しむということがたまに起こる。 その一つの例として、ぼくが小学生の頃通っていた

          自分だけが面白い話

          負の連鎖が止まらない話

          ぼくは、中学校時代バスケットボール部に所属していた。 別にバスケが特別好きだったとか、ミニバス経験者で〜とかいうわけではない。単に入れる部活が野球かサッカーかバスケかの三択で、その中で一番マシだったのがバスケ部だったからである。 結局、2年生の秋に退部してしまうので実質1年半しかやっていなかったのだが、もしかしたら今までの人生で最も濃い時間だったかもしれない。 それくらい、良い思い出も悪い思い出も(大半が後者だが)濃厚に詰まっている。なのでここの思い出を書くとキリがない

          負の連鎖が止まらない話

          数字と割合の話

          ぼくはいま大学4年生で、一応、一般的には就職活動をする時期である。 例に漏れずぼくも就活生としての活動をしていたわけであるが、その中で気になったことがある。 それは、男女比率である。 昨今の情勢を踏まえ、男女平等的なところを意識して高らかに謳っているのだろうが、これに対してとても疑問に思うのである。 たしかに、男女平等の観点から言うと、例えば男女比5:5だと平等だよね、となる。 しかし、それは本当に男女平等なのか? 本来のそこへの応募人数が、そもそも男性が多かった

          数字と割合の話

          なんでこの名前にしたんだっけ

          とりあえずまた始めてみた。 前に書いていたこともあったけど、なんでtwilightって名前にしたのかも思い出せないくらい昔である。それにしてもダサい名前。 twilightがちょっとカッコイイと思ってた自分が最高にダサい。 自分が書いた文章を時間を置いて客観的にもう一度読むとめちゃくちゃ気持ち悪くて、全部消した。 じゃあ向いてねえよって自分でも思うけど急に何か書きたくなる気持ちになるからしょうがないよね。 また同じように時間が経って自分の文章が気持ち悪く感じて消すんだ

          なんでこの名前にしたんだっけ