見出し画像

面白くて不思議な言論空間noteの使い方

 最近、少し自分の記事を読んでもらえることが増えてきて嬉しい。「いいね」ってリアクションを考えた人はとても素晴らしい言葉を使っていると思う。「いいね」ってシンプルに気持ちが伝わるよね。

 僕は文章・文字に関わる仕事をしている。他の人よりも幼い頃から慣れ親しんでいたものを大学で学び、大学院でさらに専門性を深めて、今に至るわけです。そんな中、いつもどこかで誰かに読んでもらいたいって気持ちがあった。恥ずかしいなって感情もあるんだけど、それでもどこかで読んでほしい。なんでかなって考えてみると、自分が他の人の文章を読んで感動しているのと同様なことを誰かに与えられうる可能性もあるんじゃないかなっていう意欲が根底にあったから。あったというか、自分が幼い頃から色々な文章を読んでいくうちに芽生えていったんでしょう。

 とにかく、どっかで「自分が作った文章を誰かに読んでもらいたい」って思ってたんです。ただ、共感とか評価がしてほしいために書くのはなんか違うかなって。直接的に求めているわけではないんです。「いいね」はめっちゃ嬉しい。けど、読んでくれていることが嬉しいから。「私はこう思った」「僕はこう思ったよ」って人がいることが嬉しいんだろうね。

 高校の頃にモバゲーを始めて、少ない文字数の紹介文に少し自分を表現するようになった。大学になってmixiの日記で、身内にだけど自分なりの表現を模索するようになった。そして、facebookとTwitterで文字を適当且つ自由に綴るようになった。でもあくまで自分と関わりのある人に限定で。

 社会人になってしばらく経って、文字にすることに少し飽きかけていた。でもどこかで表現出来たら面白いなって考えていた。

 そんな時、後輩からnoteの存在を知らされた。読んでみたら素直に面白かった。皆自由に、自分の思想を言葉にしている、こんな自由で楽しい言論空間があったんだ。って。

 名前はnote(ノート)。かっこいいし、的を射ている。それから、週に一回は投稿しようって決めてしばらく経った。今でもそれは続いている。

 僕の投稿は脈絡が無い、と思っている。趣味と言っていいのか分からないけど、好きなことがたくさんあって、後は自分が生きていく意味とか仕事とか家族とか、大事なこともある。

 それらが頭に浮かんだ時、僕はnoteで文字にして残しそれは形として残る。誰かがどこかで読んでくれる可能性があるっていう、それだけで幸せ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?