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知識を使って推論をする

まぁ、私たちは、日常的に、考える考えるといいますけれど、
考えるって、なんなんですか?? と考えたとき、つまりその、 

「知識を使って推論をする」

というようなことだと思うんですね。過去の記憶・読んだ本・習ったこと・慣れたこと・感じ・思い・想い・などもかな。いわば、知識というものは、内面に存在する有形無形のええもん、だと。

それらを基に、というのか、下地にして、推論ですわな。

でも、推論って?? 
推論=推理によってじぶんの論を構成すること。(新明解国語辞典)

ほな、推理って?? 
推理=既知の事実を基にして未知の事柄をおしはかること。(新明解国語辞典)

ははーん、なんかキタ。書いててピーンとキタような気がしています。国語辞典って、引くもんやねぇ。(そこですか!)

くだけた言い方が好きなもんで、そっちで言い表すと、見てきたものや聞いたこと、今まで憶えたぜんぶ(ブルーハーツ)を基に(ああじゃないか)(こうじゃないか)(それでもないか)(やっぱりこうじゃないか)という風にな思考の流れを「考える」というのだと考え至りました。

これは仮説ですが、考える力を伸ばしたいのならば、考えた先の結論よりも、考えている途中の過程を大事に思うべきなのかもしれないですね。結論とか結果とか、欲しいですし、コストパフォーマンスだなんだと、やかましい世の中ではありますが、考えるほうで生きたいですね、ぼくは。

きょうは日曜日。午後もよい日でありますように。ぼくら人間は、一日3万回「思う」そうです。「思う」の定義はまた今度にしたいと思います。


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