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研究も生活もなるべく妥協したくない

California State University Northridge
鵜山太智

略歴
2017.4-2019.3 日本学術振興会 特別研究員DC2 (東京大学)
2018.4-2018.7 日本学術振興会 海外挑戦プログラム (ハワイ大学ヒロ校)
2019.4-2021.3 日本学術振興会 海外特別研究員 (Infrared Processing and Analysis Center, California Institute of Technology / NASA Exoplanet Science Institute)
2021.4-2023.11 日本学術振興会 特別研究員PD (国立天文台)
2021.4-2023.11 California Institute of Technology 訪問研究員
2023.11-現在 California State University Northridge, Postdoctoral Research Fellow


今の職業に就くと決めた時期は?

 実のところ、研究を職にしようとはあまり考えないまま今に至っています。興味のあることをやり続けていたら、いつの間にか学生の身分が終わって研究者だったという感じですね。ただ研究をやりたいと思ったきっかけというのは思い出してみればいくつかありました。
 僕は東京大学理科一類に入学したんですが、東大は前期と後期でカリキュラム、専攻が別れていて学部2年のタイミングで進学振り分け、いわゆる進振りというものがあります。大学入学した直後は受験勉強からの開放感で全く勉強する気が起きていなかったのですが、とある先輩がせっかく東大入ったのに単位を楽に取って卒業・就職を目指し、あとは楽しく遊んでゆるゆる過ごしてるだけではもったいない、という話を聞いたんですよね。真面目な話している時ではなくぽろっと一言口にされただけだったんですが、僕には結構影響があったみたいで進振りが近づいたところでちゃんと進路考えようと思い立ちました。東大だからこそ学べる分野、かつ自分の興味のあるところとして宇宙がありました。そこで理学部天文学科へと進むことにしたんです。ただいくら東大とはいえ学部はほとんど授業といくつかの実習だけで、授業だけだと面白みがあんまり分かりませんでした。もっと「研究」をやってみたいと思うようになりました。理学部の周囲の人はほとんど就職せずに大学院へ進むのが一般的だったというのもありますが、気づけば学部を終えたら就職というのは早々に自分の中の選択肢から外していたんです。そこが一つ目の転機だったと思います。
 修士課程では現在も進めている研究テーマの系外惑星の研究室を選びました。他の天文学の対象(銀河など)に比べて初めて発見されたのが1995年と歴史が浅く、新たな惑星を発見できるチャンスが大いにあるかなと思ったのが一つの理由です。もう一つ大きな理由はハワイに行ってすばる望遠鏡使って観測してみたかったという邪な理由もあります(笑)。学部の頃から比べ少しずつ実践的なデータ解析に関われるようになり、修士1年の後半からは狙い通りすばる望遠鏡の観測に帯同するためのハワイ渡航が増えました。初めてマウナケア山頂を訪れた時は本当に感動しましたね、基本的に夜は観測者以外山頂に滞在が許されていない(今はわからないんですが、コロナ前は観光客も日中は山頂に行けました)ので、休憩時間に望遠鏡の外に出てマウナケアの夜空を独り占めできた時の事は今でも覚えています。ただ研究しているという実感は得られたものの、僕の分野というのは狙っているターゲットの検出確率がかなり低いんです。修士1年が終わる頃には50天体ほどの解析をしていたんですが、欲しい結果(新しい惑星)は一つも得られていませんでした。これじゃ修士の間では新しい惑星を見つけるなんて到底無理だな、物足りないなと思って、修士で研究を終えるなんて全く考えないまま博士過程に進みました。博士課程を通してデータ解析のスキルや国際的なコネクションも増えていきましたが、やはり宇宙を研究・観測対象にしているのもあり、簡単には新しい惑星というのは見つけられないものです。
 興味の限り大学院で研究していたものの、自分の研究結果に満足しなかったので今も研究職を続けているんだと思います。

現職に至るまでの経緯は? 

