猫になりたい

 「猫になりたいってさ、たぶんエロいんだよ」

 「なんで?どこがエロいの?」

 「さあ、どこでしょうか?」

 「えー、教えてよ、ケチだね。」

 何の気ない会話。大学の頃、スピッツが共通の趣味だった気になる女の子にこんな話をしてみた。「猫になりたい」がエロいだなんて、誰が思うんだろうか。自分なりにちょっとカッコつけた19歳の僕。

 スピッツ。草野マサムネさん。いつまでも語り継がれていくロックと甘酸っぱい青春。輝きと、青臭さと、苦さをもって、僕たちはスピッツを受け入れた。いや、スピッツが僕たちを受け入れた。

 「チェリー」「空も飛べるはず」「青い車」。スピッツの音楽は、「君」の物語だった。そこには、いつだって「君」がいた。そのことを意識しだしたのは、大学生になってから。「君を忘れない」のも、「君と出会った奇跡」も、「君の青い車」も、「君」という存在を「僕」が意識して初めて実感できる。そんな君と初めて出会った。

 最初は、大学の入学式。地方出身の僕は、肩肘張って周りに必死で合わせようとしていた。どこかで警戒して周りを見ていたときに、「君」はどこまでも飾らなくて自然体だった。

 同じクラスで出席番号も続きだったから、何かと触れ合う機会があった。ノートも借りた。代返もした。大学生は高校よりも自由な世界で、色んなことを話して僕は君に惹かれていった。音楽もその一つで、意外とロックに詳しい君との会話はとても楽しかったんだ。みんなで誰かんちでお酒飲んで夜も更けた後、酔い覚ましにするいろいろな音楽の話。感じ方は違ったり同じだったりして、退屈しなかった。いつの間にか、僕は君を好きになっていた。

 君は誰からも好かれる人で、気付けば彼氏が出来ていた。もちろん、僕も手をこまねいて見ていたわけではなくて、あれこれと口実を作っては、デートに誘った。確か3回は告白したけど、全部玉砕。僕の思いとは裏腹に、君はいつもどこか別の所を見ながら、時々こっちにやってきては気持ちをくすぐるような、そんな女の子。

 僕に彼女が出来た後も、気のおけない関係は緩やかに続いていった。さすがに2人でどこかに行くことは無くなったけど、みんなで集まって飲むときはどっかのタイミングで話す機会があった。その時は、決まって音楽の話をした。椎名林檎、東京事変、フジファブリック、銀杏BOYZ、木村カエラ。その時々に響いたロックをお互いに語る、その時間は単純に楽しかった。誰かと思いを共有したり、知らないものを知れることって、実はあんまりに多くない。そんな貴重な時間。

 ある時、二次会のカラオケでスピッツの話になった。確かきっかけは、誰かが唄った「運命の人」。「アイニージュー」がカタカナで流れて、スピッツって面白いよねって。もちろん有名な曲も好き。でも僕が特に好きだったのは、アルバムだけとかカップリングにある、ちょっと肩肘張ったような曲たち。「ホリデイ」「メモリーズ」「おっぱい」。少し癖があって、ひねくれてる。でも、そこに自然と惹かれた。「空も飛べるはず」ではなくて、原曲の「めざめ」が好きなんだ。

 「猫になりたい」もそんなひねくれモノの1人。スピッツで一番好きな曲は何かっていう話になって、ほんとに偶然「猫になりたい」が一致した。どこが好きなのかという話をお互いに言い合ったんだけど、なんか印象は違ってて噛み合わなくて、逆におもしろかった。

 君は柔らかい感じが好きなんだって。僕は逆に、草野さんの皮肉が効いてるところが好きだった。

 「どこが皮肉なの」「君は物事を斜に構えて見すぎだよ」って言われた。確かにそうかもしれない。何か理由をつけては、理屈っぽく、客観的に物事を見る癖を指摘された。そんな話をしてたら、僕の唄う番になった。

「とりあえず、猫になりたい唄うよ。話はその後で。」

 灯りを消したまま 話を続けたら

 ガラスの向こう側で 星がひとつ消えた

 からまわりしながら 通りを駆け抜けて

 砕けるその時は 君の名前だけ呼ぶよ

 広すぎる霊園のそばの このアパートは薄ぐもり

 暖かい幻を見てた

 いつもは2オクターブ下げて唄うんだけど、なんかむきになって原曲のキーで入れた。草野さんの歌声をそのまま唄える男子なんて、ほとんどいない。Bメロまで唄っって、高音が苦しいけど、いつもよりなぜだか歌詞が響く。この唄は、どこかでうまくいかない男の人と女の人の話。灯りは消えたままで、星は消えてしまう。からまわりして、砕けて君の名前を呼んでも、それは幻。

 なんて悲しい。唄っていたら、霊園のそばのアパートの情景が浮かんできた。

 「猫になりたい」というサビに入るとき、君が目くばせして一緒に唄ってくれた。共有は、突然に起こるけど、とても心地いい瞬間なんだ。唄い終わった後、僕は彼女に、冒頭の言葉を言った。

 エロいっていう性的なものを感じさせるのは、僕の中では「消えないように傷つけてあげるよ」っていう最後の一文だ。傷つけるという表現にどこか乱暴でサデスティックなものを感じたから。そう伝えると彼女は言った。

 「へー。君は難しいこと考えるねえ!」「でも、なんか分かる気がする。」「私も傷つけあうような関係なんだって思ったよ。」

 嬉しかった。誰かにわかってもらおうとは特に思わない僕の気持ちを、ちょっとだけでもわかってくれたこと。カッコつけたけど、それはそのまま僕の気持ちだったから。

 「でしょ?」なんてまたカッコつけて、その日の話は終わった。明け方、解散して、君を送って家に帰って一人で聴いたら、星がひとつ消えた気がした。

 その後も彼女とは時々会っては、音楽の話をした。猫って何だろう。彼女との関係?僕にとっての猫、彼女にとっての傷。そんな風になりたかった。

 そんな彼女も結婚して、今は誰かと幸せに暮らしている。僕は相変わらず一人でスピッツを聴いている。

 

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