ビジネス書と「売れる本」



ビジネス書コーナーにおける本の集まりを見て思ったが、「売れる本」は必ずしも良い本とは限らない。その逆もそうだ。ビジネス書で「売れる本」は多くの人が簡便に解釈可能で少し刺激的なファストフードのような本(以降ファストブックとでもよぼう)だ。それらはたいてい"わかりやすい本"である。"わかりやすい本"は大きく2つに分かれる。

1つ目は、ある事象をよく理解していない人がよく理解していないまま自己解釈してよく理解していないまま記述されている本だ。この手のビジネス書の大半は「売る」ことを目的としている。「こういうことを書いて欲しいんでしょ?」と書いてあるようなものだ。それらを読む人々は本を読んで知識を得ることが目的ではなく、本の内容に共感を得ることや、そういった時流の本を読む自分へのナルシシズムが目的なのだ(もちろんビジネス書以外であればこういった活動は芸術とも解釈できるので、素晴らしいことの1つだ)。啓蒙が、目的ではなく、売るための手段と化してしまっている。結局そういった"売るため"の真偽不明な命題は、真偽不明のままだ。非常に残念ではあるが、このような典型的なファストブックが現在でも容易く売れてしまう。この事実がまさに、啓蒙を目的としないビジネス書のビジネスを存続させているのだ。

"わかりやすい本"の2つ目は、その分野に非常によく精通している人が、わかりやすい言葉を慎重に選んで紡ぎ合わせることによってギリギリの絶妙なバランスで成り立つ、まさしく入門本だ。こういった本はその存在が奇跡に近い。よって古典ともなりうる。しかし、あまりにもギリギリを攻めるが故に読み手に一定程度の語彙を必要としてしまう。この一定程度こそが、ビジネス書ビジネスで避けられるわかりにくさのちょうど勘所を突いていることが多い。よって、ビジネス書ビジネスのような売れ方はしない。読み手に努力が必要な文は、突発的には売れず、細々と長く売れていくのだ。

あくまでも仮説であるが、これまでに論じた"わかりやすい本"、すなわち「典型的なファストブック」を読む人々と、「入門本」を読む人々との間にはギャップがあるように感じる。また、そのギャップは階層的であるように感じる。

以上。




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