 大学院の時お世話になった田村教授(東京大学理学系研究科天文学専攻)は当時すばる望遠鏡における大規模サーベイプログラムSEEDSというのを進めておりました。このサーベイを通じて国際的な共同研究者との繋がりを増やすと共に、もっとすばる望遠鏡に関わってみたいと思うようになり、当時日本学術振興会が新たに開設した海外挑戦プログラムという制度を利用して、すばる望遠鏡の装置開発に携わるハワイ大学ヒロ校に4ヶ月ほど滞在しました。
 ただこの時のハワイ島ヒロでの生活がかなりストイックなものになってしまいました。というのも当時東京に住んでいた頃はペーパードライバーだったのと、数ヶ月単位のレンタカー代が非常に高く海外挑戦プログラムの予算だけでは足が出ることになったので、すばる望遠鏡オフィスにあった自転車をレンタルしていたんです。ただ自転車は長い間使われておらずギアもきちんと動かない(さらにレンタルして1週間で盗難に遭いました)、また宿をとっていたところからハワイ大学やすばる望遠鏡のオフィスは自転車では結構厳しい勾配の上り坂が2-3kmほど延々と続いていました。更にヒロというのはホノルルなどと違って年中雨が多いエリアで、カッパを着ながら毎日自転車を漕いでオフィスに向かっていました。もうこれだけで苦行です。虫との戦いも数多くありましたし、喋る人も少ないし遊びに行くところもほとんどない。滞在開始から1ヶ月経つ前に後悔していました。4ヶ月のヒロ滞在中に一度ヨーロッパへ移動し研究会に参加していたのですが、その間は本当に天国でした。最終的に日本に帰った時は、渡航前に比べて10kgくらい痩せていました(ヒロ渡航前に飲み食いしまくって体重が普段より増加していたのもあります)。なんだかんだ研究は進みまして、この滞在を機にすばる望遠鏡の新たな観測装置(VAMPIRES)の解析パイプラインの開発に取り掛かり、現在もその装置チームとのコラボレーションは続いております。ただ博士取得後またヒロでの生活を一度やりたいかと言うとそうは思えなくなっていました。
 そのためポスドクはどうしても研究だけでなく、生活的な観点も念頭に置いて探しました。ポスドク1年目の2019年は最新の宇宙望遠鏡ジェームズウェッブ(JWST)が打ち上げ予定だったので(※実際は3年遅れています、下記参照)、宇宙望遠鏡に携われる研究者の元で何かできないかと探していたところ、指導教員の田村教授からNASAジェット推進研究所(JPL)の研究者(Dr. Charles Beichman)を紹介していただきました。場所もロサンゼルス近郊のパサデナと天気は文句なし、研究としてもNASA JPLだけでなく、カリフォルニア工科大学の研究者ともさまざまなコラボレーションが期待できる最高の場所だと思い、海外学振を上記の内容で応募したところ運良く採用されまして、そこから現在までロサンゼルスエリアでポスドクを続けています(※学振期間中ビザの受け入れは全てカリフォルニア工科大学だったこと等もあり、所属もカリフォルニア工科大学になっています)。ただポスドク1年目終わりに差し掛かる頃にコロナウイルスによるパンデミックが始まり、2年目の時点で既に当初の計画からは狂いが生じていました。コロナで研究以外にすることがなくなったので(笑)かなり順調に論文出版は進みましたが、JWSTも結局打ち上げられたのは2021年末で観測開始が2022年と、一番やりたかった事に関われないままパサデナを離れるのは不完全燃焼だったので、なんとかJWSTに繋げる方法が無いかと模索していました。
 またパサデナには次世代超大型望遠鏡Thirty Meter Telescope (TMT)のオフィスもあり、日本も国立天文台を通じて協力関係にあります。せっかくパサデナにいる機会なので、JWSTだけに限らずTMTも関われるようにしようと思い、海外学振の後は国立天文台に学振PDとして籍を置きつつも、JWSTなどの観測計画をしつつTMTとの交流を見据えてパサデナで滞在を続けていました。本来学振PDの海外滞在期間は最大2年までなのですが、国立天文台すばる望遠鏡やTMTオフィス(国立天文台の分室が入っています)など、日本国外の日本の研究施設はこの制限に含まれないというのもパサデナで長く研究を続けられた大きな要因です。そういった縁もあり、2023年には日本人研究者に向けたTMTワークショップを代表者として開催するに至りました。
 話が長くなりましたが、ようやく今のポジションの話です。2022年くらいから次のポジションを探して色々アプリケーションは出していたのですが、最終的に学振PDが終わるギリギリ前に次のポジションが見つかりました。JWST cycle 1のデータを解析し、論文や研究会で発表を主導するポスドクポジションです。運良くデータPIの人がパサデナから引っ越さなくて良い距離(ノースリッジ)の大学で働いており、かつこのプロジェクトのCoIの半数が、僕がパサデナに来てから知り合ったJPLやカリフォルニア工科大学の研究者だったのです。個人的にも学振最終年度で次探さないといけない、渡りに船という感じで応募したところ、PIの人にとっても僕はperfect candidateと言われ、最終面接のタイミングではもう採用後の話になっていました。そして先月よりJWSTのデータ解析を進めています。2018年に海外学振を応募した時から考えていたJWSTの観測にやっと直接的に、かつ主導できる機会がやってきました。

就職に成功した秘訣は?

