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炎城(えんじょう)1

 遠くで炎が木を含み、はぜる音がした。

 小姓に頼んで、炭と松明を用意させておいたのだ。

 あと一刻(二時間)もしないうちに、敬愛するわが殿・惟任日向守光秀様が近江の要衝として築き、整えた坂本城に火をつける。しかも、その一の家臣たる我が手によってだ。乱世の習わしとはいえ、人が作ったものを壊すのは抵抗がある。それが、尊敬する人が心血を注いで作ったものならなおさらだ。

 腹を召す。

 武士であるが故、もちろん作法は知っている。何人もの知己がこれまでこういうけじめのつけ方をしてきた。

 言葉にすると簡単だが、果たして自分の番になると、これでよいのか。これで正しいのかという気持ちが湧き上がってくる。

 ここまで付き添ってきてくれた家臣たちには、倉にあった金銀を渡し落ち延びさせた。火の準備を頼んだ小姓ももはや滋賀郡にはいまい。数人の腹心には、さらなる心づけと共に妻子の護衛も頼んだ。今から腹を切る身とあっては、この戦国の乱世を何とか生き延びてもらうことを祈るのみだ。

 坂本城内には、拙者、明智左馬之助秀満、ただ一人。

 白装束を用意し、部屋の隅には殿が集めておられた名品が寄せてあった。火をつける前にどこかへ運び出しておこうと思っていたためだ。一番上に大振りの桐箱が置いてあるのが目についた。中には茶壷が入っている。

 「そういえば……」と天下の名器に出会った瞬間を思い出した。

(九十九髪茄子)
 あの時、大殿・織田信長様の前に平伏していたのは、松永弾正久秀だった。

 永禄十一年(一五六八)、十月二日、場所は教王護国寺。五重塔がそびえる京の古刹・東寺である。拙者は、市政官として大殿の傍に詰めていた光秀様につきしたがい、壁際に備えていた。大和の国を根城にあちこちに戦の種をまいていた弾正に信長が声をかけたところ、数人の供を連れて京都まであいさつに来たというわけだ。

 講堂の一角で、如来や菩薩を後ろに、大殿が声をかける。

「『悪逆人』との名高き弾正が、よく申し出に応え、参集してくれた」

「此度は、恭順の意を示す機会をお与えいただきありがとうございます。ほんの志ですが我が家の家宝を差し上げたくお持ちいたしました。お手元でお育ていただければと」

 数人連れた配下に、桐箱を持ってこさせ、信長様への取次ぎを願う。箱から取り出されたものは、茶入れだった。

 「九十九髪茄子(つくもなす)か。確かに名品じゃな」

 高さ二寸強(六センチ)、加茂茄子を思わせる丸い唐物を掌で躍らせた。少し離れた場所からも、黒の地色に掛けられた釉薬が茶色く光るさまが見て取れる。合わせて差し出されたものは短刀だった。

「うちにも、刀に詳しいものがおる。光秀、これへ」

と、短刀を手渡す。見分せよとのことだ。殿がそれを受け取り、「失礼して」と鞘、しつらえに目を走らせ、素早く目貫(めぬき)を抜き、柄下の銘を確認した。

「薬研藤四郎吉光でございますな」

 これも、九十九髪茄子と並ぶ天下の名品だ。

 上機嫌の大殿へ頭を垂れたままの弾正が言葉を続けた。もう還暦を回る年齢だと思うが、大殿の声と対照的に低い声が、秋の日が暮れかけた寺院によく通った。

「そちらの品で、信長様の元へ帰参させていただければ幸甚かと。信長様はこの茶壷の由緒をご存知でしょうか」

「知らぬ。簡潔に述べよ」

「この茶壷は、元は唐の蓬莱山頂に如意宝珠として安置されておりました。如意宝珠は、願いが叶う球であると同時に皇帝の象徴でもございます。一時は足利将軍家に伝来しておりましたが、故あって我が手元に流れ着きました。現況を鑑みるに、このような宝物(ほうもつ)は信長様のお手元にと考えた次第で」

