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文化のお値段

ペトラ遺跡から日本の味噌蔵まで…あなたはその体験にいくら払う?

あまりにも面白いことが起きたので、つい文章に残したくなりました。
私としては「ついに、そしてようやく」という感じの出来事で。


さて、突然ですが、あなたの家に誰かを招き入れて、入場料を設定するとしましょう。つまりあなたの普通の暮らし、普通に食べているもの、好きなものに囲まれた空間、ちょっとしたあなたとのお喋り、家族との団欒のひととき。そんな中によそから来た人が、あなたの普段の暮らしをぜひ体験してみたいので体験料を支払うのでお願いします、と言われたらあなたはいくらを設定しますか?

もちろん何か食べたり、時間を使うわけですからコストがかかります。普段のままで、と言われてもちょっと部屋を掃除したり、汚れたクッションカバーを買い替えたりするくらいしれしまうかもしれません。居心地よく過ごしてほしいと思ったら、あれこれ気も使うでしょう。
いったい幾らいただくのが適切なのでしょうか。

実はいま日本がツーリズムの課題で抱えている問題の一つがここにあります。

話は飛ぶようですが、世界一高い体験料と言われている観光体験はヨルダンにあるペトラ遺跡と言われています。

世界一高い世界遺産ペトラ遺跡の入場料は1万円越え

ペトラ遺跡といえば紀元前1200万年前の古代都市であり、地球上のミステリーであり謎に包まれたエドム人が中心となって栄えた交易都市。

ヨルダンという国は資源に乏しいと言われていますが、このような世界遺産級の文化によって観光立国として世界的に知られています。

一昨年に私も行き、五人家族ですので合計5万円。ディズニーランドより高いと揶揄する人もいますが、悠久の古代都市、しかも再現不可能なレベルの広大な古代都市そのものに迷い込む感覚は格別のもので、人生の中でも行ってよかった場所の1つになっています。

もちろんペトラに辿り着くまでに飛行機、滞在費、食事などさまざまかかります。しかしここもさすが観光立国ヨルダン。非常に上手くパッケージングされていて、宿泊先でも非常にフレキシブルに「砂漠の暮らし」が体験できるようになっていました。

私が個人的に嫌いなのは「オプション」という言葉なのですが、それは後からどんどん余計なもの、本来は予定していなかったものが付け足され結果割高になるようなイメージが勝手ながらあるのですが、ヨルダンのホテルでは、体験がオプションというよりインクルーズされて当たり前に提供されている状態で、それをホテルの人が子供の年齢や、希望によって上手に時間を決めたりカスタマイズしてくれたのでむしろお得感さえ感じたくらいです。

ペトラはさすがの迫力でしたが、世界的な文化遺産にも関わらずそこに暮らしている人がいる、というのが何よりの魅力でした。

土産物や、子供たちが道端で売るポットのミントティー、ラクダに乗って写真を撮る体験までみごとなほど観光化されているのですが、ちゃんとペトラの人として生きていて、ペトラ遺跡というエンターテイメント施設の従業員のキャストにはなっておらず、そこにはマニュアルもなく人間の生々しさ的なものが上手に残っていて、それがペトラ遺跡の楽しさを増していました。

観光客の歩きやすさを考えて舗装したり、リスクマネージメントしすぎて高いところに立ち入り禁止にしたり、手すりや注意書きをガチガチに張り巡らせる的な気遣いはあまりなく、結構ハードにみな足元を注意しながら登ったり、自由に広大な古代都市を楽しんでいました。

もちろん本物がゆえに遺跡の重要な部分には入れないのですが、それでも十分に自由に歩き回れ、色々な建造物に触れたりできて、私としては家族が5万円以上払ってでも得難い体験だったという感覚が残りました。


さて、ペトラ遺跡と普段の暮らしを比較するのもなんですが、「体験」に値付けをするというのは結構難しいものです。

体験の価値は、かかった時間でもコストでもなく、やはりその満足感に見合うかどうかだからです。満足感というのは個人の解釈です。

またペトラは世界的な遺産である種のお墨付きすが、あなたの普段の暮らしを誰かにお裾分けするような体験の場合は、自分が値付けをするのはほとんど不可能になるのではないでしょうか。多くの場合、お金なんかいただけるようなものでないと謙遜してしまうかもしれません。

しかし都会の普段の暮らしというのは便利さと引き換えに画一的になっているかもしれませんが、地方の暮らしというのはまだその土地ならではで、そこでしかできない文化的な価値に満ち溢れています。

・おばあちゃんと一緒に郷土料理をつくる体験
・昔ながらの手仕事の体験
・里山や里海で自然を感じながら遊ぶ体験

観光の分野ではこういった体験型商品が人気を集めています。

私は主な仕事として、食や建築などのさまざまな専門性を持つ外国人を連れて、まさにこういった日本の普通の、それでいて伝統知にあふれたほんものの暮らしを体験し提供するローカルな旅行型教育をしています。その地域の伝統知をプログラムにデザインしていくことや、プログラムをつなげて地域全体のストーリーをつくり、ツーリズムを振興していくようなことをやってきて、特に食文化、昨今でいうガストロノミーツーリズムの分野では、世界30ヵ国以上を相手に体験設計をかなり実践してきている方だと思います。