 一言で言うと僕の分野(系外惑星の観測的研究)は日本より他の国の方が強いんです。もちろん日本でも関わりのあるポジションがあれば出していましたが、正直日本より他の国を見る方が関わりのあるポジションの公募が多いんです。
 また学振という機会を利用してカリフォルニア工科大学、JPLをはじめ、アメリカの研究者とのコネクションを増やせたというのも一つあるかと思います。もちろん様々な研究経験を積めたのも大きな点ですが、今のポジションについてはパサデナで築いたコネクションが少なからずプラスに働いたと思えます。公募の出たタイミングにまだパサデナに残っていた、という点に関しても運がありました。
 ただ逆に言えば今回のポジション以外通っていないんです。論文数が増えるにつれ書類をパスして面接まで辿り着くことはありましたが、学振以外で採用されたのはこれが最初です。しかも今の肩書きも財源に限りのある任期付きのポスドクです。日本だと天文分野は10年くらいポスドクなんて話を最近聞きますし、まだ就職に成功したなんて全然思えていないので、これからもっと頑張ります。

他の進路と比べて迷ったりしましたか?

 学部生の頃に将来どうするか一度迷って以来、あんまり深く考えていません。まぁなるようになるだろうと。
 ただ自分一人だったらいいんですが、結婚してからは不安定なポジションを転々とするくらいなら研究職を辞めて安定した生活を選ぶのも一つだなと常に頭の片隅に置くようにはなりました。

今の生活に満足?

 今のロサンゼルスでの生活は気に入っていますし楽しんではいますが、家賃が高すぎるのでルームシェアなど生活的に色々と工夫せざるを得ない状況です、そのため満足はしていません。研究のためなら生活を捨てるみたいな考え方は僕は全く賛同できないですし(ヒロで懲りました)、研究しながらも高い生活水準ができるように目指しています。家族のことも考える必要があるので、何かをどこかで妥協する必要はあるかもしれませんが、目指すところから諦める気はないです。
 ただいつかロサンゼルスを離れないといけなくなるかもしれないと思うと、この快適な気候と大谷や山本の所属するドジャースの試合を気軽に観に行ける立地を手放すのが惜しいです(笑)。

生きがいや夢は?

 研究者として言うなら「第二の地球の発見」ですかね。僕は真理の探求というよりも観測を通して宇宙の宝探ししているつもりで研究を進めています。せっかく狙うなら夢のあるもの、人類にとっての大きな謎に取り組んでみたいです。まだ現状の望遠鏡、観測装置でこのトピックの具体的な議論はできないんですが、10-20年後にはある程度第二の地球探査が進んでいる予定です。そのくらいなら僕はまだ定年せずにバリバリ研究できているだろうと思うので、現役中に見つかって欲しいところです。あわよくば最初の発見に僕がちょっとでも関われていれたらもっと良いですね(笑)。

若者へのメッセージ

あまり大それたことを言えるような立場でもないし経験もそこまでないのですが、個人的にアメリカに来てからも大事にしていたのは日本とのコネクションです。日本にあったもの全て投げ捨てて海外に挑戦するのも聞こえは良いかと思いますが、万一うまくいかなかった時、日本に帰ってもやり直しすら効かないというのはもったいないです。日本以外の国で国籍や永住権があればその国で何か違うことができるかもしれないですが、ただただビザを持っているだけだと扱いはどこまでいっても外国人です。そういう時にセーフティネットとなる場所というのは大事にしておいた方が良いと思います。またコロナもあって色々とオンラインだったので、日本に帰らずとも学会発表できたりしたのは結果的に助かりました。
 往々にして留学や海外での挑戦の成功体験には生存者バイアスがあると思っています。僕もアメリカに来てからのトラブルについてはここではほとんど書いていません(笑)。日本側の人からしたら保険かよと言われるかもしれないですが、何かあった時に帰れるところというのは大事にしてください。



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