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世代を焚き付ける唱導者でありたい
個人の生き方や価値観は、生まれ育った時代の趨勢から自由であることはあり得ない。したがって、社会の動態は、そこで暮らす個人の生き方に、しばしば不可逆的な変化をもたらすのであり、時代が変われば、価値観も当然にして変わる。 価値観とは、ある事象の良し悪しを判断するための物差しである。「美意識」と言い換えてもよい。何が美しいか、何が正しいか、何がオシャレだとされるか。時代が変われば、そういったものも変わる。 では、現代とはいかなる時代だろうか。 人間の人生はせいぜい百年程度だから、その尺度において体感しうる時代の画期というものは、数十年単位で生ずる社会の動態がこれに当たると考えるのがよいだろう。この数十年の日本という国の時代を特徴づけることになった事象として、バブル崩壊を契機として始まった平成不況を指摘することは大きな間違いではあるまい。今も「失われた30年」などという言葉が各所で使われるし、「元号」という、「時代」というイメージに近しい概念の区切りがその時期とオーバーラップしていることも、平成不況という言葉が持つ「時代を画する事象」としての印象を強めている。 平成初期、世界を席巻する勢いで成長していた日本経済はバブル崩壊とともに急速に停滞し、主要な政策課題は過熱する日本経済の制御から不良債権の処理となった。経済は回復の兆しを見せず90年代が終わり、21世紀に入ると、構造改革の旗印のもとに行われた労働規制緩和による非正規雇用の増大と、これに続く世界金融危機に見舞われ、日本経済はその迷走の度合いを増した。 その後、政権が6代に亘って短命に終わる政治的な混乱の中、前例の無い自然災害と原子力事故が発生。二度に亘る政権交代と、経済政策を目玉に据えた長期政権を経ても経済状況は好転しないまま、世界はパンデミックへと突入。先進国経済が危機に瀕する中、経済的・軍事的な隆盛を見せる新興の大国は政治的野心を隠さず、国際秩序はかつてなく動揺している。 この間、賃金は全く上がらず、生活が改善する兆しも見えない中で、労働人口の減少と少子化という基本的な経済条件の悪化に何の手も打てないまま時間が過ぎた。 もちろん、起業の増加や成功するスタートアップ企業の出現、外部労働市場の拡大、社会全般における多様性の許容など、それ以前の日本には見られなかった前向きな事象が散見されることは事実である。だがこうした傾向や趨勢は、日本で暮らす人の大多数を占める中間層が自らの生活の改善を実感するにはあまりにも小さすぎるか、彼ら彼女らにとってまずもって無縁のものである。格差は拡大する一方であり、その綻びを隠すことはもはやできなくなっている。 経済成長とバブルの恩恵に与ることもなく、この時代に生まれた我々は、この時代を生き、そして、全くもって不明瞭でありながら、それにも関わらず必ずやって来る次の時代を迎え、そしてそれを次世代に明け渡すことを宿命づけられている。 言論というものが、時代を映し、その時代を生きる世代が次に向かうべき方向を示す鏡なのだとすると、今その主たる舞台は間違いなく、ここ10年あまりで勃興した新たな情報空間、SNSである。今その空間には、論拠不明の怪しげで無責任な言説が氾濫している。そしてテレビをつければ、困難を極める社会問題に対してあたかも他人事のように論評をし、自分は何もしない人間が蔓延っている。 この時代に生まれた私たちは、こうした現実に、この先数十年間に亘って向き合っていかなければならない。 そしてこれらの課題を積み上げてきた世代は、傷ついた日本と、これを取り巻く難題を我々に残して、じきに社会の表舞台から退場し、歴史の茫漠に飲まれる。日本がその難題の重みに耐えられなくなり、この国が焼け野原になるとき、その苦難を背負うのは我々である。 だから例え受け入れがたくとも、我々は、この問題に対して他人事のように振る舞い、誰かを批判して終わる「傍観者」でいることはできない。 ・ ・ ・ ・ ・ 平成不況が一つの時代の画期なのだとすると、この国難を克服するための、次なる時代の画期を、我々の手で作り出すことが、いま求められているはずである。 平家物語を引くまでもなく、諸行は無常であり、盛者は衰える。私がこの時代に生まれたという事実から何らかの示唆を引き出そうとするとき、それを思わずにいることは難しい。 だが、私はあくまで、この時代に生まれた世代に期待することをやめたくない。 この時代を生きることを宿命づけられた我々の代わりに、誰かが時代の画期を作り出すことに、期待などできないことは明白だからである。 そして願わくば私は、自らの美意識に則り、力の裏付けをもってして、偽りのない事実と本心を包み隠さない言葉で語り、この世代を焚き付ける「唱導者」でありたい。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 唱導者 回り廻る虚ろな日々を拒絶し今、命は燃ゆ 騒めいていた、胸の奥を揺さぶる声、今も此処に 「往けよ、見えない日々を今、掻き分けて」 熱を帯びて謳えばいい 声を響かせ、焚き付けた歌 独り、ただ独りきり 唱え導け、鳴り止まぬ歌 「見えざる明日を変えよ」 曖昧さと流転の日々を拒絶し今、命は燃ゆ 意味よ、痛みと成りて、儚くとも熱を帯びて灯した 声を響かせ、焚き付けた歌 独り、ただ独りきり 胸を切り裂き血が流れても 見えざる明日を、いま変えよ 世代は移ろう 全て壊せばいい 救いなど要らない (詞・曲 中瀬光安)