私が住むイタリアでは、ワインやチーズの生産者を訪れて、その畑や蔵を見せてもらい試飲や試食をするというガストロノミーツーリズムが盛んです。

有名なところはワインやチーズの販売よりも、ガストロノミーツーリズで得る収益の方が多いほど。ど田舎の小さな生産者でも、近隣のスイスやドイツはもちろん、アメリカやブラジル、アジア各国など多国籍な客層が毎日のように訪れています。
多くの場合2時間くらいたっぷりとかけて、専属のガイドがついて色々と説明してくれます。生産現場を訪れ、生産の裏側を知ることはその生産者のファンを世界中に作ることに間違いなく貢献しています。

そんな姿を見ていますから、日本でも必ずそういう時代が来るはずだと信じてやってきました。私がこの仕事をはじめた2014年の頃は日本は食のツーリズムというと食べ歩きか、観光農園でのフルーツ狩りくらいでしたが、昨今では体験の内容も非常に多様化してきました。

しかし、問題は値付けです。

職人と蕎麦打ち、醤油蔵訪問と試食、名物のXXを使った調理体験など一見おなじような体験がたくさん存在しています。

そのなかには生産者さんや職人さんが作業の手を止めて時間をかけてじっくりと一緒に対話してくれるような場所もあれば、学生バイトがマニュアルを読み上げて、壁の掲示物を見て回るようなミュージアムもあります。当然満足感は違います。

コロナが明けて、インバウンドツーリズムが盛んになっていることもあり、施設の改築やパンフレットなどは綺麗でどんどん整えられているのですが、最近感じる違和感の正体はなんでしょうか。

昨今のインバウンドブームの今、観光施設化することに国の予算もバンバン出ているそうで、大手も中小も、食の生産現場が観光ミュージアム化されていっています。それにつれて何か感動が薄れているような気がするのです。綺麗で見やすく整えられた展示に味気なさを感じてしまうのか、施設を案内してくれる人の熱量みたいなものが伝わらないからなのか。
もちろんたくさんのお客さんを呼び込むためには効率化も必要でしょう。そして観光収入が増えることは生産者さんにとっても良いことですし、お土産として商品も売れるかもしれません。

しかし私にとってはペトラ遺跡だった場所がいつのまにかディズニーランドのペトラワールドになっているくらいの衝撃ともったいなさを感じるのです。

いまやだいたい日本中どこでも「日本酒の飲み比べ体験」をやっており、大体が数種類のお酒を並べて説明やパンフレットを眺めながら楽しめるようになっており、英語が上手なガイドさんもいます。それ自体は否定しませんが、場所が変われど、酒が変われど、体験の設計に大差がないことを感じます。

しかしそれ以上にないのが体験の「お値段」の多様性です。

ほとんどの場合が2時間程度で数千円という感じです。週末に家族連れが楽しめるような値段設定なのか、お得感さえ感じます。足元の文化に対する自己評価が低ければ、当然値段設定も低くなってしまうのです。もちろんむやみに高く設定すれば良いというわけでないですが、安すぎる設定は観光疲労を引き起こすなど身を滅ぼします。

日本のガストロノミーツーリズムの現場で提供されている体験の中にはペトラ遺跡にも匹敵するというと大袈裟かもしれませんが、少なくとも数百年かけて育まれたとてつもない「場」があります。

日本の発酵食品の生産現場であれば蔵付きといわれるような菌が住まい、手入れをし続けながら使い続けてきた伝統的な道具、毎朝祈りをあげる神棚、湧き水がしたたり落ちる水場、釜からあがる湯気、そういったものが日々の営みとして残っています。

そういった場所に特別に足を踏み入れさせていただいた時は、ぞくぞくと何ともいえない感動を感じます。生産現場の活気、香り、その体験が、その後の試食の体験の満足度を何倍にもしてくれます。そして多くの場合は記憶に深くその感覚が刻まれ、味だけでなく何か違うレベルで細胞レベルで染み込むような体験になるのです。

こういった体験は本当にプライスレスです。

それでもやっぱり試飲料は頂いても、「うちにとっては普通の場所だから」とそういった貴重な現場の見学は無料だったり、ごく少額というところがほとんどです。

日本国内だと北から南まで色々な食の生産現場や貴重な文化遺産のような現場に行きましたが、どんなに記憶を辿ってもペトラ遺跡のような体験の値段設定にはお目にかかれませんでした。

しかしついに、そういう場所があらわれたのです。

徳島県にある小さな味噌の醸造所の見学を申し込んだのですが、なんと一人当たりのお値段はペトラ遺跡と同じでした。
しかも体験や試食は別料金だそうです。蔵という「場」の見学だけでその値段なのです。

おそらく日本一、いえ世界一高い入場料を取る味噌蔵と名乗ってよいと思います。


気になりませんか?いったいどんな味噌蔵なのか。なぜこのような値段設定をしているのか。

その体験については、また次回ぜひ書きたいと思いますが、満足感に見合えば私はこの展開は大いにありで、喜ぶべきことだと思います。


先日の能登の震災では、まさにこういったような「場」が多く失われてしまいました。酒蔵も伝統工芸の場も。

何十年、何百年もかけて築いてきたものが失われるのは一瞬の出来事でした。

そして、間もなくきっと復興予算がつくでしょう。

福島でも同じことが起きました。
耐震でガチガチに屈強な建物をつくるでも、突貫でプレハブのような味気ないものを作るでもなく。能登らしさはどう再び作られるのでしょうか。

この先何百年も、誰かが守っていきたいと願うような場に再びなるようにするにはどうしたら良いのか。何が本当の復興なのか。

今こそ能登をペトラ遺跡並みの世界遺産にするのだと、本物の場のちからということについて考える時ではないかと思います。






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