見出し画像

村上春樹と中原中也とSIONとチバユウスケと。

連休だ。
連休だけど仕事はあるけど、それでも普通の時に比べたら時間がある。
何か新しいことをしようと思うけど、新しい事は思い付かない。
だって好きなものとか事は変わらないものね。

今考えると、中原中也という若くして亡くなった詩人は自分のアイドルだった。彼は早く死んだから余計にこうやって残ったのかもしれない。
その中也の評論みたいな本を2冊やっと読み終えた。
思えば、今年の前半は村上春樹さんの本を、「街と不確かな壁」から始まって、長編小説を4種類位読み終えて3カ月位が経過した。
それからふと思い出して、子供の時のほんとアイドルだった中原中也さんの評論「沈黙の音楽」と、そしてNHKの「100分de名著 中原中也詩集」を読んで、吉岡秀隆が出るNHKのテレビドラマも見たな。関門海峡の詩だったかな。

https://amzn.asia/d/5pJH69T

中原中也は小柄な好戦的な論客であったらしい。実は隣にいたらいつも議論とか文学論とかで絡まれてあんまり気持ちのいいものではなかったかもしれない。でも彼の死は残った。確かに、沈黙以上の音楽として。口ずさむと心がほぐれてゆくのだ。

自分の中で詩人と言えば、谷川俊太郎さんと、この中原中也さんと、詩人と言っていいのかどうかだけど、寺山修司さんだろう。彼らのリリシズムに憧れを抱いているのかもしれない。谷川さんだけが残って、90を過ぎた今も言葉を紡ぎ出している。不思議なくらい無垢な言葉を。

そして、そんな言葉を紡ぐ男たちの中で、また新しい一人を発見したのだ。松山にSIONがアコースティックライブにやってきてくれたのだった。本当は1月の公演だったのだけど、SIONがコロナになっちゃって延期になったのだった。たまたまゆとりを持ってゆけたそのライブで、SIONと藤井和彦さんは、二人で、極上のリズムと音楽と言葉とシャウトを届けてくれた。SIONを東京までもう見にゆかなくって何年も経ったけど、ずっと40年くらい聴き続けて良かったと、この松山の街で聴けて本当に良かったと思った。
SIONがその時、死んでしまったチバユウスケのことを語っていた。彼はユウスケと呼んでいた。そのチバユウスケさんの音源を、前座のDJのあんチャンがかけてくれた。イカしていかれた音だった。

それから、自分の中で、SIONとチバユウスケとなぜか中原中也がミックスされて、今もぐるぐる回っているのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?