コトバと言葉

 コトバと言葉という内容の評論を読んだ。コトバというカタカナの意味は、僕たちの胸の中にあるまだ言語化していない情念のようなもの、らしい、なるほどね。言語化していないものって確かにあるよなーって考えた。

 その表出が言語で表されたのが言葉。読み進めると、「決して満足するものではない」「上手く書こうとするものではない」「書けない時には書けなくてよい」「そもそも書く行為に至ろうとすること自体が、コトバが胸の内にある」といった記述があって、なるほどと思った。筆者自身も書きたいけどうまく表現できずに四苦八苦して書いたんだろうなと想像できた。

 私たちにとって言葉とは何か。常に頭の中から離れることがないもの。言葉は文字によって形成される。コトバが頭の中をひしめいているというイメージはモヤモヤしたものであると同時に、これまでの自身の経験から文字を組み立て、コトバを言葉に組み立てようとしている状態であると理解した。

 考えてみると、頭の中にたくさん文字が浮かんでは消えている。おもしろい。

 上手く書こうとすると失敗する。まさにその通り。なぜそうなるのか、と考えた。言葉による表現は数学の世界と違い、完璧な理論ではない。1+1=2は変えられない事実(まあこれを考えたのも人間だから厳密には言えないかもしれないけども)。正解は一つしかない。理論の世界。

 しかし、言葉に正解はない。どうしたって正しいものなんてあるわけがない。感情なんだから。こんにちは、も、おはよう、も、いい天気だね、もその場その場によって異なる意味を帯びてくる。全く正しい表現なんてない。

 コトバを言葉にすることはつまり人間の考え、思考、意志。理解できる/できないは、正しい/正しくないではない。そのお互いの違いを知り、認めたり、認められなかったりすることを知る。絶対に正解がありえないことを理解していながら、言葉にする。これが僕ら人間が互いに触れ合うたった一つの手段。そうやって傷つけあったり支え合ったりする。世の中にはたくさんのコトバと言葉が溢れているんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?