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私にとっての「誓」: 不可避的な葛藤をいかに処理するか
「誓(うけい)」とは、古事記や日本書紀といった日本神話に現れるモチーフの一つである。ある人が邪心を抱いているかどうか、嘘偽りがあるかどうかなどを確かめるために行われる儀式のようなもので、『もしもAならば、Xが起きる、Aでないならば、Yが起きる』とあらかじめ宣言し、現にそのどちらが起こるかによって、これを判断するという独特な方法が用いられる。 有名なのは、高天原(天上にある神々の国)の支配者である天照大御神(アマテラス)が、弟である須佐之男命(スサノオ)が突如として高天原に昇ってきたことについて、「自分が支配する高天原を奪おうとしているのではないか」という疑念を抱き、須佐之男命にそうした邪心が無いことを確認するために行われた誓である。 この「天照大御神と須佐之男命の誓」では、天照大御神と須佐之男命が互いに身につけている装飾品を交換し、これにより生まれた神の気質でもって須佐之男命に邪心があるか否かを確認した。 すなわち、須佐之男命が身につけていた装飾品を天照大御神が噛み砕くという行為により生まれた神が心優しい女神であったことをもって、須佐之男命に邪心の無いことが確認されたとしている(「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」)。 須佐之男命が突如として高天原に昇ったのは、父である伊弉諾(イザナギ)から国を追放されたことを受けて、姉である天照大御神に最後の別れを告げるためである。須佐之男命は、父から「海の民」を統治せよと命令を受けたのにも関わらずこれを拒んだために、その父から「もうこの国に住んではならない」と宣告されたのである。 これに対して天照大御神は、自分が支配する高天原を弟が奪いにきたのではないかと疑い、鎧と弓矢で武装してこれを迎え、誓を行う。誓の結果、須佐之男命の潔白が証明され、天照大御神は弟を高天原へと受け入れるが、その後、須佐之男命は高天原で乱暴狼藉を働く。天照大御神は最初、弟を庇うが、度を超えた行為についに怒り、天岩戸に隠れてしまう。「八百万の神」が登場する場面として有名な「岩戸隠れ」である。 命令に背いた息子に絶縁を宣告する厳格な父、弟を疑ったものの後に認めた姉、そして、父の命令に違背しながらも、姉に一目会いたいと願い、最後はその恩に背いた身勝手な弟、こうした人間模様が豊かな表現力でもって描かれた古事記の世界は、物語としても非常におもしろいのだが、その合間に現れる「誓」を始めとする抽象化されたモチーフは、読者の想像力を掻き立て、物語に奥行きを与えるものであると言えるだろう。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 人間は、自分の求める生き方をしようとして、その結果として不可避的に人を裏切ったり、傷つけたりしてしまうことがある。自分と自分以外の他者が異なる人格を持っている以上、両者の感情においてそうした相矛盾が生ずることは止むを得ない。 だが、そうした相矛盾それ自体が自分自身にとって苦悩を生み出すものであるときに、その相矛盾を生じさせる欲求とその苦悩の間に葛藤が生まれることもまた避けられない。例えば、自分自身の生き方と、自分自身を大切にしてくれた人や、自分自身が大切に思っていた人が自分に求める何かが相容れないときなどに、こうした葛藤が生ずる。 自由に生きたいという自分自身の欲求と、相手を裏切ったり傷つけたりすることに対する後ろめたさや痛みの間に、どのようにして折り合いをつけたらよいのだろうか。 こうした問題は、日常の些細な出来事から、自分や相手の人生そのものに関わる重大な選択に至るまで、様々な場面において直面し得る。 だが、最近気づいたことがある。 例え自分の欲求の基づく選択に起因する結果について、他者との関係におけるいかなる葛藤があったとしても、それが自分自身の正直な欲求に従った選択の結果として生まれたものなのだとすれば、その選択をした自分自身において、邪な心や嘘偽りは何一つ無いはずである。