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足並みを揃えられないものたちよ

タイトルのとおりである。
私は人と足並みを揃えるということができない。前を向いて歩けといわれると、後ろ向きに歩くタイプだ。
さらにいえば、何かに属するということ自体が苦手である。よく小学校に6年間も行ったなと思う。

大人になるにつれて、自分で稼いだお金でできることの範囲が広がった。
しかし、その“お金を稼ぐ”という行為に切り離せないのが“働く”ということだ。
「なに当たり前のことをいっているんだ」と思うかたもいると思うが、私はこの当たり前にすり寄るためそれはもう多大な努力をした過去がある。
結局雇われて働くということが合わないという結論にたどりつき、ちょうど職場も荒んでいて限界だったため区切りのいい時期に辞めた。

働くなかで気がついたのは、何年も同じところに属していることを窮屈に感じる自分がいたことだ。
私は用事が終わるとすぐ帰るタイプなので、退勤後にあれこれ話をされるのがいやでいやで仕方がなかった。
退勤時間になったらリュックを背負って職場の玄関へ向かう、話しかけられる、適当に返事をしつつ靴を履き替え駐車場のほうへ身体の向きを変え、上司が「待って〜」といいながら来るのを待つ。
思えばサークルの集まりも途中で突然帰るような人間だったのに、他人を待てるようになったのはわれながら成長したのだと感心する。

仕事を辞めて、絶対8時間のフルタイムでは働けないな、と思った。
ある程度の収入を得るには正社員で8時間(少なからず残業あり)というスーパーウルトラハードモードな労働をこなさなければならず、副業ができない。
以前産業支援へ相談に行ったとき「あれですよね、本業はしっかり稼ぐというより最低限の生活費を稼いで副業に力を入れたい感じ……というか副業を本業にしたいんですもんね」といわれて、そうだ私は生活費を稼ぐのとは別に自分でやりたいことがあるのだと改めて気づいた。
前職ではパートタイムだったが、それでもコロナで激務化してしまい、趣味≒やりたいことのバランスが崩れてしまった。
仮に次もどこかで雇ってもらえるしかなくなったらパートだな〜、実家暮らしの強み……

これは年に1回くらいのペースで母にいわれるのだが「この前スーパーで幼馴染のお母さんと会ってね、あの子は役場に勤めて自分でアパートも借りてなんたらかんたら……」
いや知らんし、幼馴染なんて高校で完全に離れてから一回も会ってないし。いまさら公務員になる気もないですから。
なんてキッパリ言ってしまうと怒るので適当に流す。
父はわりと放任タイプなので、気が向いたらこっちから話をする、が、仕事に命をかける世代だったので「お前そんなこといってたら食っていけねえだろうが」
じゃあなんでお父さんはお客さんに自分の番号教えて休日も電話に出てるの?
少し話が逸れてしまったが、大学まで通わせてもらった身でありながら、結局4年間通うのもすごく労力が必要だったし、2年生のときは辞めたくて辞めたくて、それでも頑張って行っていたことはいまの自分がほめちぎってやれる、よく頑張ったと。
あの2年目を乗り越えてゼミに入ってから、やりたい勉強ができるようになってめちゃくちゃ大学が楽しくなった。

まあこんな感じで、どこにいても“なにかに所属する”ということを窮屈に思って飽きたりやめたくなってしまう性なのだと思うしかない私であるが、好きなことを原動力に活動するのには最大出力でできる。
さらには切羽詰まって追い込まれないと中だるみするという自分でも非常に扱いにくい性質もあり、自分の尻を叩くためここで宣言する。
「夏に1冊ZINEを作り、秋までにカレンダーを作って販売する」
これが目標だ。
だってちゃんと創作するのほぼはじめてだし、季節にひとつ作れたらいいな、と思っている。

人との足並みを揃えられないかわりに自分でペースを設定する。
途中で自分に甘えるor甘やかしまくるのがもはや目に見えてはいるが、ここはデジタルタトゥーなので、のちに文章チェックで読み返して「おい、このとき見栄張ってなにか作るといっていたではないか」と自分を戒めるだろう。

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