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ある詩人のイディオレクト3―細川雄太郎異聞―

【南川里の夜】

「元気か」

 数か月ぶりに会う関沢は痩せていた。丸顔に丸眼鏡がトレードマークだったのが、こけた頬の上に銀縁のフレームが乗っている。半面、レンズの奥の眼光は、一層鋭さを増した。配置先はそれほど過酷なのか。関沢は、南方配置の後、一度韓国に戻ってきていたので、時間をやりくりして会ったのだ。
南川里(ナンチョムリ)の町は、京城と釜山のちょうど間だった。田舎ではないが、それほど大きなビルはない。少し京都の東山に似ていると思った。

「膝が痛んだり、腹を下したり散々だ。そっちの詩作は進んでいるか」

「なかなか新兵に、そんなぜいたくな時間は与えられへんな。雄ちゃんはどうや」

 焼肉屋はひどい煙だった。マッコリも日本酒と同じ米から作られているというが、どちらかというと、どぶろくに近い。周りは現地の人間ばかりで、軍服姿のほうが少なかった。

「童謡は作ってへんけど、正月に守備隊歌で一等をもらった。自分で作った詩を一般向けに作り替えたんやが、随分と勉強になったわ」

「細々とつながってるんやな。えらいもんや。そうえば、日本からこんなもんを送ってきてもろたで」

 ポケットをごそごそと探る関沢を尻目に、肉の横で焼いていた青唐辛子を口に運んだ。現地の人は、皆、付け合わせに食べているが、驚くほど辛い。辛子とはよく名付けたもんだと感心していると、雑誌の切り抜きをこちらに向けた。

「横堀先生から俺たちへのメッセージや」

 そこには、

〇関澤新一君
〇細川雄太郎君
祈 御 健 康
童謡詩人社
同人一同

と書かれていた。『童謡詩人』の一ページなのだろう。

「うれしいな。先生方も元気そうや」

 ずいぶん汚れた切り抜きが、貴重なものに思えた。関沢は、京都にありながらも、積極的に同人誌に詩を送っていた。しかも童謡一辺倒の細川と違って、脚本からイラストまで手掛ける多才ぶりだ。それでいて、童謡の手を抜くことなど一切ない。会えば話が尽きることはなかった。

「先生方は、まさかこうして、戦地で二人が会ってるとは夢にも思わんよ」

 関沢は笑顔でうなずいた。そして真顔になっていった。

「雄ちゃんには、独自の言葉があると思うんや。もちろん日本語なんやけど、選び方や並べ方で独特の抑揚が生まれるというか」

「それが、詩と違うの」

といって後悔した。そんなことは、この男は百も承知だ。その上で、何かを伝えようとしている。逡巡している間に、

「いや、詩というのは分かってるけど……」

と考え込んでしまった。そして続けた。

「ほら、横堀先生が、いいたいことを的確につかみ、分かりやすい言葉で表現することが基本ていうてはったやろ」

 忘れはしない。群馬の師匠の言葉だ。丁稚時代に横堀先生夫妻に出会わなかったら、こうして関沢と話すこともなかったろう。

「その基本の上に、作曲してもらえる詩としてもらえない詩の話もしてはったな。作曲家のインスピレーションを刺激する言葉を選ぶことって、今でも声が耳に残ってるわ」

「雄ちゃんの童謡は、もちろん先生の教えをしっかり守ってるんやけど、さらにもう一皮むけてる感じやわ。今は、数曲だけやけど、将来もっともっとたくさんの詩に曲が付くと思う」

「それは、擬音やオノマトペをうまく使(つこ)てるということ?」

「なんというか、細川語というのか。まあうまく言えへんわ。ちょっと考えとく。宿題な」

「関の詩も素晴らしいで。曲がついたら何十倍にもよくなる。きっと日本中の人が口ずさむはずや」

といったが、本人の耳に届いているかどうか。これは、本心からの言葉だった。この予想は童謡ではないものの、意外な形で実現する。しかし、それはこれから二二年も後の話だった。

 日本よりもさらに冷え込みの強い、南川里の夜はこうして更けていった。

(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)

                            〈続く〉

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