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「うーん」をいっぱい



ここでたくさんの方の書き物を読んでいると、なんだ、自分だけじゃなかったんだ、こう思うの、という風に寂しさが少し紛れる。その時の心が少し軽くなる。

もちろん、「自分だけじゃない」なんてことは理解している。けど、確かめようのないことって、身を預けるには些か不安になってしまう。そういう意味では、ここでは安心して横になれる。


「理解」と「受け入れる」と「心から同意する」のって結構違う。自分の中での話だが。
理解、つまり意味とかそういったものを頭の中に取り入れること。受け入れる、つまりそれらが頭の中で咀嚼され、着地できること。同意、つまり心に嘘をつくことなくそれに頷けること。「受け入れる」はどちらかというと、「理解」と「同意」両方のグレーゾーンでもある。


例えば昔、男友達が、女性が好きな女友達のことを、「気持ち悪い」なんて言っていたことがあって、
うん、君の言うことは理解できる。うん、そういう考えもあるよねって受け入れられる。でも、その考えに同意はできない。

ちなみに、彼は悪気があって言っているわけではないんだ。ほんとうに。強いて言うなら、あまり深く考えずに言っているだけ。悪気ありきでそんなことを言う奴とはお友達にはなれないからね。でも悪気があろうがなかろうが、そんな意見に、口が裂けようが、頭が取れようが、同意しない。


自分の場合、「受け入れる」という過程があることによって、辛いなと思うことも結構ある。基本的には、「理解」・「同意」のみで、うん/ううん、を考えられた方が良いと思う。けど、どうしても、他人に寄り添おうとして、受け入れようとしてしまう。要するに、人は「自分」を曲げたりしない方がいいのだが、受け入れることによって、一瞬でも「自分」がぐらついてしまうということ。


考えても仕方のないことを、うん/ううん、で片づけられなくて、うーん、と考え込んでしまう。下手の考え休むに似たり、なんて言われてしまえばもうぐうの音も出ない。

でも、なんだ、「うーん」って思っている人いっぱいいるじゃん!とここで救われている気がする。

みんなの書き物を読んでいると、自分の中でいつかの日にぐるぐるしていたような、そんなことを、人それぞれに折り合いをつけて生きているのを、参考したりできないけど、なんせ自分は自分の解決法、生き方があるから、ただそれでも、
泥濘を、嵐の中を、森を抜けた先で、「どうも、はじめまして」と挨拶を交わして、「じゃ、またどこかで」と別れて、各々に歩み始められるような優しさがあって、
私はとても好き。それだけ。


小説に浸るのも良いし、人と話すのも良い、ここで横になるのもなかなか良い。

はじめまして、ありがとう。じゃ、また。


2023.12.14   星期四   晴れ


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