「意は汲んだ」

「ところで、先ほど悪逆人と申されましたが、どのような噂がお耳に入っておりますでしょうか」

 脇息にもたれ、片肘をついていた大殿の口の端が上がる。このお方は、完全に自分に恭順の意を示すだけの者も、一方的に意を通そうとする者も気に召さない。時に当意即妙に、時にその意をくんで返事をする者のみを傍に置こうとするのだ。

「まずは、主君・三好長慶の弟、その嫡男の毒殺」

「この戦国の世に、毒ほど効果的な手段はありますまい。何しろ兵をあげる必要もなければ、費用もほとんどかかりませんでな。信長様も心当たりがございましょう」

 講堂が重い沈黙に包まれた。大殿の機嫌を損ねれば、その場で首と胴が離れてしまうこともありうる。しかし、この場所から表情は見えないものの声は、明るい。松永弾正も頭を下げたままだ。

「続いて、将軍義輝の暗殺」

「その時は、大和国におりましたゆえ、関わっておりませぬな。将軍様を秘密裏に亡き者にするなど口にするのも恐れ多い。そのように大それたことを、この老いぼれがなせるわけがございませぬ。我が不肖の息子が関わったことではございますが」

 確かに将軍の暗殺は、彼の主君・三好長慶亡き後、三好三人衆と手を組んだ嫡男、松永久通が三年前の五月に室町御所に押し入っている。しかし、力関係とその後の三人衆と松永一族との断交を見るに、この計画の大要に関わっていたことは容易に類推できる。襲撃の場にいなくとも、指示や段取りを組むことは十分に可能だ。

「先のそちの話を引くなら、少数での暗殺も、挙兵して事を構えるよりは費用が掛からないように思えるがな」

あごひげをなでながら大殿が言葉を続けた。

「そして、その三好三人衆との戦のさ中、昨年の東大寺の戦いでの大仏殿放火。大和仏教の中心ともいえる建物を焼失させるなど、天下の大罪との謗りを免れん」

「これは異なことを申される。今やこの国の仏教はここ東寺をはじめとする京か鎌倉でございましょう。その中心たる比叡山に火をかけたご本人のお言葉とは思えませぬ」

「弾正、控えよ。信長様の御前なるぞ」

 思わず殿が声を上げた。すると、座して控えていた若侍が、さらに大きな声を上げた。

「大殿のお話し中に、口を差し挟むなど言語道断」

「よい、藤吉郎。光秀は、わしを思ってたしなめたのじゃ。確かに、調略に邪魔なもの、戦の策の妨げになるものは、聞き届けられなければ滅すしかあるまい。弾正、なかなかに面白き男じゃ。大和の平定、こやつに任せてよいかもしれぬ」

 珍しく大殿の声がほころぶ。先に大殿が述べた先代将軍義輝様は、現将軍足利義昭様の兄にあたり、暗殺の時に母・慶寿院様も斬られているため、蛇蝎のように松永一族、ひいてはこの老将を嫌っている。大和の平定などと言い出したら、さらにこじれることは目に見えている。

「茶をずいぶんとたしなむそうじゃな。さきほど、茶器を育てると宣うておったが」

「武野紹鴎殿に師事しておりますゆえ」

「して、育てるとは何じゃ。器物ゆえ、壊れることはあっても、変わることなどなかろう。述べよ」

「おっしゃる通り、焼き物は一度焼いてしまえば壊れる、欠けるなどしない限り変化しないと思われがちでございます。しかし、使いよう手入れのしようによって悪く言えば手あかがつく、よく言えば箔がつくのでございます。従いまして、育ての親となれる人にしかこのような大事な品はお譲りしない事にしております」

