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連邦政府研究機関

東北大学特任教授・感染専門家
神谷 英美子

大学教員や連邦職員になったきっかけは?

 日本の大学の教員になる事に興味を持ったのは、学生の頃から日本の大学での講演の機会をいただいていて、生徒さん達にお話をしたり、他の教員や研究者と交流を持つのが楽しかったからです。CDCで働こうと決めたのは、仕事のオファーをいただいた2013年です。昔から、国際的に活躍できる医療者になりたいという、漠然とした思いはありました。小学生の時に、テレビで飢餓からの腹水でお腹が膨れて手足が棒のように細く、自分と同じ年頃のアフリカのエイズ感染者の子供たちを見て、「お腹がぱんぱんなのに、なんでお腹が減っているの?」「お腹が減ったらエイズっていうのになっちゃうの?」って、当時子供の私には分からない事だらけで、興味を持ったのが始まりです。CDCの名前を初めて耳にしたのは、中学生の時に観た映画「アウトブレイク」です。当時は、実在するものだとは思わなかったですし、CDCで働きたいという気持ちも湧かなかったです。ただ、凄い正義感が強い勇気のある人たちで、命懸けの怖い仕事だなって、衝撃を受けました。学生時代にNGOを通してブラジルのスラム街で医療に携わる機会があり、「やっと、苦しんでいる人を助けられる!」って意気込んで張り切って行ったら、小さな組織と限られた資金での無気力さと限界を感じて、「これは私が思い続けてきた事ではない」「こんなはずじゃなかって」と落ち込んで壁に当たりました。限られた期間に目の前の患者一人一人を診るのではなくて、持続可能で効率的・効果的な医療システムを作り上げる方法はないのか。もっと医療制度の根本的な部分を変える事を政府レベルに助言できる仕事の方が、私がしたい事だと思いました。そのころから、世界に影響力のあるアメリカの政府機関で働きたいと漠然でしたが考えていた気がします。

就職の秘訣は?

 これといった秘訣は無いですが、自分にその時にできることをがむしゃらにやって、少しずつ前進や後退しながら、チャンスがあればダメ元で飛び込んできたのが、就職につながったのかもしれません。就職してから、上司に「何で外国の国籍で英語も未熟、未だ卒業もしていない学生の私を選んだの?」と聞いた事があります。他の人たちは、映画のヒーローやニュースで取り上げられるような疫学者になりたいっていうのに、私だけが、診療ガイドラインの作成や科学的根拠に基づく医療政策の助言をしたり医療システムの根本的なところに携わりたいって、地味な仕事を熱く語っていて、そんな(変な)人が他に居なかったからって言ってました。当時のオバマ政権が掲げる有色人種への平等な医療という点での意見を問われた時も、黒人はよく取り上げているのに、同じ有色人種のアジア人への研究や配慮が欠けている、自分がアジア人への医療格差をCDCで研究をしたいって言うのも、皆と少しずれた視点からの意見で面白かったって。他の人より優れていなくても、他の人より変わっていた点で選んでもらえたのではないでしょうか。

他の進路と比べて迷ったりしましたか?

 はい。国際的に活躍できる医療者になりたいという気持ちは小学生の時から変わりませんが、それはどうしたらなれるか分からなかったので、何度も進路に迷い、寄り道も沢山しました。

今の満足度、やりがい、夢は?

 今の職業に満足はしていません。小さなやりがいなら感じる時もあり、仕事はつまらなくはないです。夢は変わらず、国際的に活躍できる医療者になって、必要とする者に医療を届けることです。ただ、幼いころは、発展途上国に行って感染や他の病気で苦しんでいる人を直接診たいと思っていたのですが、現在は、持続可能な効率的で効果的な医療システムを構築させる為に、諸国が抱える医療問題を政府や厚生省などが根本的に見直すお手伝いに携わり、医療格差を少しでもなくす事に貢献したいです。もっとやりがいがある仕事をして満足できるように、未だ小学生からの夢を追っている途中です。


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