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父よお疲れ様でしたの話。

今日で父が退職。

新卒で働き出して、45年間。(おそらく)
よく働いたねぇと娘は思う。
すごいなぁとも思う。

こどもの頃は、父が転勤族だったので、
せっかく入った私学の小学校もやめなければならず、他県の公立の小学校に転校し、塾通いをした。

とは言っても別に恨んじゃいない。
貴重な経験だった。

小学校の頃は社宅住まいだったけど、特に嫌な思いもせず、
ひとつは古くてとっても大きなお家で、さらに広い庭付きで、好きな家だった。
家全体で友だちとかくれんぼして、二階の窓から屋根にでたことを覚えている。

その後の社宅は集合住宅だったけど、社宅中のこどもたちで庭で遊べて楽しかった。一輪車やローラーブレード、ホッピング、フラフープ、バドミントンはここのみんなと身体で覚えた。
あと、ドンキーコングも。

正直、父がどこで働いているかはわかっても、何をしているのかは想像もつかないまま過ごしてきた。
特に父も話してくれなかったし。
それはいまもわからないまま。

大学生のとき、父が初めて単身赴任をしていた。
わたし自身も学生生活に必死であまり覚えていないけれど、父のパンツに部屋番号と名前が書かれていたのをみて、大人でも名前を書くのか…と思ったことを思い出す。
寮の方が洗ってくださると聞いた。
母もたまに行っていたはずなんだけどな。
記憶にないな。

自分が新社会人となって、初めて父の凄さを知った。
朝起きて電車に乗って会社に行く。毎日。
仕事をして電車に乗って帰ってくる。毎日。
決められた日にしか休めず、それでも日々をこなしていく。
当たり前のことを当たり前にこなし続ける。
何十年もすごいなぁと心底思った。

わたしは遅番シフトもある仕事だったため、父とは生活リズムがあまりあわず、朝早く起きて出かける父の生活音を遠くに聞きながら、あぁ行ってらっしゃい〜今日もお疲れ様です〜と思っていた。

チームの人々にうまく順応できず、とうとう会社を辞めたわたしは、さらに父の凄さを知った。
自分の情けなさも抱え込んだけれど。

一つ目の会社の定年を迎え、さらに仕事を続けるにあたり、新しく資格試験を受けた父。これにも驚かされた。
父は地頭も良いのだろうけど、わたしはビビりで勉強が得意では無いので資格試験なんて、避けて通りたいタイプ。
あの歳で新たな勉強をして、さらに人の上に立ち、まだまだ働く意志の強さ。

その後、二度目の定年を迎え、最終日に次の仕事を獲てくる強運の持ち主、父。

今度はまた聞き慣れない別ジャンルの仕事。
娘としては、もう休んでもいいのでは…とも思ったけれど、母はまだ働けるから頑張ってほしいと喜んでいた。

その仕事も、コロナ禍でも通勤が必要な業種で、よく無事にやりきったなぁと感心してしまう。
最後まで人に恵まれて、さぞや涙涙で帰ってきたかと思いきや、二年しかここで働いてないんだもん泣けないよ〜とのこと。そんなもんなのか。わたしなら泣くぞ。

なにはともあれです。
よくもまぁこんだけ働かれました。
ちょっとゆっくりしてほしい。
でもボケないようになにか楽しみながら頑張ってほしい。

父のおかげでわたしの今があることは忘れないようにしたい。

そんな今日は、銀のさらでお疲れ様会。
寿司うまい。

ただの記録。

明日から新生活の始まる方にエールをこっそり送っています。

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