見出し画像

【映画鑑賞記録】統合失調症の症状である幻覚を考える

統合失調症を患いながらもノーベル賞を受賞した数学者、ジョン・ナッシュを描いた映画「Beautiful Mind」から学んだことを記録する。

まずあらすじを説明していく。

数学を専攻する、優秀だが変わった学生であるジョン・ナッシュは、ルームメイトと親しくなりやがて彼は唯一の理解者となる。卒業後は有名な数学研究所に就職したものの、仕事は単調そのものである。そんな中、ナッシュは優秀さゆえに対ソ連の暗号解析を行うチームから秘密裏に接触され、極秘ミッションに関わることとなる。幾多の雑誌の記事から導き出された暗号は、ソ連の動向を読み戦略を練る鍵となる。重要な仕事である。

数年後研究所の学生である女性と結婚し、共に幸せな生活を送るようになる。しかしナッシュは徐々に誰かに追われているような感覚を持ち、監視の目を恐れながら日常生活を送るようになる。恐怖に生活を支配されているナッシュを不安に思い、妻が医者に電話をかけると、統合失調症と診断され、服薬と電気療法の入院治療が始まる。

入院後、仕事を辞めて、家で服薬、症状の再燃を繰り返す治療の日々で憔悴しきったナッシュだが、妻の愛に支えられ、同級生のつてで大学教授の職を得て社会復帰を果たす。その後、幻覚と共存しながらも、学生時代の研究でノーベル賞を受賞し、華々しい授賞式で自身の闘病や妻の愛について語り、物語は終焉を迎える。

長くなったが、以上があらすじである。この映画が素晴らしいと私が思うところは、統合失調症患者の幻覚を少しばかり追体験できるというところだ。これから視る方のために何が幻覚であるのかは言わないでおくが、視聴者は途中まで幻覚の世界を疑いもせず視聴しているので、幻覚であったことに衝撃を受け、何が本当なのかわからず混乱した感覚を得る。

上記の「混乱した感覚」について掘り下げていきたい。この「混乱した感覚」を分析すると、幻覚だと信じたくない思いや、何が本当なのかわからない思いがあるが、最終的には心にぽっかりと穴が空くような喪失感があることに気付かされる。精神疾患に限らず、病気を患う人はその疾患ゆえ、ボディイメージの喪失、社会的役割の喪失など何かしらの喪失を経験する。時には今まで思い描いていた将来や夢をも失い、病気や症状を受け入れた上で、人生を再構築していかなければならない苦悩に直面する。さて、統合失調症患者が喪失するのは自分が今まで生きていた幻覚の世界である。これはただの幻覚ではない。いうなれば、「自分が自分を保つために必要であった世界」である。人によっては、「それがあるからこそ(苦しい環境の中でも)生きてこられたもの」であるかもしれない。それほどの支えを喪失し、これからはその存在を否定して人生を再構築していくことを必要とされるのである。

では当事者にとって重要な意味を持つ幻覚と、どのように付き合っていけばいいのか。映画の中でナッシュは「彼ら(幻想)とは一生付き合っていかなければならない」「ダイエット(で食事を食べたくなる衝動を押さえるの)と同じように、彼らに話しかけたい衝動を抑える」と言う。何が本当で、何が幻覚なのかわからなくなったときに、ナッシュを現実の世界につなぎとめたものは妻の献身的な愛であった。映画の中でナッシュは、自分を現実につなぎとめる錨のようなものを持ちながらも、適切な距離を取って生きているように思えた。幻覚のために、恐怖に脅かされた生活を行っていたジョンであるが、私は彼がノーベル化学賞を取るに至った「ナッシュ理論」を発見できたのは、幻想により支えられて来たということも大いに影響しているのではないかと思う。自分の存在を支えるものとして、時に幻想はプラスに働くこともあるのかもしれない。本人や周りの人が幻覚により苦しんでいるのであれば治療が選択されるであろうが、幻覚は必ずしも悪ではなく、人生においてプラスに働く側面もあるのかもしれないということは念頭に入れておきたい。

この映画を視ることで、統合失調症を抱える方の幻覚により生じる世界をほんの少し覗かせていただくことができた。主人公ナッシュは、医療者というよりは妻の愛に支えられているように思える。私は看護学生の立場であるが、対話を重ね、当事者を理解したいという気持ちの根底に愛を持ち続けて人として関わりを持つ態度を大切にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?