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3. 自我の死、私もあなたもない世界

精神世界の探求を深めていく大きなきっかけとなったのが、"自我の死"を経験したこと。

"自我の死"を言い換えるなら、臨死体験とかワンネス体験とも言えると思う。


この話は、檜原村に引っ越したばかりくらいのタイミングのこと。

山奥でホフマンしたときのことなのだけど、急カーブ極まり、壮絶な感じになった。これ、曲がりきれるのかという。

メメントって映画を観てたのだけど、主人公と自分の区别が段々つかなくなっていって、ヤバいループに入っちゃったんだよね。(メメントを観たことがある人なら分かるはず)
自他の境界線が薄くなって、ごっちゃになってる状態。

もうほんとに死のうかと思ったくらい。笑

んで、死ぬかメメントループかの状態で、何かの拍子に自我が外れた。自我が限りなく小さくなったんだよね。

そこで、始めてワンネスの世界を体感した。まさに、陰極まって陽に転ずるとはこのことかと。笑

それは、私もあなたもない世界。私はあなたであって、あなたは私でもある世界。
純粋なアイの世界。

涙が止まらなかった。
この記事を書いている今も、そのことを思い出すと、涙が出そうになる。

実相を垣間見たその経験を通して、かなり己の世界観は変わった。
仏教でいう"色即是空"とはこのことかと。やっぱり仏教はサイケデリックだなと。

精神指導者で有名なラム・ダスの著書「BE HERE NOW」に、彼の師匠ニーム・カロリ・ババが一瓶丸々アシッドテイクしても、ケロッとしていたという描写があるけど、それもすんなり納得がいく。

なんにせよ、肉体を離れることにさほど恐怖は感じなくなったし、人や自然に優しくするべき合理的な理由もみえた。ぜんぶ私でありあなたなのだから。

ただ、そんなこといっても、現実ムカつくことも多々あるし(なんなら僕はかなり癇癪もちだと思う)、かなり感情的になる。
我が強く、怒りを剥き出しに人とぶつかることも未だにある。
適当に流せばいいのに、理不尽なことには反射的に噛み付いてしまう。

でも、最近は思う。
クソな自分もちゃんと大事にできれば、美しさと醜さが混じったこのカオスな世界を、丸ごともっと肯定出来るようになるんじゃないかなと。

その、あらゆる側面を愛していくこと、もっと柔らかくなっていくことが、己をもっと楽にしてくれるんじゃないかなと。

まあ、なにはともあれ、せかいがへいわでありますように。
ここまで読んでくれてありがとうございます。





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