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くそこん5 空即是色コンティニュー

ともさかりえの『カプチーノ』の出だしが脳内を過った。
「オムツ交換なんて100回やれば上手くなります!」と初任者研修の先生は言っていたけれど、99回失敗するやつを置いておける企業体力をこちらから求めることはできない。
即戦力を期待するということは、社員を育てるリソースがそもそもないのだ。
とうとう一人前の介護士にはなれなかった。私の仕事は尊厳を守ることだった。

理事長と話すことはついぞできなかったけれど、法人のナンバー3という人には会うことができた。
年度初めには離職率が高い業界だからこそこのメンバーで今年度はいこうと仰っていたが、相変わらず超強化型だから回転率がいい(職員の)。
主任は「OJTをきちんとやった」と上長に報告していたが、人員不足で丁寧に教えられない旨を詫びてくれたことを覚えているので悲しかった。主任に限らず本部や上長向けの報告を別で用意している二枚舌や陰口が常態化していた。
でも主任と言っても私より年下で、端的に言って幼い少年のような人だったのでとても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
私みたいな高齢ニートの中途採用者を部下に持つことはしんどかったと思う。「勉強だけできてもしょうがない」と負け惜しみのように言っていたけれど、若い人にそんなことを言わせてしまってとても可哀想だった。
「自分も一人前ではない」と言っていたけれど、主任としてその仕事で生計を立てているのだから、そこは胸を張って一人前だと言いきってほしかった。これでは私も半人前の主任に不十分なOJTを受けていたことになってしまう。私が退職することが決まって気が抜けたのだろうけど『永遠の嘘をついてくれ』と思ってしまった。本来は人並みに甘ったれなかわいい男の子だったんだろうな。
主任に対して悪感情は一つしかない。腰パン穿きはやめたほうがいい。男性の下着を見せることはセクハラに該当しないのかずっと疑問がある。下着どころかお尻の割れ目の始まりまで見えているときがあった。私は勤務中に同僚の尻を見たくない。

処方薬の副作用による勤怠の不安定については「学生のバイトじゃないんだから」と叱られ申し訳なかった一方で、確かに大学生のアルバイト契約ではないが、予備校に通いながらのパート契約であることを考えると、実態は〝学生のバイト〟に近かったので何か誤解がある気がした。
それを丁寧に解きほぐす時間もないし、あったらドーズレスポンスを調整する猶予をこそ欲しかった。打診したが当然却下された。
退職後にできた時間を使って処方薬の服薬量の調整をした結果、今ではフルタイムの週5勤務を安定させることに成功している。

問題の対処が二枚舌で場当たり的で、どうにもならなくなると上長に密告するパターンが多かった。本人に注意すればいいものをわざわざ本部に連絡して横領沙汰になった事例を聞かされたが、本人から返金してもらえば済んだ話だったように思う。意図して横領したというより過失ぽかったし、彼が急に退職したことで現場はかなり混乱していた。
それが発端か、看護部なんかはものすごい勢いで離職が続いた。

看護師は業務独占資格だから、私が上司に言われて配薬をやっているのを見ると「それは看護の責任だから」と言って代わってくれるような心ある人が多かった。
喀痰吸引や経管栄養を実務者研修で覚えても、実際に介護職がそれを任されることはない。ならば何のために実務者で教わるのか不思議だった。介護は楽しいばかりで申し訳なかった。

そういえば「相手によって態度を変えていないですか?」と主任から注意を受けたことがあった。主任は自分より年上の女性介護士を「更年期か知らないけど~」と私と話すときに形容していたが、本人の前でも同じことを言っていたのだろうか。
私と後輩に対しては「外線はとらなくていいっすよ」と言っていたので別のフロアの主任にその話をしたら私が叱られた。
相手によって態度を変えることは悪いことなのだろうか。私は使い分けることこそ教養だと思っていたので寝耳に水だった。
部署ごとに少しずつ異なる私の個人情報を流してアウティングする人をあぶり出したのがまずかったのかもしれない。
引きこもりというレッテルを貼られた状態から職場に居場所を作るためには、いろんなところに味方を作る必要があった。

私が退職したあと虐待事故で退職した同僚がいた。
同じ入所介護でもフロアが違ったから関わる機会は少なかった。
けれど些細な手伝いに対して大きな声で「ありがとー!」って叫んでくれたことを覚えている。「負けないで」って応援されたような気がして勤務中に涙があふれてきたんだ。
虐待なんて絶対やっちゃいけないんだけど、少なくともぼくにとっては、とてもやさしい人だった。
施設内の消毒に血道をあげていたナースさんも辞めさせられたらしい。そのあとにクラスタ感染を起こしてフロアの9割近くが入院したというから、くやんでもくやみきれない。
私が勤務している間はお看取りもなかったというのに。

ナンバー3はやさしい嘘のつもりだったのかもしれない。確かに本当のことを言わないというやり方もあるのだなと思った。
変な咳をしていても「溶連菌にかかった」とか言って10日以上休んでればほとんど誰にもバレないのだという実例を見せてもらえたから。

フロアに私物のアイデアノートを置いてきたことがくやまれる。退職する日に取りに行きたかったが主任に止められた。

思考のくせに流されず、自ずから在るままを観ることができたらといつも思う。自分の尊厳すら守れない、介護士のなり損ない。
やはりいつまでもともさかりえの『カプチーノ』なんだ。


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