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ゲームと思い出とアウトプット

 ここ数日、ずっとPS4でパワプロをしている。自分の知り合い、旧友だったり、昔のバンド・メンバーだったり、草野球をしてた親友だったり、仕事仲間をサクセスで作成中。最終的には20人ほどでチームを結成し、オリンピック・モードで遊ぼうと思っている。似たようなことは2011年あたりでもやっており、友人知人ばかりのオリジナル・チームを作成して試合をしていた。そのときの各選手(各知人)の出来栄えが満足いくものだったので、選手能力の画面を記録してあるほどだ。今はそれを見返しながら、それぞれのキャラをリメイクしている。で、思ったことが3つほどある。

インプット&アウトプットの消耗

 ゲームをしてると、まずその他のアウトプットの思考が働かなくなる。つまり、このnoteに書くこともなかなか思い浮かばなくなるのだ。この現象はドラクエ10をやっていたときも起こった。2012年あたり、1日おきに書いていたブログもまったく書かなくなってしまった。ただ、今回思ったのは、アウトプットができなくなるというより、インプットの気力がなくなっているということ。本を読んだり、テレビ番組からのちょっとした気づきもなくなることが自分の中で先に発生している。インプットがなければ、当然アウトプットもできない。そういう図式なんだろう。

インタラクティブのメリット&デメリット

 任天堂元社長の岩田聡氏の言葉をまとめた『岩田さん』という書籍に書かれていた次の言葉も思い出した。

わたしは思うんですけど、テレビゲームに代表されるインタラクティブな娯楽の強さって、遊んでから10年とか15年経っても思い出すことだと思うんですよ。小説とか映画も、たしかに感動するんですけど、感動したということは憶えていても、あらすじさえ言えなかったりしますよね。ところがゲームって、自分で操作して、インタラクティブに関わる娯楽なので、自分への刺さり方が独特で、ものすごく強いんですね。
出店:『岩田さん』

 これを読んだとき、たしかに小説や映画って感動の衝撃具合は大きいけど、細かな内容を忘れてることって多いよなと同感した。同時にゲームって細かな思い出としていつまでも忘れないことも多いなと。ドラクエ3の展開やストーリーは今でもはっきり覚えている。「インタラクティブ」という言葉にあるように、ゲームをすることでインプットもアウトプットも無意識のうちにフル活用しているからだろう。その結果、体力的にも集中力的にも消耗するため、ゲームに熱中しながらも読書や映画も楽しむというのはなかなか難しいのかもしれない(特に年を取ると)。一長一短だなと思った。一方で「攻略サイト」が登場してから、サイトを見ながら進めたゲームというのは思い出も少ないのも確か。おそらくアウトプットが作業と化しているからだろう。

成長&退化に反する現実逃避

 僕のパワプロに限ったことだろうが、今僕は9年前に作成した選手能力を元に知人、友人のキャラ・メイクをしている。基本的には、9年前のデータとほぼ同じ。というのも、僕の中で、彼らが器用だったとかプレッシャーに強いとか何でもゴリ押しで進めるタイプとかの「イメージ」はずっと変わってないから。でも現実で僕らは、確実に年を取っており、特に体力なんてものは9年前と比べればガタ落ちしているものである。でもゲーム上では、そんなリアルな再現はせず、20代30代の人間としての全盛期の印象をベースに能力を決めている。見栄えとして一番魅力があるからだ。こういうゲームの「非現実性」と「現実逃避」がおもしろくてしょうがない部分なんだろうと思う。僕はいつまでもパワー・ヒッターで足も速い。でも現実ではまず目が衰えているだろうし、ジョギングの頻度も減って足も遅くなり、体力も衰退している。でもゲームの中では、かつては藤川球児投手やダルビッシュ投手と対戦していた僕が、今は菅野投手とも千賀投手とも互角に渡り合える。何歳になっても。こんな風に時間を超越した世界を形成できるので、一度ハマると他のルーティンをストップしてでも、なかなか止められなくなってしまうわけだ。

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 とはいえ、もういい大人なんだから、適当に区切りをつけるしかないんだけど、僕はどうもパワプロとドラクエだけは無限に取り組んでしまう。が、都合よくこのnoteも毎日更新し続けて間もないので、こちらはこちらでしっかり続けていこうと思う。文武両道ならぬ、文遊両道。


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