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カタチに囚われること、解放されること

実はわたし、ちょうど一週間前から入院しています。

でも、ご心配なく!年始の続きの胸の再建を完成させるための二期オペだから、なにも病状が悪化しているわけではありません。

痛い話を詳しく開陳はしませんが、再建は相当な身体的負担です。例えば、今回のオペで麻酔に入ってから覚めるまで15時間かかり、2週間はベット上安静。術後3日間は管だらけで上向いて寝てるしかなくて、辛かった。

私の場合そのイメージなくふわっと始めてしまったから、一次オペの時に愕然となりました。始めたからには最後まで走り抜くけど、なんでこんな…そもそもなけなしのカタチのために…痛みを、負担を、買って出てしまったんだ?自分のバカッ!って、もう、ずっと…ずっと、自問していました。(その答えについては前に書きました

ここしばらくの記事は、実はオペ前日の朝から入院でやることないので書きためておいて予約投稿でお送りしたものなのです。サイバー活動を継続することで、本体が弱って動けない時間を少しでも取り戻したかったのかな。

でも、昨日くらいから少し歩けるようになってきて、さっき思ったより早くドレーンもとれて、一番辛いとこを自分は乗り越えたって思ったら、突然、暖かく柔らかく血のかよう自分の身体の全部が、すごく好きだ。という感動が沸き起こってきました。ふつふつと!

私はこれまでの人生で、自分の体が好きだったことは、ほとんどありません。コンプレックスばかりでした。

なのに、オペ前日に先生と最終打ち合わせをした際に、ドナーにするお腹について「余計なお肉がほとんどないですね…豊満な方はこれでシルエット変わるのでそのためだけにされることもある手術なんですよ。お痩せですから…普通なら非常に良いことなのですが、取れる部位が限られています。でも大丈夫ですよ、いい血管もあります。」と言われ(形成の医師は、配慮に満ちた言い回しの達人です)視線を落とした我が腹の曲線は、確かに無駄なく美しく見えた。

私はその、一瞬光をあびたそのカーブをずっと忘れない。客観的にはどうか知らんが、自分の体をきれいだと感じたのははじめてだったかもしれない。明日には失われるのだと思うと泣きそうにすらなった。全部が嫌な選択肢の中から、考えに考えてたどり着いた出口だし、後戻りはしないと決めていたけれど、そう、最後まで揺れながら、何度もそう自分に言い聞かせた。

でも、昨日ね。ようやく出来上がった胸のカタチ(…それは本来の臓器とは異なる、形状でしかないのだが、確かに血の通うメンテナンスフリーの自分の身体なのだ…)を直視して、柔らかさに触れてみて、すごく嬉しくなった。あの美しいお腹が、ちゃんとこっちで生きている!と。ああ、わたしはかつてなく自分の全身が好きだわ!大事にするわ!!と。

カタチとは、何だろう。最初から再建しないという選択をしていたら、私は欠けたところのある自分はそれとして受け容れていただろう。

でも、いまこの新しい体を好きだと思えるのは、かつての自分ならそんな痛みを被るくらいなら死にたいと思ってたような負担を超えて手に入れたものだからだ、多分。誰も気にしなくても、これは私のもの。私の勲章。

というわけで、今とても気分がいい。入院生活もうしばらく続くけど、もう大丈夫。

いつも支えてくれる家族、勇気づけてくれる友達、削った軟骨まで無駄にしない配慮で長いオペを頑張ってくださった先生、天使のような看護師さんたち、ありがとうございました。そして一番辛い時に、私の精神を解き放ってくれた、以下の美しい短編集にも、感謝です。

シェル・コレクター(アンソニー・ドーア)

入院に向けてジャケ買いしたのが大正解でした!






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