「儂は主の眼にかなったのじゃな」

 茶器を譲ってやったと言わんばかりの物言いだが、やはり大殿の声は楽しそうだ。

「恐れながら……。そういうことではございません」

 引き続き這いつくばっているため、弾正の顔は見えない。昔、出家をしたということで禿頭だが、その頭が不気味に夕日に染まるのみだ。どのような目をしているのか。どのような思いでここに座っているのか、想像もつかなかった。

 大殿が少し身を前に乗り出す。

「先ほど主が譲る、譲らんと申したのではないか」

「栄西禅師がこの国に喫茶の風習をもたらしてより三百有余年。紹鴎殿のように系統立てて茶を点てよう、一つの道にまとめようとするものが出てきております。この老いぼれの眼の黒いうちは無理でしょうが、信長様の鬢に白いものが混じる頃にはいくつかの形にまとまっておりましょう。そして、その新しい価値を見出せる人物にしか茶器を育てることなどかないませぬ。
いま一つ、人と人との間柄と同じように、器物にも縁(えにし)がございます。今日、茶入れをお持ちいたしましたのも、愚禿が選んで持ってきたように思われるやもしれませんが、茶器が信長様を選んで私めにお持ちさせたともいえるのです。道具、特に人の手に触れる茶道具などは、優に我々の短い寿命など越えている物もございましょう。器物は百年を経ると鬼になる、付喪(つくも)神になるなどと申します。努々(ゆめゆめ)手荒くなどお扱いただきませぬよう」

 口では、修行僧のようなことを述べているが、悪辣な手段で入手したものも数多あると伝え聞く。例えば、年貢が滞った領民をこもにくるみ、火を点けて苦しみ転げまわるさまを肴に酒を飲む。蓑虫踊りと名付けてたびたび行っていたという。また、これを逃れんがために差し出された道具には、名品・逸品が含まれていたと聞く。あるいは、大火や盗難を恐れて物品を預かる袋屋の主人をそそのかし、うまく名品を横流しさせるなどの手段を講じていたそうだ。そういう血塗られた名品でも価値は変わらないのだろうか。あるいは持つもの、使うものによって変化していくのだろうか。

「今日の茶入れは名品じゃが、わしのところにも名が届いておる平蜘蛛茶釜など、一度目にしたいものじゃな。弾正、平蜘蛛は、いましばしそちのところへ留め措いてやろう。その間に、よき茶器へと育ててまいれ」

 つまり、何かの折には、名器・平蜘蛛の釜を所望するといっているのだ。すでにその所有者は自分だとも。普段であれば、ここで対面するものは「是」と言って引き下がるところだ。しかし、しばしの沈黙ののち、弾正が絞り出すように声を上げた。

「信長様はご存知でしょうか。一年(ひととせ)でその寿命を終えると思われる虫たちも、育て方次第では二年、三年と永らえます。拙者は松虫を愛でておりまして、十分に餌を与え、住まいを整えれば永くその音色を楽しむことができます」

 何を言い出すのだろう。その場の皆が耳を傾ける。

「これは、虫にすれば世話をする私めに捕まった縁で、草原にいるときの二倍三倍と永らえることができたのです。一つ着眼をずらしてみると、茶器もその持ち主を選んで転々としているのです。はるか大陸より船でもたらされた焼き物が、自身の掌の中にある時、こうした人知を超えた縁を感じざるを得ません。そして、こうしたつながりこそが神仏なのではないかと思うのでございます」

「なるほど、主に焼かれた東大寺の門も、わしが焼いた比叡の山もわしらが手を下したように思うておるが、その実、向こうが焼かれたがっていた、焼かれる縁にあったというのじゃな。面白い」

 懐にあった大ぶりな扇子を出し、松永弾正を指して続けた。

「主に兵を与える。大和の国を平らげてみせよ」

 こうなると、時の将軍でさえも止められない。

 このあと、この老爺は三度の大殿への裏切りの上、信貴山にて焼死した。巻き添えを食らった人や名品は灰燼に帰したが、それも縁のうちだったのであろうか。

(滋賀県文学際に投稿したものを改変)

                             〈続く〉

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