その事実は、自分にとって身近な他者を、自らの判断で裏切り傷付けることによって生ずる苦悩を抱えた人生における、唯一の救いであるように私には思われた。 邪心や嘘偽りの無い選択、言うなれば打算や妥協が一切無く、自分にとって最大限の思慮を経た判断というものは、そう簡単にできるものではない。例えその判断が他者に影響を与える場面であったとしても、日常生活の一つ一つの選択においてそうした熟慮を経ることは不可能だしその必要も無い。 だが、仮に自分自身の根源的な欲求が、それを貫徹したときに、他者が抱えるこれもまた根源的な欲求と激しく対立し、そのいずれかを満足させればもう片方が満足できないという関係にあって、その相矛盾が自分自身にとって激しい苦悩をもたらすものなのだとすれば、自分と他者が抱える根源的欲求のいずれをもう一方に対して優越させるかという意思決定には、慎重にならざるを得ない。なぜなら、その意思決定に何らかの邪心や嘘偽りが入り込んでいたのだとすると、その事実は自分自身の人生に割り切ることのできない禍根を残しかねないからである。 自分自身がこれまでの人生に為した、そうした類の意思決定の当否を確認するために、私は無意識的に、自分自身のことを人に話し、文章を書くということをしてきたのだと思う。 自分自身を言葉や音楽といった情報として外部化し、人に伝えることを通じて、自分自身の考えを確かめたり、そこから得られた他者からの反応によって、またそれを反芻することができる。 そして、もしも、そうした作業を通じて何らかの居心地の悪さを感じるなら、外部化した自分自身の姿に、何らかの偽りや邪心があるということであるはずだ。 私にとって、言葉を書くことや、音楽を作ることは、そうしたことを確認することである。 したがってそれが、私にとっての「誓」なのである。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 誓 -ukei- 霞みし日々の狭間に、帰らぬ時は揺らめく 愛された思い出も薄れゆくまま、交わす言葉は無く 誓う言葉よ、遥かに煌めく地へ 心裂け、胸が焼き焦がれても 生き、捧ぐ誓いは木霊して 光溢れて、遥かな歴史が呼ぶ その声に帰る日を待ち侘びて 胸が壊れても、己は此処にいる いつか辿り着く・・・ あの街へ (詞・曲 中瀬光安)
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夢
春めく時、京の雨に濡れて花咲く 絶えざる傷と光を知る 果てなき時の中 言葉は此処にある 繋がる記憶と交わり 夢、色褪せぬ日々は巡り往き、還る日を待つ 問い立てるまま 春めく時、京の雨に濡れて煌めいた 言葉は此処にある 重なる理由は解けて 夢、覚め止まぬ熱に焼かれては、彷徨い 唯、生かされた僅かな命に 夢は覚めない 煌めくあの日から ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 10年ぶりに曲を書いた。 19歳になったばかりの頃、初めて京都を訪れた。 どこかの寺か、城の庭に、梅の花が咲いていた。冷たい雨が降る3月だった。 人生には、その最後に必ず、決して逃れることのできない死が待っている。だから、生きるということには、死ぬことへの恐怖が必ず伴う。 そして、例えいかなる不条理を押し付けられ、生きることがいかに苦しかろうと、死ぬことへの恐怖は、その苦悩から逃れたいという欲求を限りなく小さく感じさせるほどに、悪辣である。 したがって、克服することの端緒すら見つけられない過酷な苦悩に直面したときには、訪れたその不条理が消え去るまで、ただ地面に這いつくばって耐え忍ぶしかない。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 肉体的な苦痛の無い限りにおいて、あらゆる苦悩は、精神世界における出来事である。 そして、死ぬことの恐怖が折り紙つきなのだとすると、その恐怖を上回らない精神世界の苦悩は、無意味なのである。 なぜなら、精神世界において、人間は自由だからである。 死ぬよりも先に、その自由を行使したい。 そのとき私は、一瞬の閃きのようなものを感じた。 雨に濡れる梅の花が、あたかも夢のように、記憶に現れるたびに、あの日、脳裏を過ぎった、閃光のような煌めきを思い出す。 ■Youtube https://www.youtube.com/watch?v=iczxMd0sAAk&feature=youtu.be ■SoundCloud https://soundcloud.com/ukei4/dream?si=3684b783344b4d588c01f970b35c0cf1&utm_source=clipboard&utm_medium=text&utm_campaign=social_sharing