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ほろにが?




今日お湯を沸かしているときに、ふとコップの隣に置いたインスタントコーヒーのスティックに書かれた「ほろにが」が目に留まった。

カフェラテのほろにがなので、普通のブラックコーヒー好きには多分全く苦くない。母は私が飲むカフェラテの全てを「甘ったるい」と嗤い、年がら年中ブラックコーヒーを毎日欠かさず飲んでいるのである。優雅に。

塾でバイトをしていたとき、テスト期間中はブラックコーヒーをよく飲むと言う生徒に、「苦くない?」と聞いたら、意外とすぐに慣れたよと、けろっとしていた。「先生もやっぱりブラックとか飲むんですか」と聞かれ、「いや、苦いのはちょっと無理なんだよね。コーラとかが好き」と言ったら、「あー、そんな感じするかも」と笑われた。そんなこどもっぽい雰囲気をしていたのだろうかと謎に反省した。そして妙に負けた気がした。

私はブラックどころか、少しでも苦いと嫌な人なんだ。いいか、飲めないのではないぞ、あんまり好きじゃないだけだよ。

一応ブラックコーヒーを飲もうと思えば飲めるからね。全身が苦さに耐えきれず打ち震えるけど。

母が言うには、自分も若いころは全然飲めなかったけど、歳をとるにつれ、そのうち飲めるようになったし、その頃には逆に甘めなのが苦手になったらしい。正直な話、いずれそうなるだろうとは全く思えなかった。

なんせカフェラテをいくら飲んでも、やっぱり砂糖は2スティック入れるが美味しいと感じる。周りのカフェラテ愛好者にも流石に甘いと言われる。いうて自分のカフェラテ歴もまだ3,4年という、子供用プール並みの浅さなのだが。好みとは別に、そのうち糖質を気にし始めて、砂糖を減らし出すのだろうか。好みはやはり甘めなのを譲る気はないがな。今は。

とまあ、「ほろにが」も自分の意思で購入したとは言え、苦いのが嫌な自分が「ほろにが」を進んで飲めているのを、いつの間に成長?変化?したのだろうと、少し感心している。

人は、何かきっかけがあって変わる場合もあるけど、大抵の場合においては、知らず知らずのうちに変わっていったのだろう。はっきりとした痛覚を伴う変化だけが成長とは限らないとでも言うべきか。確固たる意識を持って変化しようとしたことが必ずしも良い方向に繋がることもなかったり。いやいや言っていても、いつの間にか変わっていたり、仕方なく変わらなければならなかったり、人生って好き嫌いじゃどうにもならない。変わらずにいる方がよっぽど難しい。悔やんでも悔やまなくてもどのみち後の祭りだ。


とは言っても、ほろにがが飲めるのは、そのお供としてチョコ入りクロワッサンを食べるからだけどね。変わったようでいて、実際には変わってないこともあるものよ。見た目に騙されるんじゃないぞ。


2024.1.11   星期四   曇り(むちゃ寒い)

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