メメント・モリ
上野の科学博物館は混み合っていた。
田舎育ちのわたしは、上野公園の徒歩圏内に住んでいた学生時代にその常設展に初めて足を運んで「東京ってすごいなあ」と感じたのだけれど、ここのたたずまいは当時からそんなに変わらない。
悠久の時を超えた古物(骨董とか、美術品とか、恐竜の骨とか)を扱う、それぞれの建物がどーんと古くて、憩いの広場の並木も当時から大きかったような気がする。
しかし先日、実家に遊びに来てくれた同窓生の友人と一緒に、たわむれに自分たちの大学の卒業アルバムを開いたら、そこに収まっているシーンのすべてが、まるで親の世代の写真?とみまごう古くささでびっくりした。
よく考えたら、まあ、うちら生物的には大学生くらいの子供がいてもおかしくなくて、「ママが私くらいの年の頃はこんな髪型が流行ってたの?この首に巻いてる布、なに?!」とコメントされてもおかしくない。そういうことなんだ。
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実際は、晩婚・高齢出産な母ちゃんは、このたび恐竜好きな5歳児のために上野を訪れた。
CGを駆使した最新のキュレーションもいいけど、イメージを補われ過ぎると、目の前の骨そのものよりも、良くできた映像にしか目が行かない。
個人的には、お昼休憩を挟んで行った常設展のほうがやっぱり好きだった。特に、恐竜の骨が所狭しと展示されているフロアが。
興奮してぐるぐる走り回る男児を追うことを半ば放棄して、巨大な古代亀や、冗談みたいな長い尾をもつ海竜の骨を見上げ、暫し、ぼんやりした。
死して世界に溶けそこねた、幾千万年前の異形の残滓。
わたしたちは、個々にはたかだか20年を一昔前と感じるスケールの命しか与えられていない一方で、地道に巨大な化石を掘り出し、ピカピカに磨いて並べ、彼らの声にならない声を聞き取ろうとする。世代を超えてそのリアルを追求する。
5歳のヨーヨーが恐竜大好きなのは、単純にその大きさや不思議な形にワクワクして、手元のフィギュアコレクションを増やすのが嬉しいからだろうけど。
わたしが恐竜の骨を見るのが好きなのは、自分に無縁でない死や、人類にもいつか訪れるであろう絶滅の匂いがするからなんだ。
所詮またたく間の命、何も恐れることはないと思える。
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