見出し画像

ころころ心




ホームギリギリで空き缶が転がってて、それを拾ってゴミ箱に捨てた。

ホームギリギリでころころしてる危険要素をそのままにしておくほど急いでないし、行く先にゴミ箱があるから、ついでに捨てて置こうくらいの気持ち。急いでいたら、もしくはゴミ箱があるかどうか分からなかったら、無視して通り過ぎていた。


断っておかなければならないのは、こんなことをしていると、いい人ね、優しいねって言われるを素直に受け止められないというか、私は決して「いい人」ではない。ひねくれていると自分でも思うけど、いい人って思われると、皮肉な話、世の中って生き辛くなるから、生存術的にあまりいい人だとは思われたくない。けど人に「よく思われないと」、それはそれで生き辛い。

誰かがやらなければならないことって、誰かがやらなければならないんだよね。そういう単純な話。もちろん毎回必ず自分がその役に回るわけではないし、血も涙もないようなことをしたりもする。

それでも、柔らかい部分が確かに私の中に存在していることはわかる。そこはとても傷つきやすいから、何重にも、何重にもぐるぐる巻きにして守ろうとしているんだけど、あまりうまくいかないものなのね。

ホームギリギリのところで見向きもされずに、ころころしてるんだよ。


回り回ってで構わないから、自分が生きているうちは、誰かの優しさになれたらいいなって。ほんの少しだけ思っている。誰かって誰でも良いわけでもないけど、苦手、嫌いじゃなければわりと誰でも良かったりする。むしろ見ず知らずの他人の方が良かったりする。だって生きていくには大変な世の中だから、「それでも」って思えることがひとつ、ふたつあれば、なんとかやって行けるかなって。自分も、他人も。

出来ることは、ほんのほんの、ちっぽけなことだけ。それが精一杯。

そんな心。


でも、そんな「心」は生きていくには不必要で、むしろ君の障害になるって、そんなもの捨てなさいって、人に言われるし、ある意味自分が一番そう思っている。

それでも、どうにかこの心を持ったまま生きていけないかな。

いつか、この心を捨てる日が来てしまったら、どうやって生きていこう。あの時のあの子のように、捨てなさいって言われた子犬を抱え、声にならない声で泣きながら、雪がしんしんと降る中をあてもなく彷徨うのだろうか。もうどこにも行けない気がしていた。

難しいかもしれないけど、なんなら自分が一番諦めたがっているけど、それでも、


ずっとその笑顔でいてね
他人がやりたがらないことを進んでやれるのすごいよ
気付けることが素敵
你要成
你自己(あなたはあなた自身にならなくちゃ)


と、言ってくれる人がいた。その人たちのためにも、私はこの「心」を抱えていたい。抱えたまま生きていたい。

あの時、知らないおばさんが、犬を抱えているから行ってきなさい、って声をかけてくれた。数年後、犬が優しそうな飼い主と一緒に道端に座っているのを見かけた。なかなか相性が良さそうなバディだった。あの子は幸せに暮らしている、それだけで十分。私がいようがいまいが、そんなのただの誤差でしかない。あの子が幸せなら、それでいいんだ。


友人が昔、私が牡羊座ということで、お牡羊座の君に、と言って送ってきた曲。これを書いている時に、無性に聴きたくなったんだ。
ちょっと訳してみました。



2023.12.20   星期三   晴れ(一日中羊の毛の雲が空を流れていた)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?